「日本三景の日」記念事業

 令和5年(2023年)7月21日(金)、宮城県の松島海岸でブルーインパルスが飛んだ。
 寛永20年(1643年)、将軍徳川家光の時代に、儒学者の林春斎が、松島、天橋立、宮島を卓越した三つの景観として著書『日本国事跡考』に記した。林春斎の誕生日が7月21日であることから、日本三景観光連絡協議会が7月21日を「日本三景の日」と制定したという。

画像: メイン会場となった松島海岸中央広場の片隅には日本三景碑が置かれていた

メイン会場となった松島海岸中央広場の片隅には日本三景碑が置かれていた

 航空祭などと同様に4年ぶりの開催となった日本三景の日記念事業だが、ブルーインパルスもまた4年ぶりの参加となった。4年前には会場上空まで飛来し展示飛行を試みたが、天候不良により引き返している。ブルーインパルスの展示記録には4年前の記録は載っていない。

画像: 飛行指揮所脇に気象観測装置を設置する松島気象隊員たち

飛行指揮所脇に気象観測装置を設置する松島気象隊員たち

 当日は深夜から太平洋沿いに常磐道を上って会場に向かった。途中、福島県に入ってからは、ずっと霧雨の中を走った。雨雲レーダーを見ても雲影は映っていなかった。この時期特有の南風から発生する海霧かもしれない。
 会場で気象観測装置を設置する松島気象隊員たちからは、シーリング(雲底)2000フィートという言葉が聞こえてくる。指揮所にいる広報官ら隊員たちが、小さくうめき声を挙げながら空を見上げた。
 なかなか厳しい天候だ。ブルーインパルスは飛行場(と専用の訓練空域)以外では曲技飛行は行わない。宙返りなど曲技飛行は予定していないが、編隊連携機動飛行という曲技飛行には至らない機動飛行を見せてくれる。その編隊連携機動飛行の気象要件はシーリング3000フィートだ。このままではそれも難しい。まっすぐに飛ぶ航過飛行ならシーリング1500フィートで実施できる。そこに期待だ。

画像: 海側から松島海岸に向かい進入し、ぐるっと松島湾を周回するパレードパスを行った

海側から松島海岸に向かい進入し、ぐるっと松島湾を周回するパレードパスを行った

 11時20分頃、松島基地からブルーインパルスが離陸する交信が聞こえてきた。ブルーインパルスが洋上訓練する金華山沖訓練空域より近い距離で、あっという間にここまで来られる。展示開始予定時刻は11時30分だ。
 11時27分、予定よりほんの少し早く、正面から中央広場に向けて、ランディングライト(着陸灯)を点灯したデルタ・ダーティー・ローパスのブルーインパルスが進入してきた。
 中央広場上空を掠めながら、左旋回して折り返していく(トップ写真参照)。その間もスモークを曳いたまま、日本三景松島の景観の中を雄大に飛ぶ。まっすぐ飛ぶだけでも絵になり、人々に感動を与えることは、令和2年(2020年)の医療従事者等への感謝飛行以降で証明されてきた。ここ松島海岸でもまたそれが証明された。
 ファンの気持ちは「上がってくれただけでもありがとう」だ。皆、ブルーインパルスがその時の気象条件等の中でできる限りのことをしてくれることを知っている。一か八かの冒険をしないことも理解して、この編隊飛行の雄姿を見届けている。

画像: 右から2課目目のリーダーズ・ベネフィット・ローパス

右から2課目目のリーダーズ・ベネフィット・ローパス

 左旋回で沖に向かったブルーインパルスは、今度は右に旋回して稜線の向こう側に回った。S字に飛行して$マークのように串刺しに入ってくる珍しいルートだ。2方向からの進入なら8の字のルートでできるのだが、S時のルートを通っていた。このことで峰の上を越えていく姿が見て取れた。
 編隊長は、先日の全国丸森いちや東北絆祭りと同じ、青森県出身の名久井朋之2空佐(飛行隊長)だ。東北の展示飛行は名久井隊長が自ら飛ぶ。そのことも皆、承知している。

画像: 5課目目のグランド・クロス・ローパスもまた正面から入り、大きく旋回した姿を見せた

5課目目のグランド・クロス・ローパスもまた正面から入り、大きく旋回した姿を見せた

 中央広場からは左方向に外れて、赤い福浦橋の袂から撮影した。今日では「台湾との絆の架け橋」とされている。平成23年(2011年)の東日本大震災で橋脚が一部損壊し、台湾の景勝地「日月潭(にちげつたん)」の観光船業者たちが集めた義援金が活かされたという。松島海岸でもたくさんの観光船が走っており、当日も船から見るブルーインパルスを狙って乗船した人たちも多くいただろう。

画像: 最後9課目目は復興の象徴、フェニックス・ローパスで終了した。右下に福浦橋が写っている

最後9課目目は復興の象徴、フェニックス・ローパスで終了した。右下に福浦橋が写っている

 11時58分、9課目目で最後となるフェニックス・ローパスが進入してきた。復興を象徴する隊形だ。右から入り松島基地の方向へ抜けて展示飛行を終了した。
 昼食を取った松島海岸の食堂には、身長176㎝の筆者の目線ほどの高さに、津波が達した水位が記されていた。松島基地の第11飛行隊庁舎の入り口に記されているものと同じ高さだった。

画像: ファンサービスには長蛇の列が並んだ

ファンサービスには長蛇の列が並んだ

 お昼を挟み13時30分頃からは中央広場で、地上統制官として来場した川島良介3空佐(現飛行班長)とナレーターとして来場した佐藤裕介1空尉がファンサービスのサイン会に対応した。200人ほどであろうか。時間の関係でその辺りで締め切られていた。

画像: 准曹士先任の長倉啓泰空曹長(左)と飛行管理員の横澤弘恭3空曹

准曹士先任の長倉啓泰空曹長(左)と飛行管理員の横澤弘恭3空曹

 会場には川島3空佐と佐藤1空尉の他、准曹士先任の長倉啓泰空曹長と飛行管理員の横澤弘恭3空曹もサポートメンバーとして来場した。准曹士先任は亡国のイージスで真田広之さんが演じた海自先任伍長の空自版だ。

画像: 空幕広報室から応援に来た平川通3空佐(左)と川島良介3空佐(右)

空幕広報室から応援に来た平川通3空佐(左)と川島良介3空佐(右)

 会場には松島基地広報班や空幕広報室からも応援が来ていた。空幕広報室からは7月10日付で転出したばかりの平川通3空佐(前飛行班長)と川島3空佐の子弟コンビが早速の再会を果たしていた。
 空幕広報室には平成20年(2008年)4月から平成23年(2011年)5月まで在籍した飛行班長の安田勉3空佐がブルーインパルス担当に就任してから、ブルーインパルス経験者が担うようになった。平川3空佐は安田3空佐以来の飛行班長経験者だ。それまでは輸送機や救難機のヘリコプター操縦者の幹部が担当していた。

《日本三景の日・航過飛行実施課目》

①デルタ・ダーティー・ローパス
②リーダーズ・ベネフィット・ローパス
③ポイント・スター・ローパス
④スワン・ローパス
⑤グランド・クロス・ローパス
⑥エシュロン・ローパス
⑦ピラミッド・ローパス
⑧ツリー・ローパス
⑨フェニックス・ローパス

《日本三景の日・展示飛行搭乗メンバー》

1番機 名久井朋之2空佐(飛行隊長)、後席・藤井正和3空佐
2番機 東島公佑1空尉
3番機 藏元文弥1空尉
4番機 手島孝1空尉
5番機 江口健3空佐、後席・林幸一郎3空佐(総括班長)
6番機 加藤拓也1空尉

《日本三景の日・来場地上メンバー》

地上統制官 川島良介3空佐
ナレーター 佐藤裕介1空尉
サポート  長倉啓泰空曹長(准曹士先任)、横澤弘恭3空曹(飛行管理員)

《取材・撮影》ブルーインパルスファンネット 今村義幸


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