【2022年10月20日(木)1面】
平成28年4月に発生した熊本地震は記憶に新しい。自衛隊による災害派遣活動は県民をはじめ、多くの人々の心に深く刻まれている。
「担当した令和3年度の入隊者のほぼ全員が、あのときの災害派遣活動を見て志願してくれたのです」
8月14日、熊本県菊陽町の商業施設。職業相談の活動に従事した菊池分駐所(所長・藤本1陸尉)の竹上真未(まみ)2陸曹はそう語り、自衛官の「先輩」として気を引き締めた。
熊本には九州・沖縄を管轄する西部方面隊がある、まさに西の国土を護まもる最後の砦(とりで)だ。健軍、北熊本、熊本の3つの駐屯地が存在し、「県民の自衛隊に対する理解や関心は非常に高い」と強調する。それだけ、責任は重い。
自衛隊を身近な存在に感じてもらえるように
広報官として着任したのは、1年前の令和3年8月。「自衛隊を身近な存在に感じてもらえるように」という思いを胸に、募集活動をはじめ地域と連携したイベントでも企画段階から積極的に参加した。
この日の商業施設での職業相談ブースでは、駐屯地の食事の写真を掲載し、携行食や非常食の実物を展示した。来場者に少しでも興味を持ってもらえるよう、工夫している。
だが、足を運んでくれる学生たちの声は、「体力がないと続けられない」「きつそうだから、自分には無理なのでは」‥。自衛隊に対するネガティブなイメージがいまだに根強く残っている。だからこそ、「体力に応じたグループ分けがあることや、いきなりきつい訓練を行うのではなく、段階的に行っていくので安心してほしいと伝えている」と、相談者の視点に立って不安を解消できるよう努める。
母と妻と‥「三足のわらじ」丁寧な対応に厚い信頼
父の坂本博幸氏は元自衛官。夫(竹上勇気2陸尉)も自衛官という家族構成。子供のころからよく父に連れられ、駐屯地へ遊びに行った。自衛隊は身近にあった。何よりも、「制服姿の父が憧れの存在だった」と、幼心に女性自衛官になることを目指していた。
自衛隊の災害派遣や国際平和協力活動をテレビで見て、活動に参加したいと思ったことも入隊理由の一つだった。
入隊から2年後の平成17年には第8次イラク復興支援群へ参加した。イラクと日本をつなぐ衛星通信部隊で、通信機器の整備・点検に従事し、宿営地を訪れた女性のボディーチェックなども担当。7次群で派遣された父とともに、日本の自衛官を表彰する「第5回 国民の自衛官」に選出される栄誉を受けた。
父と同じ道を選び、ともに世界の舞台で任務に邁進(まいしん)し、ともに表彰される―。親子にとってこれ以上ない瞬間でもあった。
募集相談で対応した学生が自衛官となって地本の募集案内事務所を訪ねてくれたり、連絡をくれたりするのが、広報官として一番の喜びだ。対応した学生が新隊員前期教育課程で表彰された時は、「わが子のように誇らしく、うれしかった」と笑顔を見せる。
プライベートでは、3人の娘を育てる母でもある。自衛官の夫婦ということや、仕事と子育てを両立しながら働く自身の経験を基に、「募集対象者の保護者には、ワークライフバランスについて重点的にお話ししている」という。
上司の藤本所長はいう。「相手に寄り添う丁寧な対応が、広報官として素晴らしい。自衛官と母と妻という『三足のわらじ』を履きながら、与えられた任務に真剣に取り組んでいる」
さらに、「活発で積極的な性格。所内の雰囲気も明るくしてくれる非常に心強い存在です」とも。竹上2曹への信頼は厚い。
―竹上2曹からのMessage 「募集対象者の保護者には、ワークライフバランスについて重点的にお話ししている」