東北絆まつり節目の年に青森県出身の名久井隊長が飛んだ!

 令和5年(2023年)6月17日(土)、2日間開催の「東北絆まつり2023青森」初日、会場となる青森県青森市の青森港上空でブルーインパルスが展示飛行を実施した。
 東北六県より代表的お祭りが集まる東北絆まつりには、その前身である東北六魂祭より毎年ブルーインパルスが参加し、復興の翼として再起したブルーインパルスと東北の絆を象徴する展示飛行となっている。東北絆まつりはこの青森で六県を一巡したが、公道でのパレードは4年ぶりという。今年、松島基地帰還10周年を迎えたブルーインパルスと同じく東北絆まつりもひとつの節目を迎えた。
 東北絆まつり2022秋田につづき編隊長を務めたのは、第11飛行隊(ブルーインパルス)飛行隊長である青森県八戸市出身の名久井朋之2等空佐だ。青森市会場上空には同県三沢市の空自三沢基地より飛来しリモート展示で実施した。三沢といえば名久井2空佐の出身地である八戸市にもほど近く、昨年の秋田でも東北出身者として東北絆まつりへの意欲を示していたが、青森県でのこの展示飛行は満を持しての凱旋飛行となった。
 本記事では、その編隊連携機動飛行の全11課目の写真を収録し、その様子をお伝えしていきたい。

目指したのは青函連絡船と津軽海峡冬景色

 便利な世の中になった。展示飛行の基準点は国交省の航空情報によれば県観光物産館アスパムである。三沢基地から会場までの距離は直線で約55㎞だ。そんなこともGoogle Mapで簡単に測ることができる。展示飛行の範囲は半径8マイル(約13㎞)圏内だが、南側8マイル圏内には青森空港もある。展示飛行は当然この青森空港を離発着する民航機にも配慮して構成される。

画像: 羽田ー青森便の機窓より見た青森市(写真・今村義幸)

羽田ー青森便の機窓より見た青森市(写真・今村義幸)

 当日、羽田からの始発便で青森空港に向かうと、青森市南部にそびえる八甲田山の西側中腹を回り込んで北東へ回り込み、折り返して南西に向かい青森空港に着陸した。右側の機窓から県観光物産館アスパムの三角形の建物が良く見えた。あの建物を目印に青森港上空をブルーインパルスが飛ぶのだ。

 どこから見るか、どこから撮るか、前乗りして現地を歩くことが一番望ましいが、この日はぶっつけ本番だった。そんな時に心強いのが、Google Mapとストリートビューだ。
 平成17年(2005年)に第11飛行隊第6代飛行班長の吉田信也3空佐(当時)が静岡ホビーショーの準備のため現地を視察した際、応対してくれた模型メーカー・タミヤの田宮社長から必要なものを聞かれ、現地の詳細な航空写真があると有難いと答えた。後日、ヘリを飛ばして撮影された現地の航空写真が送られてきたという。
(この時、吉田氏の目の前で「ヘリを出せ」と指示が飛び、その場でヘリに乗って地形慣熟飛行したというまことしやかな噂もあったが都市伝説である。笑)

 ともかくも、撮影する側もどのようなラインで飛ぶか航空写真を見ながら予想する。田宮社長でなければできなかったことと同じことがスマホひとつで簡単にできるようになった。
 Google Mapを見渡して目に留まったのは、まずはJR青森駅だった。駅は海岸線に平行にあると思っていたが、直角に海に向かい埠頭に突き刺さるように配置されている。正に終着駅といった様相だ。この青森駅横の埠頭に青函連絡船「八甲田丸」が保存され公開されている。港で飛ぶならゆかりの船と撮るのがいい。県観光物産館アスパム辺りがメイン会場だが、人とは少し違った写真も撮ってみたい。Google Mapを更に注意深く見ると、八甲田丸の横に「津軽海峡冬景色歌謡碑」が建っている。これだと思った。昭和の世代、まだ見ぬ青森の原風景はこの歌の中にある。

八甲田丸艦橋でブルーインパルスを待つ

 現地に赴いて青森駅が海に突き刺さっている意味がわかった。歴史は時に現在の感覚で見ると見誤りがちであるが、青函連絡船はカーフェリーではなく鉄道連絡船だった。一人一台といっても過言ではない今日の自動車事情とは違う時代の船だ。船内には貴重な鉄道車両が搭載されたまま保存されている。上野発の夜行列車に乗り青函連絡船に乗って北海道に帰るあの時代に思いをはせる。ミグ25(当時ソ連空軍所属)が函館空港に強行着陸したショッキングな亡命事件もそんな時代だった。
 八甲田丸とブルーインパルス、津軽海峡冬景色歌謡碑の上に咲くサクラ、を撮る。これが目標だ。

画像: 青函連絡船青森桟橋可動橋跡より見た青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の船尾(写真・今村義幸)

青函連絡船青森桟橋可動橋跡より見た青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の船尾(写真・今村義幸)

 青森空港に降りた時は曇り空だった。雲は高く展示飛行はできるだろう。写真的には曇り空は冴えないが致し方ない。だが、空は展示飛行開始時刻に向かって、まるで青森市の周りだけ開いていくかのように晴れていった。欲張りだが、かすかな気がかりは展示開始の時刻から強風が予報されていたことだ。
 まずは八甲田丸の艦橋に赴いた。艦橋からの見晴らしは素晴らしく、ここも捨てがたい。強風に流されてしまうかもしれないサクラと津軽海峡冬景色歌謡碑のために途中で船外に移動して撮るべきか、少し悩む。艦橋から歌謡碑までの移動は時間がかかる。
 ブルーインパルスが使う無線周波数を探り当て、その交信を聞くことが出来るかにもよる。エアバンドレシーバー(航空無線が聞ける特殊なラジオ)は2台持ってきた。違う周波数帯を探るためだ。サクラへの隊形指示を聞き取れれば、そこから描き始めまで少し時間が掛かるので、その間に動けば間に合うかもしれない。決心は無線次第のところもあった。幸い艦橋の上は見晴らしも良く受信環境としても最高で、写真を提供してくれている伊藤宜由氏から教えてもらったSRH1230アンテナは三沢から離陸してすぐのブルーインパルスの交信をクリアに捉えることができた。後は展示飛行に使う周波数に切り替えるところを捉えられるかどうかだが、ラウド&クリア(はっきりと明瞭に聞こえること)で何とかこれを捉えることができた。

源義経の御霊が帰ってきたの如く展示飛行が始まった!

 進入開始の交信が聞こえてきた。ナレーションの届かない場所のため進入方向はわからない。山側から入ってくるとばかり思っていた予想は外れて、海側から最初のデルタ・ダーティー・ローパスが定刻の10:50に入ってきた。思えば、展示開始前には必ず空中待機するため、青森空港のある山側でこれをすることはなさそうだ。まだまだだな、と思いながら湧き上がる周りの歓声に助けられて進入してくるブルーインパルスの編隊を捉えることができた。

①デルタ・ダーティー・ローパス

画像: 八甲田丸艦橋より撮影した1課目目のデルタ・ダーティー・ローパス(写真・今村義幸)

八甲田丸艦橋より撮影した1課目目のデルタ・ダーティー・ローパス(写真・今村義幸)

 三沢から北上して陸奥湾上空で空中待機し、定刻で展示飛行を開始する。最初の課目を脚を出して着陸灯を点灯させるデルタ・ダーティー・ローパスにしたのは、曇天をも想定してのことだろうか。このスタートは往年のブルーインパルスの展示方式を踏襲しており、キラキラと光る着陸灯とゆっくりと脚出しのダーティー形態で進入する眺めは、人馬一体となった神々の降臨を見るかの様だ。

義経北行伝説の伝わる青森にて

 東北絆まつりは、青森ねぶた祭、秋田竿燈(かんとう)まつり、盛岡さんさ踊り、山形花笠まつり、仙台七夕まつり、福島わらじまつり、が集う祭りである。開催県青森のねぶた祭からは3台参加のねぶたのうち、新作の1台は師弟の絆を描いた五条橋の「牛若丸と弁慶」が披露された。ねぶたのことを調べてみると、伝承や歌舞伎を題材にしたものが多く、源義経と武蔵坊弁慶の作品も多い。どうもそれは青森に残る「義経北行伝説」によるところが大きいようだ。それは平泉で自刃したはずの義経はすり替えであり、生き延びて北進し、八戸から青森を抜けて、竜飛岬から北海道へ渡ったという伝説だ。その経路には様々な逸話や書状などの痕跡が残っているのだという。歴史は勝者が書くものであり、事実とすり替えられることが往々に起きる。表向きの歴史が義経が平泉で果てたと書いていても、この伝説に少し足を踏み入れるとまことしやかにそうなのではと思えてくる。

画像: 五所川原市の立佞武多(たちねぷた)職人・福士裕朗さんによる初の青森ねぶた(写真・伊藤宜由)

五所川原市の立佞武多(たちねぷた)職人・福士裕朗さんによる初の青森ねぶた(写真・伊藤宜由)

 東北絆まつり2023青森では1番機に青森県八戸市出身の名久井隊長が乗った。凱旋飛行である。後席には5番機練成の藤井正和3空佐が同乗した。藤井3空佐といえば岩国での英語のナレーションも印象深く、全国丸森いちでは上空の名久井隊長を地上からナレーションでサポートした。あのナレーションは飛行指揮所の見晴らしの良い屋上からではなく、地上のイベント本部テントの中から行われていた。進入してくるブルーインパルスがまったく見えない場所で、無線だけを頼りに目隠し状態でナレーションを完遂した姿は、まるで白紙の勧進帳を読み上げた武蔵坊弁慶のようではなかったか。その二人が1番機に乗ってやってくる。

 津軽海峡の方角からデルタ・ダーティー・ローパスでゆっくり入ってくる姿は、義経と弁慶に率いられた一行の御霊にも見えてくるのだ。名久井隊長が義経の末裔と言うのはフィクションにしても大胆過ぎる描写だが、少なくとも彼らが有史以来の武人列伝に連なる現代の武人であることには間違いない。
(でもどうであろう。ブルーインパルスパイロットHPの容貌を見ていると義経と弁慶みたいに見えてくるのは筆者だけだろうか)

ご安航を祈るUW旗に見送られて

①デルタ・ダーティー・ローパス(つづき)

画像: UW旗を掲げた八甲田丸の上空を飛ぶブルーインパルス(写真・今村義幸)

UW旗を掲げた八甲田丸の上空を飛ぶブルーインパルス(写真・今村義幸)

 デルタ・ダーティー・ローパスで会場後方に抜けながら右旋回し、西へと向かうブルーインパルスの下には八甲田丸の黄色い煙突が立っている。白い横線には薄っすらとJNR(Japan National Railways=日本国有鉄道(国鉄))のマークが見える。青函連絡船が鉄道連絡船であり国鉄が運航していた証だ。このマークは先日JR伯備線を通って岡山と出雲を結ぶ「特急やくも」の381系振子列車で復刻され話題となった。
 手前のマストには国際信号旗「UW旗」が掲げられている。SNSにこの旗の写真を上げるとUW旗であると教えられた。その意味は「ご安航を祈る」とあり、ブルーインパルスに対し掲揚されたのかもしれないと八甲田丸に問い合わると「イベントの際に掲揚している」とのことであった。UW旗は青森を訪れたすべての人に手向けられたものだった。

正面から左から右から展示飛行の精度を高めていくブルーインパルス

②リーダーズ・ベネフィット・ローパス

画像: 青森港北防波堤の袂より撮った2課目目のリーダーズ・ベネフィット・ローパス(写真・伊藤宜由)

青森港北防波堤の袂より撮った2課目目のリーダーズ・ベネフィット・ローパス(写真・伊藤宜由)

 西に回り込んだブルーインパルスが2課目目のリーダーズ・ベネフィット・ローパスで入ってくる。これは伊藤氏が会場北側の防波堤の袂で西を向いて撮った。奥には津軽山地が見え、右に薄っすらと津軽半島が続いている。その先端には竜飛岬がある。途中には義経北行伝説において義経が、荒ぶる津軽海峡が鎮まるようにと祈ったという義経寺もあるという。

③スワン・ローパス

画像: 八甲田丸艦橋より3課目目のスワン・ローパス(写真・今村義幸)

八甲田丸艦橋より3課目目のスワン・ローパス(写真・今村義幸)

 正面(北)、左(西)、に続き右(東)からの3課目目はスワン・ローパスだ。三沢から会場までは55㎞、北海道新幹線開業記念行事で千歳基地から140㎞飛んだ函館でリモート展示したことに比べれば半分以下。ドロップタンクを2本付けたD2形態で長距離仕様で飛んできているから多くの課目を見せてくれるはずだ。
 まずは航過飛行で様々な隊形を見せ、編隊連携機動飛行課目に入る伝統的な展示飛行のやり方だ。この航過飛行の間、前日の予行が悪天候で出来なかった分、地形慣熟飛行も兼ねて展示ラインの精度を上げてくる。

④ツリー・ローパス

画像: 青森港を一巡する4課目目のツリー・ローパスのブルーインパルス。青森港北防波堤の袂より撮影(写真・伊藤宜由)

青森港を一巡する4課目目のツリー・ローパスのブルーインパルス。青森港北防波堤の袂より撮影(写真・伊藤宜由)

 4課目目のツリー・ローパスは再び正面からメイン会場に向けて真っ直ぐ入り、アスパムのメイン会場前で右旋回して青森ベイブリッジを抜け、八甲田丸を越えてJR青森駅に達した。青森ベイブリッジの奥には岩木山が見えている。

⑤エシュロン・ローパス

画像: 八甲田丸甲板より西から進入してくる5課目目のエシュロン・ローパス(写真・今村義幸)

八甲田丸甲板より西から進入してくる5課目目のエシュロン・ローパス(写真・今村義幸)

 5課目目は左からのエシュロン・ローパスだ。デルタ隊形と同じくらいに基本中の基本であるエシュロン隊形だ。津軽山地の手前には青森フェリーターミナルに入港する津軽海峡フェリーが見える。函館から来た11:20着のフェリーだ。自家用車も載せられるがトラックなども載せる物流にとっては必要不可欠な航路だ。
 この船のロゴは青いイルカだ。ドルフィンの愛称を持つ、青いT-4が空を舞う姿を見て喜んでくれただろうか。

航過飛行から後半の編隊連携機動飛行へ

⑥デルタ360°ターン

画像: 八甲田丸甲板後部より6課目目のデルタ360°ターン。黄色い煙突に国鉄JNRのマークが見える(写真・今村義幸)

八甲田丸甲板後部より6課目目のデルタ360°ターン。黄色い煙突に国鉄JNRのマークが見える(写真・今村義幸)

 6課目目は右から折り返してのデルタ360°ターンだ。編隊連携機動飛行で実施可能な旋回課目にはチェンジ・オーバー・ターンもあるが、現在のブルーインパルスはD2形態でのチェンジ・オーバー・ターンには慎重なようだ。このあたり昨年度フェニックス・ループに慎重だった姿勢に通ずるものがあり好感が持てる。決して傲らずにひとつずつ大事に進めている姿がここでも確認できた。さらにいえば、このデルタ360°ターンも往年の3区分、4区分に組み込まれていたものよりはバンク角も浅く旋回半径も大きいように感じる。この雄大な編隊旋回課目をひとつ入れてくることで展示飛行の幅がぐっと広がり、何より青空と景色にマッチして素晴らしかった。

⑦フェニックス・ローパス

画像: 八甲田丸甲板より7課目目のフェニックス・ローパス。次のサクラへの序章となった(写真・今村義幸)

八甲田丸甲板より7課目目のフェニックス・ローパス。次のサクラへの序章となった(写真・今村義幸)

 編隊連携機動飛行課目のデルタ360°ターンをひとつ挟んで7課目目は、左からのフェニックス・ローパスだ。復興の翼を象徴するフェニックス隊形のローパスで、いよいよ終盤のクライマックスへと向かう。全国丸森いちでも見せたサクラへの序章となるローパスだ。UW旗の掲げられた空にブルーインパルスが良く似合う。

⑧サクラ

画像: 八甲田丸前より8課目目のサクラ(写真・今村義幸)

八甲田丸前より8課目目のサクラ(写真・今村義幸)

 名久井隊長からサクラの隊形が指示されたのを確認して、甲板から船内の見学順路を通って表に出た。途中、鉄道車両が保存されている階や機関室を通り一番下まで下がって出口の2階へと戻ってくる。これがなかなか遠く、サクラは風の強くなってきたこの日、描く途中のこのあたりが綺麗だと思うのだが、歌謡碑までたどり着いたのは描き終わって風に流されはじめていたときだった。位置も思ったより沖合で、想定通りにはなかなかいかないものだ。
 それ故にうまく撮れた時の喜びも一層なのだ。ブルーインパルスの展示飛行もまた一期一会という言葉がふさわしい。

⑨ビッグ・ハート

画像: 9課目目のビッグ・ハート(写真・今村義幸)

9課目目のビッグ・ハート(写真・今村義幸)

 津軽海峡冬景色の歌詞が読めるほどに近づけたのは9課目目のビッグ・ハートからだった。サクラで編隊の間隔が大きく開いた後、編隊の後方ふたつに位置する5番機、6番機が離脱してビッグ・ハートへ繋いだ。スラントという斜めに大きなハートを描く方法だった。飛行場の曲技飛行では縦に描くバーティカルと矢が突き刺さるキューピッドでバーティカル・キューピッドとなる。

津軽海峡冬景色歌謡碑の袂へ

⑩720°ターン

画像: 津軽海峡冬景色歌謡碑前より10課目目の720°ターン(写真・今村義幸)

津軽海峡冬景色歌謡碑前より10課目目の720°ターン(写真・今村義幸)

 ビッグ・ハートを描き終えた5番機、6番機は再度分離し、5番機単独で∞を描く720°ターンが実施された。
 この歌謡碑の正面に立つと歌が流れてくる。それをスマホで動画を撮っている人もいた。ここにこの歌謡碑があることも今回はじめて知ったが、歌が流れることも行ってみて知った。石川さゆりさんのCDは外国人の友達によくプレゼントした。そんな昔を青森で思い出した。

⑪レベル・サンライズ

画像: 津軽海峡冬景色歌謡碑脇より最後11課目目のレベル・サンライズ(写真・今村義幸)

津軽海峡冬景色歌謡碑脇より最後11課目目のレベル・サンライズ(写真・今村義幸)

 最後は5機によるレベル・サンライズだ。5番機の720°ターンの間、1番機、2番機、3番機、4番機とビッグ・ハートを終えた片方の6番機が合流して正面から入ってくる。当初、この右上辺りに開くサクラを撮ることをイメージしていたが、この青空の下で津軽海峡冬景色歌謡碑と八甲田丸の船首と東北の未来を照らすようなサンライズが撮れて何の不満が残ろうか。これも魚眼レンズとフルサイズセンサーで撮り、対角線画角は180度におよぶが、実際には辺り一円が包み込まれるように大きな迫力あるサンライズだった。またサンライズは機速も速く風にも強い。

自衛隊青森地方協力本部ブースにて

画像: 展示飛行後の自衛隊青森地方協力本部ブースでのブルーインパルスメンバー(写真・伊藤宜由)

展示飛行後の自衛隊青森地方協力本部ブースでのブルーインパルスメンバー(写真・伊藤宜由)

 展示飛行後には自衛隊青森地方協力本部ブースでのファンサービスが行われた。防府航空祭でアクロデビューした川島良介3空佐(北海道出身)が地上統制官で来場したほか、ナレーターとして4番機練成の佐藤裕介1空尉(同)、整備員の髙橋佳那2空曹(岩手県出身)、飛行管理員の鈴木智也3空曹(山形県出身)が来場し対応した。

青函トンネルで乗り鉄

画像: 新函館北斗駅の北海道新幹線はやぶさ(写真・今村義幸)

新函館北斗駅の北海道新幹線はやぶさ(写真・今村義幸)

 展示飛行終了後の午後、津軽半島を通って函館へと繋がる北海道新幹線に乗ってみた。展示飛行の時刻は数日前に発表されたが、それを待っていては旅程を組むには遅すぎる。当日は始発で向かい最終で帰ることにしていた。発表された展示飛行は10:50からで最終便の20:40まで時間はあった。北海道まで往復し夕方のまつりのパレードを少しだけでも見られる。
 青函トンネルを一度通ってみたかった。青函連絡船を置き換えた最新の鉄道であることや、ブルーインパルスが北海道新幹線開業記念行事で函館で飛んだことや、50年以上前になるが道路建設機械の会社に勤めていた父が開通前の青函トンネルに入った出張のことなど、理由はいくつもあった。その中でも父の出張は小学校に上がる前の幼少の自分にとっては誇りであり、出張帰りの父を涙ながらに羽田まで母と迎えに行ったことを思い出す。
 こうして旅を振り返ってみると、義経北行伝説やUW旗が函館まで行ってこいよと背中を押してくれたのかなとも思えてくる。

画像: 新函館北斗駅にあった青函トンネルの説明図(写真・今村義幸)

新函館北斗駅にあった青函トンネルの説明図(写真・今村義幸)

 全長53.85㎞の青函トンネルを通る北海道新幹線は快適だった。もの思いにふけるにも短いほどのあっという間に感じられた。トンネル内の52.57㎞に及ぶ継ぎ目のないスーパーロングレールのためなのか、静かで快適な車内では、いつ抜けられるのかといった緊張感もまったくない。
 夜行列車に乗り連絡船に乗り換えて海峡を渡る旅はどれほどに遠かったであろうか。

心を繋ぐブルーインパルス

画像: 公道のパレード会場より強風にもめげない秋田竿燈(かんとう)まつり(写真・今村義幸)

公道のパレード会場より強風にもめげない秋田竿燈(かんとう)まつり(写真・今村義幸)

 青函トンネル往復の乗り鉄旅を終えて青森駅に戻るとパレードに向けて益々混雑していた。17時からの街頭パレードは東北絆まつりもまた航空祭と同じように4年ぶりとあって、1㎞に及ぶ会場はびっしりと人が集まって大盛況であった。お祭り全体での参加者は29万人という。入間航空祭や岩国フレンドシップデーの最盛期と同規模であり、久しぶりにこの規模のイベントに参加した。
 来年は仙台で開催されることが決まっており、もし飛ぶことになれば、どこでどう撮ろうかと思案することが楽しみだ。

画像: 平成21年(2009)年6月2日、横浜開港150年祭のサクラ。氷川丸から撮影(写真・今村義幸)

平成21年(2009)年6月2日、横浜開港150年祭のサクラ。氷川丸から撮影(写真・今村義幸)

 この記事を書きながらもう少し「UW旗」のことを調べていたらジブリ映画の「コクリコ坂から」に行き着いた。昭和38年(1963年)の横浜を舞台にした物語で、主人公の松崎海が特別な思いで毎朝UW旗を掲げた。物語が進んでいくと山下公園と氷川丸が出てきた。横浜開港祭でブルーインパルスが飛んだ場所だ。八甲田丸を選ぶにあたりこの氷川丸のイメージもあった。八甲田丸が掲げたUW旗が氷川丸の思い出に繋ってくるとは夢にも思わなかった。想いはコクリコ坂の東京五輪の頃にまで遡る。
 偶然か必然か、ブルーインパルスを見ているとこんな気持ちになることがある。
 TOKYO2020の五輪を見上げたあの時もその57年前の東京五輪に想いを馳せた。航空自衛隊がブルーインパルスを創設した時にどれだけの高みを目指して目標を定めたかは知る由もないが、広報という任務を超越した何かの人の心の奥底にその存在は到達している。
 この最後の段を書きながら見ているブルーレイは特典映像が入っていて、手嶌葵さんの主題歌レコーディングが、ブルーインパルスが九州新幹線開通記念行事予行で福岡で飛んだのと同じ東日本大震災前日のことだったと知った。コクリコ坂もまた震災を越えて作られた作品だと知り、ブルーインパルスが繋いでくれる何か不思議なご縁のようなものに想いを馳せた。

《東北絆まつり2023青森・編隊連携機動飛行実施課目》

①デルタ・ダーティー・ローパス
②リーダーズ・ベネフィット・ローパス
③スワン・ローパス
④ツリー・ローパス
⑤エシュロン・ローパス
⑥デルタ360°ターン
⑦フェニックス・ローパス
⑧サクラ
⑨ビッグ・ハート(スラント)
⑩720°ターン
⑪レベル・サンライズ

《東北絆まつり2023青森・展示飛行搭乗メンバー》

1番機 名久井朋之2空佐(飛行隊長)、後席・藤井正和3空佐
2番機 東島公佑1空尉
3番機 藏元文弥1空尉
4番機 手島孝1空尉
5番機 江口健1空尉、後席・林幸一郎3空佐(総括班長)
6番機 加藤拓也1空尉

《東北絆まつり2023青森・来場地上メンバー》

地上統制官 川島良介3空佐
ナレーター 佐藤裕介1空尉
サポート  髙橋佳那2空曹(整備員)、鈴木智也3空曹(飛行管理員)
(平川通3空佐は指揮所幹部として三沢基地に配置)

ブルーインパルスファンネット 
《文》今村義幸/《写真》今村義幸、伊藤宜由


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