空自ブルーインパルスが11月26日、愛知県上空で展示飛行を披露し、多くの市民やファンを喜ばせました。同日、県が運営する「あいち航空ミュージアム(豊山町)」では、ブルーインパルスをテーマとした特別企画展が始まり、さらに元パイロットの吉田氏とSKE48の菅原茉椰(すがわら・まや)さんが参加するトークショーも開催されました。その様子をリポートで寄稿してくれたのは、おなじみブルーインパルスファンネットさん。今回はいつにも増して、興奮覚めやらぬ感じなのは気のせいでしょうか?(編集部より)

 2022年11月26日(土)、愛知県政150周年記念でブルーインパルスが愛知県上空を飛んだ日と同じ日に、県営名古屋空港に隣接する「あいち航空ミュージアム」が開館5周年を迎え、記念特別企画展「Always with Blue(オールウェイズ ウィズ ブルー)~大空への憧れをブルーインパルスと共に~」がスタートした。
 ブルーインパルスファンにとっては特別な思い入れのある機体・805号機が遂にあいち航空ミュージアムに常設展示されたこの日、オープニングのトークショーには「LOVEあいちサポーターズ あいち広報大使」のSKE48から菅原茉椰さんが参加してくれた!

画像: SKE48 「絶対インスピレーション」Music Video / 2022.10.5 on sale youtu.be

SKE48 「絶対インスピレーション」Music Video / 2022.10.5 on sale

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 菅原茉椰さんといえば、SKE48の最新曲「絶対インスピレーション」でブルーインパルスでいうところの2番機のポジションで激しい機動飛行ならぬダンスパフォーマンスを披露している。しかし、会場に現れた菅原茉椰さんは、当然だが華があり、そしてこのダンスパフォーマンスからは想像できないような穏やかな方だった。
 ブルーインパルスに似ている…というのは宮城県出身だからということだけではない。会場に現れてからトークショーのステージに上がり、ブルーインパルス体験搭乗シミュレーターにトライし、805号機の説明を受けて見て回り、そしてファンに手を振って会場を去っていったその間、間違いなくあの会場にいたすべての人が日々の嫌なことを忘れ笑顔になった。

画像1: SKE48 菅原茉椰さんがブルーインパルス・シミュレーターに挑戦!
~あいち航空ミュージアム開館5周年記念イベント~

 SKE48が、松井玲奈さんはじめ多くの人気タレントを輩出したグループで、紅白歌合戦にも出場した有名なグループであることは知っていた。会場にはグリーンのサイリウムを持った熱心なファンも来ていた。それも想定の範囲内だったが、菅原茉椰さんの情報は一通りSNSをチェックして入れていたものの、筆者の知識は何もないに等しかった。そして、終わってみて感じたのは、ブルーインパルスが現れて帰っていった後の余韻に似ているということだった。
 最新の芸能情報には疎いが、ブルーインパルスオタクとはいえ、芸能関係もまんざらアウェイでもない。サイリウムを持ったファンの気持ちはよくわかる。だが、筆者の時代はサイリウムはなく、紙テープであった。当たると危ないから真ん中の芯を抜いて投げるのだ。コンサートのファンクラブ優先発売受付日には、事務所最寄りの赤坂郵便局に朝一番で行って速達で申込の現金書留を出す。ねらい目は都心を外して神奈川県民ホールなどだ。あとは歌番組「ザ・ベストテン」に初登場するまでイラスト入りでリクエストはがきを書いた。そんな昔話はさておき、ともかくも菅原茉椰さんの人柄に接してファンになった。SKE48専用劇場に行くには年を取り過ぎていて場違いであるが、ファンの気持ちがわかった気がした。
 逆にSKE48ファンのみんなには、ブルーインパルスファンのおっかける気持ちがわかってくれるかもしれないとも思った。そのきっかけをくれたのが菅原茉椰さんだ。
 あいち広報大使SKE48を代表してのご降臨、誠にありがとうございます!

画像2: SKE48 菅原茉椰さんがブルーインパルス・シミュレーターに挑戦!
~あいち航空ミュージアム開館5周年記念イベント~

 カバー写真で満面の笑みを見せているのはブルーインパルス(第11飛行隊)の第6代飛行班長吉田信也元2空佐だ。中央に菅原茉椰さんを挟んで向こう側には、あいち航空ミュージアム調査役の土屋昭人元3空佐が壇上に立った。岐阜基地の飛行開発実験団にも所属されたテストパイロットだ。現役時代にはXF-2の開発にも携わられ、F-2の最高速度記録を持っているそうだ。テストパイロットは各機種の限界性能等をテストするわけであるが、土屋元3空佐もまた航空自衛隊のほとんどの保有機を操縦したテストパイロットであった。
 吉田、土屋両氏共に航空学生36期出身だ。自衛官の同期の団結は退官しても終わらない。805号機を常設展示し、ブルーインパルス体験搭乗シミュレーターを開発して、SKE48を呼んでお披露目した。その仕掛け人が土屋氏であることは間違いなさそうだ。そして、同期の吉田氏が全面協力した。

画像3: SKE48 菅原茉椰さんがブルーインパルス・シミュレーターに挑戦!
~あいち航空ミュージアム開館5周年記念イベント~

 この協力関係は恐らく両氏にとっては当たり前のことで、やるべきことを自分で判断してやった、に過ぎない。このイベントの間の二日間、吉田氏との会話の中で印象に残ったのはトップガン初回作の最後の方のシーンの話だ。同僚を事故で亡くし失意の底で自分の進むべき道を見失ったマーヴェリックが教官のバイパーを訪ねるシーンで、マーヴェリックは自分の進むべき道をバイパーに聞く。だが、バイパーはその答えを教えるのではなく、どんな状況でもそれを自分で判断し自分の進むべき道を行くのが真の戦闘機パイロットだと答える。吉田氏もこのバイパーに同意し、それが戦闘機パイロットだと強く言った。

画像4: SKE48 菅原茉椰さんがブルーインパルス・シミュレーターに挑戦!
~あいち航空ミュージアム開館5周年記念イベント~

 パイロットの判断力と同期の結束はご当人には当たり前のことかもしれないが、我々応援者からすればそれは時に感動的な神話にすらなり得る。
 2020年3月20日、アテネからの聖火を搭載した特別機JL2020便が松島基地に降り立った。迫りくる新型コロナウイルス感染症に慄き、強風波浪警報が発令され東北新幹線に遅延が出るほどの強風の中、多くのブルーインパルスファンが松島基地を取り囲んでこの日の聖火到着式を見守った。皆、ブルーインパルスがカラースモークを復活させオリンピックシンボルの五輪を描くことを知っていた。ブルーインパルスは見事にオリンピックシンボルをカラースモークで描いた。しかし、そのオリンピックシンボルは強風のためにすぐにかき消された。それをオリンピックの行く末を揶揄するかのように引用したマスコミもいたが、マスコミはこの時期の松島基地を知らないのだ。強い北西風が吹くのが当たり前。だからブルーインパルスは五輪ともうひとつ真っ直ぐに五色の線を描くリーダーズベネフィットローパスを用意していた。
 この時期の松島基地では強風でできるわけがない、と突き放すのではなく、出来る限りの事態を想定し備える。戦闘機パイロットの進むべき道であり、今日の自衛隊そのものといってもいいであろう。

画像5: SKE48 菅原茉椰さんがブルーインパルス・シミュレーターに挑戦!
~あいち航空ミュージアム開館5周年記念イベント~

 だが、この話にはもう一段深い話がある。あの聖火到着式の強い北西風の中、ブルーインパルスは横風滑走路RWY33で離陸した。だが実はRWY33は2005年まで離陸は禁止されていた(着陸はできた)。それまで、メインのRWY25が横風制限値を超えて上がれないときは飛行訓練ができなかったのだ。ちょうどブルーインパルスは航空祭シーズンが終わってシーズンオフの練成訓練を進めなければならない言わば訓練の稼ぎ時の時期だ。当時飛行班長だった吉田氏は、航学36期同期の松島基地第4航空団運用班長と結束して、RWY33の離陸を可能にするレギュレーションを作った。聖火到着式どころか東京五輪が決まった2013年の8年も前のことだ。日常のために何をすべきか。このことが後年聖火到着式の離陸を可能とさせたのだ。
 これは筆者にとって、例えれば、坂の上の雲を掴むような一心な姿で日本海海戦を勝利に導いた先人たちの奇跡と同類のものにしか見えない。

画像6: SKE48 菅原茉椰さんがブルーインパルス・シミュレーターに挑戦!
~あいち航空ミュージアム開館5周年記念イベント~

 菅原茉椰さんが挑戦したブルーインパルス体験搭乗シミュレーターは「ぼくらは航空管制官」シリーズのゲームソフトで知られる株式会社テクノブレインによって開発された。同社ミュージアムプロデューサーの盛岡隆司氏によれば、このシミュレーターの1番機には吉田信也氏が、2番機と3番機には土屋昭人氏が組み込まれているという。ベースとなるT-4の飛行特性は土屋氏が作り込んだようだ。つまり、このシミュレーターは、T-4ブルーインパルス1番機公式展示回数最多記録を持つ吉田氏とテストパイロットでF-2最高速記録を持つ土屋氏の操舵が組み込まれているのだ。
 フライトは4番機SLOTになって実施する。パターンは、実際のブルーインパルスでは休眠中のダイヤモンドテイクオフで離陸し、まずはエアボーンしてフィンガーチップ隊形から4番機を中央の1番機の後ろに付けるところから始まる。続いて左旋回し270度旋回が終わったところで上昇しループして終了する。スロットルやラダーは自動で、スティックだけで機体を操作するが、ドイツ車のようなオン・ザ・レールの感覚はなく、フワフワとボートのような感覚で、強すぎず柔らかすぎず、操縦しなければならない。この感覚から連想すると、ブルーインパルスがどれだけ凄いことをやってのけているのかも垣間見ることができる。
 いまのところ、パターンは離陸、旋回、ループといったシンプルなものだが、筆者はこれだけでもういっぱいいっぱいであった。菅原茉椰さんは☆5つの最高得点に対し☆4つのSランクを獲得し、初回なのにこの高得点をマークしたセンスの良さに吉田、土屋両氏から、いまから戦闘機パイロットコースを受験しないかとの提案も出ていたが、いやいや、そうなったらSKE48が困るでしょう。でもあのフォーメーションでのダンスパフォーマンスを見る限り、もし戦闘機パイロットになったらブルーインパルスのパイロットに進むこと間違いなし!
 菅原茉椰さんからの「パイロットになるにはやはり勉強でしょうか?」という質問には、吉田氏から勉強はそこそこに「やる気 元気 負けん気」の3つが大事と航空学生のモットーが回答された。すると菅原茉椰さんは「やる気と負けん気はあるんですけど、元気がないんです」と返し、会場がドッと沸いた。いや、ですけど、菅原茉椰さん…繰り返しますが、あのSKE48のダンスパフォーマンスを見る限り元気もいっぱいお持ちだと思いますよ。それに会場の皆はダンスパフォーマンスなくとも元気をいっぱいもらって帰りましたよ。

 ブルーインパルス体験搭乗シミュレーターの公開は、記念特別企画展「Always with Blue(オールウェイズ ウィズ ブルー)~大空への憧れをブルーインパルスと共に~」の期間中、2023年4月9日までという。
 要望が多ければ常設展示になる可能性もあるという。SKE48ファンのみんな!まーやん推しのみんな!菅原茉椰さんの握ったスティックを握れるのは4月9日までですぞ!

画像7: SKE48 菅原茉椰さんがブルーインパルス・シミュレーターに挑戦!
~あいち航空ミュージアム開館5周年記念イベント~

 トークショーは、キヤノン株式会社が提供した8Kのブルーインパルス飛行映像の上映からはじまり、シミュレーターの体験搭乗へと続いた。菅原茉椰さんのコメントや質問は常に的確で、会場の空気を温かくしてくれただけでなく、間違いなくブルーインパルスの理解を得るための広報面にも絶大な貢献をしていた。

画像8: SKE48 菅原茉椰さんがブルーインパルス・シミュレーターに挑戦!
~あいち航空ミュージアム開館5周年記念イベント~

 ステージの後には吉田、土屋両氏より805号機の説明を受け、その様子は菅原茉椰さんツイッター公式アカウント(@maya_sugawara)でも配信された。

 805号機は我々ファンにとって特別な機体だ。2000年の事故で損失した機体を補充するために新造されたのが804号機と805号機だった。この2機はブルーインパルス復活のシンボルでありアイドルだった。ブルーインパルスの機体は最初からブルーインパルス仕様として製造されたのはこの805号機が最後で、現在飛行しているのはその後ノーマルのT-4を改修してブルーインパルス仕様にしたもののみとなっている。
 ブルーインパルスは東日本大震災当日に予定されていた九州新幹線全線開通記念式典のために福岡県の芦屋基地に展開していたため機体は難を逃れた。しかし、その直前にバードストライクで修理が必要となった804号機は展開できず留め置かれたまま津波に呑まれて廃棄となった。芦屋基地に避難したまま訓練を再開したブルーインパルスは、2013年3月31日、2年ぶりに松島基地に帰還した。その時、805号機は田中公司2空佐(当時)の搭乗した隊長機となった。この機体は震災の避難先からやっと帰られた時に隊長が乗った特別な機体なのだ。
(ブルーインパルスファンには説明不要だが、SKE48ファンのみんなに知ってもらいたいのでここに書くが、田中公司隊長は今年1月31日、小松基地の飛行教導群司令として訓練中にF-15DJ戦闘機で墜落し殉職した)
 805号機よ、震災から帰った時に相方の804号機がいなくて寂しかったろうな。でも、ここまでしてもらってみんなに見てもらえるようになって良かったな!

画像9: SKE48 菅原茉椰さんがブルーインパルス・シミュレーターに挑戦!
~あいち航空ミュージアム開館5周年記念イベント~

 オープニングトークショーが終わり同日午後、13時15分からはあいち航空ミュージアム前のエプロンでブルーインパルス出発式が行われ、大村秀章愛知県知事も列席の中見送られ、ブルーインパルスが愛知県政150周年記念の展示飛行に出発した。

画像10: SKE48 菅原茉椰さんがブルーインパルス・シミュレーターに挑戦!
~あいち航空ミュージアム開館5周年記念イベント~

 ブルーインパルスは、小牧基地を離陸し、医療従事者等への感謝飛行と同じやや幅広のE(エコー)デルタローパスで、犬山城、愛・地球博記念公園、岡崎城、もっくる新城、吉田城址を飛行して、名古屋城上空でデルタローパス、サクラ、ビッグハート、サンライズの4課目を実施した。編隊長は第11飛行隊長の名久井朋之2空佐が務めた。
(以下写真は前日予行に撮影)

画像11: SKE48 菅原茉椰さんがブルーインパルス・シミュレーターに挑戦!
~あいち航空ミュージアム開館5周年記念イベント~

 菅原茉椰さんを迎えてのオープニングトークショーに続き、トークショーは吉田信也氏と航空ファン誌編集長の神野幸久氏によって翌日午前中まで実施された。そこではより詳しいブルーインパルスの紹介が行われ、6機による背面課目のシックスシップインバートが既に開発されて存在することなど、秘蔵の話が紹介された。
 自衛隊愛知地方協力本部もイベントに合わせ自衛官募集ブースを館内に構え、ブルーインパルスからは5番機練成の藤井正和1空尉、飛行管理員の横澤弘恭3空曹(愛知県出身)、整備員の谷口雄亮2空曹が応援に駆け付け、ツアーパンフレットの配布やサイン会に応じていた。

取材・ブルーインパルスファンネット 今村義幸(文・写真)


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