防衛日報社の河合編集長からゴールデンウィークに読者の皆様が普段とは違ってゆっくり読めるような特集を組めないかと相談を頂いた。ブルーインパルスの展示飛行を記録し、広くお伝えしたいとの想いで活動しているが、懐かしいところでブルーインパルスファンネット創設前に知人に配っていた新聞「Imachan通信」のデータが残っていたので、これを復刻し公開することにした。全7回でこれをお届けしたい。
 ブルーインパルスに出会い、のめり込み、それを追いかけるのが楽しくて仕方なかった頃の一ファンの心情が書かれている。いろいろな世代に跨って多くのファンがこうしたワクワクした気持ちを持った瞬間があるはずだ。ブルーインパルスファンのそうした気持ちが伝われば幸いである。

【復刻版】Imachan通信2005①創刊号 美保基地航空祭

画像1: 【復刻版】Imachan通信2005①創刊号 美保基地航空祭
画像2: 【復刻版】Imachan通信2005①創刊号 美保基地航空祭
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画像4: 【復刻版】Imachan通信2005①創刊号 美保基地航空祭
画像5: 【復刻版】Imachan通信2005①創刊号 美保基地航空祭
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画像7: 【復刻版】Imachan通信2005①創刊号 美保基地航空祭

 この創刊号はブルーインパルスファンネットではお馴染みの吉田信也さんがデビューして間もない頃に書いた。SNSはまだなくネットの掲示板で交流していた。あの頃はブルーインパルスファンが集うサイト「11sq.net」の掲示板にみんなでこぞって写真と速報を上げ合った。その中で雨上がりの静浜基地航空祭の会場から、当時はノートパソコンにPHSカードを繋いでネット接続し、吉田さんのアクロデビューの内容をレポートした。悪天候で航過飛行から始まった展示飛行は途中から曲技飛行の低い区分になり最後は第1区分まで昇りつめた。その変遷を11sq.netに克明に書いたところ、後日「まったくその通りだ」と気に入って頂いてから吉田さんとの交流が始まった。とにかく楽しくて仕方がない時期だった。トップの写真は東日本大震災で津波被害にあった804号機だ。あの頃、2000年の事故で失われた機体の代わりに5番機で導入されていた。いまは最後にアサインされていた2番機としての垂直尾翼が松島基地の第11飛行隊隊舎前にモニュメントとして残されている。

一部の個人名等にはボカシを入れているところがあります。2005年に創刊した「Imachan通信」。ボカシについてはお察しいただけたら幸いです。

【文と写真】ブルーインパルスファンネット 今村義幸


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