Official Staff
ブルーインパルス「六人で描く五輪」
いよいよ東京2020オリンピック開会式当日まで1週間となった。ブルーインパルスが1964年の東京オリンピック開会式以来57年ぶりに東京の空にオリンピックシンボルを描く。
2020年のオリンピックが東京に決まったのは日本時間で2013年9月8日の早朝だった。その速報はその日の百里基地航空祭に向かう車中でラジオから聞いた。あいにくの雨模様で、その日のブルーインパルスの展示飛行は地上滑走のみとなったが、ナレーションでは、東京2020決定への祝辞と、もし要請があれば、東京1964の大先輩たちに負けないよう、大会に華を添えられるよう益々訓練に邁進する、という決意の言葉が込められた。2013年9月と...
Official Staff
【ブルーインパルスの歴史を追う!Vol.3】 基地がない街に毎年ブルーがやってくる! 86ブルーが3年連続で飛んだ謎の蒲郡市
注)本記事は、小河正義ジャーナリスト基金助成金を受け、ブルーインパルスファンネットの調査研究部会の活動として、航空ファン誌の航空祭記事などでご記憶の方もおられるかと思いますが、サイエンスコミュニケーションの研究者やカメラマンとして活躍された藤吉隆雄氏により作成されたものです。不明点は継続して調査を進めますので、当時の資料や記憶がある方はぜひご連絡ください。
(注・ブルーインパルスファンネット 管理人 今村義幸)
今年2021年度のブルーは、コロナ禍ながら富山県、山形県でのイベントで祝賀飛行を行っている。このようなフライバイ展示は空自基地以外でもブルーを見られる好機だ。その視点でブルーの展...
Official Staff
【ブルーインパルスの歴史を追う!Vol.2】 空自にもアクロチームを! ブルーの前身、幻の「チェッカー・ブルー」フライバイチーム
注)本記事は、小河正義ジャーナリスト基金助成金を受け、ブルーインパルスファンネットの調査研究部会の活動として、航空ファン誌の航空祭記事などでご記憶の方もおられるかと思いますが、サイエンスコミュニケーションの研究者やカメラマンとして活躍された藤吉隆雄氏により作成されたものです。不明点は継続して調査を進めますので、当時の資料や記憶がある方はぜひご連絡ください。
(注・ブルーインパルスファンネット 管理人 今村義幸)
ブルーインパルスの記念すべき第1回公式展示飛行は、1960年3月4日(金)のチェックアウト・フライトとされている。その際にはブルーインパルスというチーム名はまだなかった。その後、...
ログインすると、会員限定記事をお読みいただけます。
This article is a sponsored article by
''.