令和5年(2023年)7月6日、航空自衛隊第4航空団第11飛行隊(通称、ブルーインパルス)の飛行班長、平川通3空佐がラストフライトを迎えた。東京五輪聖火到着式を間近に控えた令和2年(2020年)3月1日に着隊し、松島基地で聖火を出迎えたその後は、日本のみならず世界がコロナ禍により多くのものを失った。東京五輪は延期となり、旅行業や飲食業をはじめ、世の中が壊滅的な打撃を受けたその間、ブルーインパルスもまた展示飛行のない明日の見えない日々を過ごしてきた。今年3月31日には東日本大震災による移動訓練から帰還し10年を迎えた。この間、やっと普通に航空祭シーズンを迎えようとしている今日まで、ブルーインパルスというエンティティ―(実体、存在)を堅持してくれたのが平川3空佐だ。ブルーインパルスの救世主と呼んでも過言ではない。
 「フライトは簡単。飛行班長が全部やってくれるから、飛べばいいだけ」とは本インタビューの聞き手が初めてブルーインパルスを見た頃の飛行隊長から聞いた言葉である。「簡単」という言葉には、飛行隊長が任期終盤でフライトを極めていたという補足が必要だろう。「大変なのは人事」とも言われていた。飛行隊長の仕事についてはいずれまた書く機会もあろうと思うが、ブルーインパルスのフライトに責任を持つ飛行班長の平川通3空佐(TACネーム・JACKY)に、ラストフライトを前に話を聞いた。

画像1: 飛行班長・平川通3等空佐インタビュー
 ~ブルーインパルスファンネットの松島基地訪問記(2/3)~

-----お疲れ様です。よろしくお願いします。
平川「よろしくお願いします」

-----朝、ブリーフィングを拝見し、厳しい顔だった印象ですが、普段通りですか?
平川「厳格な場だと思っていますので、そのような雰囲気は、TR操縦者の検定に挑む際は、そのような空気感は出しているかなと思います」

画像: 令和5年 (2023年)5月28日の美保基地航空祭は平川3空佐の最後の展示飛行となった。ブルーインパルスのポテンシャルを引き出す円熟の曲技飛行が披露された

令和5年 (2023年)5月28日の美保基地航空祭は平川3空佐の最後の展示飛行となった。ブルーインパルスのポテンシャルを引き出す円熟の曲技飛行が披露された

-----その辺は飛行班長としての役割と考えていますか?
平川「はい。そうですね」

-----今後の展示で後任者たちにこうして貰いたいとか、要望はありますか?
平川「今後こうして欲しいということは、特には言っておりません。任務遂行をするのは後任者であり、その人たちでいろいろ考えて、やればいいと思っています。私もずっと師匠の後ろで展示飛行を経験したわけではありませんので、自分で判断してやるしかないという状況でやってきました。自分たちがこういうのがいいと考えて、例えば新課目研究にしろ、課目の構成を変えるにしろ、自分たちの自由だと思います。そういうことは伝えています」

画像2: 飛行班長・平川通3等空佐インタビュー
 ~ブルーインパルスファンネットの松島基地訪問記(2/3)~

-----なるほど。
平川「私がやってきたことが正解ということではなく、後任者たちみんなで考えて、できることを精一杯やるということが、正解だと思います」

-----その辺がきっと、平川さんの姿を見て、皆さんが感じ取られている、というところなのでしょうね…戦闘機パイロットになられて、飛行班長というのは、目指されていたというのはありますか?
平川「目指すというより、憧れはありました。以前に搭乗していたF-4が退役しましたので戦闘機部隊の飛行班長はできませんでした。でも、飛行班長はやりたいと思っていました」

画像: 令和4年 (2022年)7月31日の千歳基地航空祭では全員が離着陸を含むフルショーの航空祭を初めて経験する中、曲技飛行展示を完遂した

令和4年 (2022年)7月31日の千歳基地航空祭では全員が離着陸を含むフルショーの航空祭を初めて経験する中、曲技飛行展示を完遂した

-----これから飛行班長を目指す人たちに、アドバイスはありますか?
平川「飛行隊は飛行班長が要とならないといけないと思います。飛行運用とか、展示飛行の計画とか、飛行班長次第です。プレッシャーもありますし、大変な仕事ですが、やりがいのある仕事です。飛行班長といえば若い時は雲の上の存在のような人で、みんな憧れを持っていました。将来的には自分もそういうふうにやりたいと、当然思うと思いますし、その中でちょっとずつ成長していく中で、自分だったらこうするということを持ってくると思いますので、自分がなった時にはこうしようという目標ですとか、自覚ですとか、そういうことを持ちながら目指して欲しいですね。大変な任務ですけれど、終わった時にはやって良かったなって思うのは間違いないと思います。1番機で良かった、飛行班長で良かった、ということは、もの凄く思います」

画像: 令和4年 (2022年)8月 7日、自衛隊フェスタ50・70 in 滋賀高島で医療従事者等への感謝飛行のようなパレードパスを琵琶湖を周航して実施した

令和4年 (2022年)8月 7日、自衛隊フェスタ50・70 in 滋賀高島で医療従事者等への感謝飛行のようなパレードパスを琵琶湖を周航して実施した

-----パイロットを受験された段階で、ある程度そういうキャリアを目指してたのでしょうか?
平川「いや、そのようなことはまったくないです」

-----とにかく乗りたいと?
平川「乗りたいという気持ちは当然ありましたが、航空学生に受かるとは思って受けてなかったです」

-----そうですか…?
平川「はい。実は、そんなに勉強ができるわけでもありませんでしたし、その(航空学生)制度を知って、そこから受験が決まって勉強はしましたけど、そこまで深くは考えていなかったです。受かった後も全員がパイロットになれるわけではないと聞いていましたので、駄目だったらしょうがないなくらいの気持ちでした」

画像: 平川3空佐の原隊であった第302飛行隊のF-4EJファントム。千歳基地に発足し、那覇基地へ移転した後、平成21年(2009年)に百里基地へ移転し、平成31年(2019年)にF-4の運用を終えた

平川3空佐の原隊であった第302飛行隊のF-4EJファントム。千歳基地に発足し、那覇基地へ移転した後、平成21年(2009年)に百里基地へ移転し、平成31年(2019年)にF-4の運用を終えた

画像: 令和5年(2023年)7月6日(木)、サードの飛行場訓練で行われた6機のOR訓練がラストフライトとなった

令和5年(2023年)7月6日(木)、サードの飛行場訓練で行われた6機のOR訓練がラストフライトとなった

画像: 令和4年 (2022年)4月10日の高田城址公園観桜会は令和4年度のツアー開幕となり、高田城址公園の満開宣言日とぴったり合った日の展示飛行となった。写真は満開の桜の上で披露したサクラ

令和4年 (2022年)4月10日の高田城址公園観桜会は令和4年度のツアー開幕となり、高田城址公園の満開宣言日とぴったり合った日の展示飛行となった。写真は満開の桜の上で披露したサクラ

-----航空学生を受験されたきっかけは?
平川「地元の地本(自衛隊地方協力本部)の方と話をしている時に、何をしたいかとの話になり、なれる職業とは思っていませんでしたが『パイロットになりたいです』と思い切って言ったら、航空学生制度を教えてくれました。それで初めて航空自衛隊という存在と、日本でも戦闘機が飛んでいるっていう存在を知ってから、それがきっかけです」

画像: 2004年3月まで松島基地の第21飛行隊でT-2による操縦教育課程が実施された。平川3空佐もこの操縦課程を修得しており、バンナー射撃という曳航機が曳く標的を射撃する訓練を受け、当時の飛行班長であった宮川3空佐の激励を受けていたという

2004年3月まで松島基地の第21飛行隊でT-2による操縦教育課程が実施された。平川3空佐もこの操縦課程を修得しており、バンナー射撃という曳航機が曳く標的を射撃する訓練を受け、当時の飛行班長であった宮川3空佐の激励を受けていたという

-----そこからブルーインパルスの飛行班長っていうのは、すごいですね。
平川「私がすごいということではなくて、多分縁があったというだけの話だと思います。宮川さん(宮川範之元3空佐、第11飛行隊第5代飛行班長)がブルーの飛行班長の時に、私が学生で当時T-2で訓練を受けている時、矢本の居酒屋に同期で飲みに行ったら、ブルーの宴会とたまたま一緒になって、そこで初めて話をさせてもらって…」

-----あー、そうですか。
平川「それで、将来的にブルーに乗りたいなって。で、その後、宮川さんがいた第302飛行隊に配置になって、その宮川さんの弟子の吉田シンさん(吉田信也元2空佐、第11飛行隊第6代飛行班長)が飛行班長で、その後、シンさんもブルーの飛行班長に行ったというので、そこから希望するようになりましたね」

画像: 平成16年(2004年)の航空自衛隊創設50周年で招聘した米空軍サンダーバーズのメンバーと記念撮影するブルーインパルスのメンバー。左から草薙樹一郎1空尉、吉田信也3空佐、水野匡昭1空尉、宮川範之3空佐。平川3空佐がブルーインパルスを志望するきっかけとなったメンバーたち(階級はすべて当時。写真提供・吉田信也氏)

平成16年(2004年)の航空自衛隊創設50周年で招聘した米空軍サンダーバーズのメンバーと記念撮影するブルーインパルスのメンバー。左から草薙樹一郎1空尉、吉田信也3空佐、水野匡昭1空尉、宮川範之3空佐。平川3空佐がブルーインパルスを志望するきっかけとなったメンバーたち(階級はすべて当時。写真提供・吉田信也氏)

-----そんな前に…でも宮川さんはもう抜けられていたっていうか、ブルーに来ちゃっていたから、その302飛行隊に配属になった時には居られなかったけど、T-2操縦課程学生の時にいたっていう。
平川「そういうことです」

-----シンさんとはどれくらいの期間、被っていたのですか?
平川「半年ですね…私が部隊に行って、F-4の機種転換課程に入って帰ってきた時には転出されていました。一年も被っていないくらいですね」

-----なるほど…でもまあ、その前に宮川さんと接点があったのですね。
平川「はい」

画像: 令和4年 (2022年)9月 4日、福岡県の芦屋基地航空祭では、台風が迫りくる中、奇跡的な快晴を呼び込み、航空学生の後輩やOBが見守る中、1~6番機全員が福岡県出身というメンバーで第1区分の曲技飛行を披露した

令和4年 (2022年)9月 4日、福岡県の芦屋基地航空祭では、台風が迫りくる中、奇跡的な快晴を呼び込み、航空学生の後輩やOBが見守る中、1~6番機全員が福岡県出身というメンバーで第1区分の曲技飛行を披露した

-----そういう、航空自衛隊の中の人の繋がりっていいなってちょっと思いますね。(今日案内してくれている)藤江3空佐も(航空学生)49期で、49期の人で仲良かった人とかいるので、そういう同期の結束とか、家族を大事にするとか、民間でそういうの、あんまりないですよね。若干、同期とかはあるかもしれないけど、会社をあげて家族を大事にするとかあんまりないですよ。素晴らしいなって…まあ、お仕事がお仕事なので、そういうふうになるのでしょうけれども。で、(F-4)ファントムの302に行かれた時にはまだ那覇ですよね?
平川「はい」

画像: 令和4年(2022年)12月10日、翌日の宮古島分屯基地開庁記念行事のために宮古空港へ初展開を果たした。那覇基地から飛来し、宮古空港で給油後、伊良部大橋袂で曲技飛行を実施し那覇基地へと帰る難しい展示飛行を成功させた

令和4年(2022年)12月10日、翌日の宮古島分屯基地開庁記念行事のために宮古空港へ初展開を果たした。那覇基地から飛来し、宮古空港で給油後、伊良部大橋袂で曲技飛行を実施し那覇基地へと帰る難しい展示飛行を成功させた

-----ブルーに決まった時って、ご家族の方はどういう反応されたのですか?
平川「良かったね、行きたかったんでしょ、みたいな」

-----(笑)。そんな感じですか?
平川「はい。私も、行きたい気持ちはありましたけど、別にそんな絶対行きたいと言っていたわけでもありませんし、希望を書いたからといって行けるとは限らないので、行けたらラッキーくらいのつもりでいましたけれども」

画像: 令和4年(2022年)11月 6日、相模湾で実施された令和4年度国際観艦式において展示飛行を実施した。インターネット中継され、各国駐在武官が注視する中、浜松基地よりのリモート展示で世界にその展示飛行を発信した

令和4年(2022年)11月 6日、相模湾で実施された令和4年度国際観艦式において展示飛行を実施した。インターネット中継され、各国駐在武官が注視する中、浜松基地よりのリモート展示で世界にその展示飛行を発信した

----この3年間で、その最初にブルーに決まった頃から今日に至るまでの間、家族の方はどういう反応をされたのですか?
平川「実は初めて見たのが、去年の松島の航空祭の時でして、感動したと言っていました。テレビでは色々取り上げられていましたので、見ていたかもしれないですけれど」

画像: 令和3年(2021年) 4月22日、第70回となみチューリップフェアで富山県民に愛されるチューリップタワーの世代交代に華を添え、展示飛行デビューを飾った

令和3年(2021年) 4月22日、第70回となみチューリップフェアで富山県民に愛されるチューリップタワーの世代交代に華を添え、展示飛行デビューを飾った

-----今、結構テレビとかでね、皆さん映るんであれですけど、僕がこういうの(ブルーインパルスファンネット)を始めた頃はなくて、結構家族の方に喜ばれて、今日(航空祭で)こういうのやりましたっていうと、一応ファンの皆さんのためにやっているのですけど、家族の人が喜んでくれるのだけど、嬉しかったですよね。

画像3: 飛行班長・平川通3等空佐インタビュー
 ~ブルーインパルスファンネットの松島基地訪問記(2/3)~

-----うち(ブルーインパルスファンネット)に来ているファンの人たちに、何かあります?率直なお気持ちとか。
平川「応援していただいていることが、やはり僕らの力になっています。それはメンバーも感じていることだと思います。すべての皆さんに公平にファンサービスできるわけじゃないですけど『飛んでくれてありがとう』という言葉を聞いて、本当にこちらの頑張りに繋がっていますので、その感謝を伝えたいなと思います」

画像: 令和3年 8月24日、東京パラリンピック競技大会開会日には主編隊長として東京上空をパレードパスし、パラリンピックシンボルを空に描いた(原宿にて。前日の予行より)

令和3年 8月24日、東京パラリンピック競技大会開会日には主編隊長として東京上空をパレードパスし、パラリンピックシンボルを空に描いた(原宿にて。前日の予行より)

-----JACKYさん、ブルーインパルスを盛り上げてくれて本当にありがとうございました。どうぞブルーインパルスをこれからも宜しくお願いします。

画像: 令和4年(2022年)12月 4日の百里基地航空祭でF-4EJと長い時間を過ごした百里基地にて第1区分の曲技飛行で凱旋を果たした

令和4年(2022年)12月 4日の百里基地航空祭でF-4EJと長い時間を過ごした百里基地にて第1区分の曲技飛行で凱旋を果たした

 平川3空佐がブルーインパルスをはじめて意識したのは、20年前の松島基地が所在する矢本の居酒屋での出来事からであった。その頃のブルーインパルスは平成12年(2000年)の訓練中の事故で2機の機体と3名の隊員を失い、やっと復活を果たし普通の6機体制に戻ろうとしている時期だった。平川3空佐はまた、インタビューの中で「師匠の後ろで展示飛行を経験したわけではない」と語ったように、手探りで過去の資料や記録に目を通し、全員が航空祭を経験したことのない状態からブルーインパルスを再生させた。その平川3空佐がどういう経緯でブルーインパルスの飛行班長になったのか取材させて頂いた。
 平川3空佐はその任期中「しっかりと継承していきます」と話していた。そのスピリットは残されたメンバーたちに受け継がれ、ブルーインパルスを輝かしいものであり続けさせてくれるだろう。

画像: ラストフライトのプリブリーフィングでは最後まで弟子の川島3空佐と残り二人で話していた

ラストフライトのプリブリーフィングでは最後まで弟子の川島3空佐と残り二人で話していた

 次号では、いよいよ最後となった平川3空佐のラストフライトの様子を、ブリーフィングからフライトまでお送りする。

平川通3空佐(1番機・編隊長)展示飛行リスト

令和3年 4月22日 令和3年度第70回となみチューリップフェア
令和3年 7月23日 東京オリンピック競技大会関連(B編隊)
令和3年 8月24日 東京パラリンピック競技大会関連(A編隊)
令和3年11月21日 第1回東松島市産業祭
令和4年 4月10日 第97回高田城址公園観桜会
令和4年 7月31日 令和4年度千歳基地航空祭
令和4年 8月 7日 自衛隊フェスタ50・70 in 滋賀高島
令和4年 9月 4日 令和4年度芦屋基地航空祭
令和4年 9月23日 西九州新幹線(長崎~武雄温泉)開業イベント
令和4年10月 1日 第77回国民体育大会「いちご一会とちぎ国体」
令和4年11月 6日 令和4年度国際観艦式
令和4年12月 4日 令和4年度百里基地航空祭
令和4年12月11日 宮古島分屯基地開庁記念行事
令和5年 5月28日 令和5年度美保基地航空祭

《取材・撮影》ブルーインパルスファンネット 今村義幸/伊藤宜由/Yuka Miyamoto
《監修》吉田信也
《取材協力》航空自衛隊第4航空団第11飛行隊、松島基地広報班、航空自衛隊航空幕僚監部広報室、航空自衛隊幹部学校、防衛日報デジタル

ブルーインパルスの飛行訓練と日常~ブルーインパルスファンネットの松島基地訪問記(1/3)~
サードの飛行場訓練(飛行班長のラストフライト)~ブルーインパルスファンネットの松島基地訪問記(3/3)~~


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