今年、令和5年(2023年)3月31日、ブルーインパルスは東日本大震災による芦屋基地での移動訓練から帰還し10周年を迎えた。決して安寧ではなかったこの10年を越えて、ブルーインパルスはその日常を取り戻したのか。松島基地を訪問して、その日常を取材した。

ファースト、セカンド、サードの3本の飛行訓練を取材

 この日、令和5年(2023年)7月6日は、ファースト(午前8時頃離陸)で4番機TR*の佐藤裕介1空尉の洋上訓練、セカンド(午前10時30分頃離陸)で5番機TRの藤井正和3空佐の飛行場上空訓練、サード(午後1時30分頃離陸)の全員OR**での飛行場上空訓練が実施された。サードは1番機ORの平川通3空佐(飛行班長)のラストフライトだった。

*TR=Training Readiness、訓練待機。いつでも訓練が可能な曲技飛行操縦者の練成パイロットをTRと呼ぶ。
**OR=Operation Readiness、任務待機。いつでも展示飛行が可能な曲技飛行操縦者をORと呼ぶ。
(戦闘機部隊ではORの意味も曲技飛行ではなく実戦任務となる他、AR=アラート待機の対領空侵犯措置に就ける操縦者の資格もある)

 ここでは3回に分けて、松島基地に配置される航空自衛隊第4航空団第11飛行隊=ブルーインパルスの通常訓練の日常をレポートする。

早朝の全体ミーティングはウェザーブリーフィングから

画像: 3番機ORの藏元文弥1空尉(写真左)が共有情報を説明していく。全員、航空祭のファンサービスでは見られない真剣な表情をしている

3番機ORの藏元文弥1空尉(写真左)が共有情報を説明していく。全員、航空祭のファンサービスでは見られない真剣な表情をしている

 朝6時過ぎに松島基地正門で松島基地広報班の藤江卓弥3空佐と待ち合わせていた。民間企業では考えられないくらい朝が早い。
 パイロット全員がブリーフィングルームに集まり、厳粛な空気の中でブリーフィングが始まった。航空祭で見る展示服といわれる紺のパイロットスーツ(Pスーツともいう)ではなく、航空自衛隊のパイロットが着るカーキ色のPスーツを着用している。
 気象予報官によるオンラインでの天気概況等ブリーフィングに続き、ブルーインパルスパイロットの中では一番若い3番機ORの藏元文弥1空尉が全体で共有する情報を説明し始めた。
 表情は真剣そのものだ。航空祭のファンサービス(サイン会)で気さくに明るく接してくれる彼らを知っているだけに、この粛々とした雰囲気は、空気が凍り付いたようにすら感じられる。取材で立ち会っていることを申し訳なく思えてくるが、取材の有無に関わらず、これが任務に向かう戦闘機パイロット本来の顔だ。それなりに見知ってもらったメンバーもいるが、取材側に対しわからないことがあったら何でも聞いてくれと言ってくれる雰囲気はなく、立ち入る隙はない。真剣勝負の一日がはじまったのだ。

ブルーインパルスの格納庫で整備作業を見学

画像: ブリーフィングと時を同じくして整備は始まっていた。各機、的確な整備項目を実施されているようだ

ブリーフィングと時を同じくして整備は始まっていた。各機、的確な整備項目を実施されているようだ

 パイロットがブリーフィングをしている頃、格納庫ではドルフィンキーパー(整備員、総括班員)の中でも最も多くの人数を占める整備員たちにより、機体の整備作業が始まっていた。
 格納庫にはびっしりと機体が詰まり、それぞれに整備が行われていた。

 どの機体もピカピカだ。IRAN(Inspection and Repairing As Necessary、通称「アイラン」)と呼ばれる、そのメーカーである岐阜県各務原市の川崎重工業(T-4の場合)に戻して実施される航空機定期修理の際に、塗装を剥がしての重整備が行われ再度全塗装されリフレッシュされて戻ってくるとか、現在運用されている機体はT-4ブルーインパルスとしては一度入れ替えられた二世代目の機体であることなど予備知識はあるにしても、そんなこととは関係なく定期整備前であろうがなかろうが、機体の世代交代前であろうが後であろうが、今日まで一度も薄汚いなと思ったことがない。汚れやすい白い部分も青い部分も、とにかくいつ見てもピカピカなのだ。
 これも部隊の練度のひとつとして高く評価されるべきところ。専門家の他国駐在武官ならそこも見抜くはずだ。正に仕事や任務という枠を超えて、彼らの愛情や矜持が物を言わない機体からひしひしと伝わってくるようでもある。

画像: タイヤ交換作業をする整備員。取り付けようとする新しいタイヤの奥に3層のブレーキディスクが見える。

タイヤ交換作業をする整備員。取り付けようとする新しいタイヤの奥に3層のブレーキディスクが見える。

 所定の使用時間を迎えてタイヤ交換が行われている。外されたタイヤと取り付けるタイヤで明らかに溝の深さが違うことがわかる。車軸側には、5ポット、3層ディスク、内側からの片押しキャリパーで構成されるブレーキが待ち構えており、位置を合わせることが難しいという。かなりの時間を掛けて慎重に取り付けていた。
 前輪にブレーキは備わっておらず、自動車とは制動の考え方や構造がまるで異なる。着陸時には前輪が上がった状態で機体を立てて空気抵抗で減速するし、スピードブレーキも背中の板状のものを立ち上げるようになっている。F-2戦闘機のようにパラシュートのようなドラッグシュートという制動傘を持っているものもある。
 この日、東松島市ではそれまで以上の暑さを迎えた。整備員はすでにTシャツ姿で整備しているが、これからの季節、毎日あの航空祭の炎天下の中で仕事をするようなものだ。彼らの献身的な整備作業と貢献があって日常の訓練飛行や航空祭での展示飛行が成立している。

画像: 左エンジン吸気口側面には松島基地帰還10周年のデカールが貼られている

左エンジン吸気口側面には松島基地帰還10周年のデカールが貼られている

 左舷エンジンの吸気口側面には松島基地帰還10周年のデカールが貼付されている。メンバーが右肩に付けるツアーワッペンと同じ桜を基調としたものだが、こちらは“10”がフェニックス・ローパスの1と桜の花弁の0でデザインされている。間近に見て改めて気付く秀逸なデザインだ。
 ブルーインパルスがこのデカールを付けて飛ぶことには大きな意味がある。8月5日(土)には石巻川開き祭りでの展示飛行が実施された。そのメイン会場は今年、やっと震災前の開北橋(かいほくはし)袂に戻った。ブルーインパルスの展示飛行も往年の夕刻だった。先日の東北絆まつりも今年の青森で一巡した。東北復興の節目とも重なったブルーインパルスの帰還10周年は、この帰還デカールを貼って飛ぶことで、ますます、東北とブルーインパルスの絆を深めている。
 帰還デカールの下には、この694号機の整備機付長、盛内駿3空曹(岩手県出身)の名が記されている。パイロットは、この機体に機付整備員の「心」とともに搭乗する。

画像: 満遍ない打音検査を受ける686号機

満遍ない打音検査を受ける686号機

 686号機では機体を叩いて打音検査をしている。音の高さや音色で機体にクラック(ヒビ、亀裂)など異常がないか検知していく職人技だ。こうした細かく丁寧な作業の数々で、機体は常にベストコンディションに保たれる。パイロットが命を預けて最高の曲技飛行を披露する陰で、整備員による日常の整備点検作業が実施されている。
 ブルーインパルスは6機、6人のパイロットで展示飛行を飛ぶが、管制や補給などを含めれば、その何十倍、何百倍の人が関わって飛んでいる。その中で、パイロットを除き、機体に最も近いのが整備だ。ブルーインパルスはそうした人たちの情熱をも載せて飛んでいるのだ。

救命装備員は何でも作ってしまうレア職種

画像: 救命装備室に並んだブルーインパルス専用のヘルメット

救命装備室に並んだブルーインパルス専用のヘルメット

 格納庫の一角に救命装備室がある。パイロットが装着するヘルメットや耐Gスーツなど、救命装備品の数々を維持管理している。ドルフィンキーパーの中でも比較的人数が少ない救命装備員は、レアな職種かもしれない。彼らは裁縫も刺繍もし、塗装やデカールの制作もする職人だ。ブルーインパルスの空自オフィシャルHPには35名のドルフィンキーパーが名を連ねるが、救命装備員は2名しかいない。
 この部屋にある救命装備品もまたピカピカで整理整頓されている。ヘルメットの下にはそれぞれの耐Gスーツなどが吊るされている。写真の一列にはKNUCKLE、KOH、JACKY、BENGALのTACネームが入ったヘルメットが並んでいた。

画像: 8番機のヘルメットを発見。広報班の藤江3空佐のものだった

8番機のヘルメットを発見。広報班の藤江3空佐のものだった

 ブルーインパルスのヘルメットはブルーメタリックだが、通常のグレーのヘルメットにブルーインパルスのデカールが貼られたものもあった。ポジション番号はなんと“8”番だ。総括班長の7番機ヘルメットは知っていたが、なんと8番機のヘルメットが存在したのだ。“CLUB”というTACネームも書かれている。
 この8番機、CLUBのヘルメットは、取材対応をしてくれた松島基地広報班の藤江卓弥3空佐のものだった。先日の菊池風磨君の体験搭乗でも案内役でバラエティー番組に出演済みであるが、以前にもジョブチューンという番組で、T-7操縦課程学生をイニシャル・ソロフライト(初度単独飛行)まで導く教官として登場していた。後日、知友の赤塚聡カメラマンと藤江3空佐の話になり、同カメラマンが撮影に関わった航空救難隊の映画「空へ -救いの翼 RESCUE WINGS-」でも、あるシーンで出演していたとの話を聞いた。
 これまで8番は「ファン」と思っていたのだが、こんな経歴のパイロットが8番を付けるなら、喜んで9番に退こう(笑)。

画像: 訓練用ヘルメットでマイクとマスクのテストをする江口3空佐

訓練用ヘルメットでマイクとマスクのテストをする江口3空佐

 ブリーフィングが終わり、パイロットたちが救命装備室に入ってきた。5番機ORの江口健3空佐(TACネーム・GUCCI)だ。ヘルメットは戦闘機部隊の時から愛用していると思われるHGU-55/PJタイプのものである。江口3空佐の使っているもので無線とマスクの動作チェックをしているという。

ステップで訓練飛行へ

画像: 川島良介3空佐(右)を先頭にステップして機体へと向かう

川島良介3空佐(右)を先頭にステップして機体へと向かう

 いよいよファーストの飛行訓練だ。パイロットたちが“ステップ”して機体へと向かう。航空祭でもパイロットが機体に向かう時刻を「ステップは○○時●●分」と言って時程を管理している。
 ファーストは4番機TR・佐藤裕介1空尉の金華山沖洋上訓練だ。

画像: 機体に着いて整備員と敬礼を交わす

機体に着いて整備員と敬礼を交わす

 機体に到着すると、機体の準備をしていた機付整備員と敬礼を交わす。展示飛行と違う点は、展示服を着ていないことや、展示飛行であればウォークダウンの後に身に付ける耐Gスーツを既に着用していることだ。

画像: 整備記録簿にサインする佐藤1空尉

整備記録簿にサインする佐藤1空尉

 敬礼が終わると、整備記録簿を確認し署名する。署名するのは前席に搭乗する機長の佐藤1空尉だ。
 パイロットは機付整備員から機体を受け取り、その心とともに搭乗する。表情は真剣そのもの。整備記録簿へのサインはまさにその引き渡しの瞬間だ。

画像: 機付整備員とともに機体の下までチェックする佐藤1空尉

機付整備員とともに機体の下までチェックする佐藤1空尉

 機付整備員の支援を受けながら機体をチェックしていく。これも前席で操縦する佐藤1空尉が主体となって行う。後席には指導教官の4番機OR・手島孝1空尉が搭乗する。フライトの責任は機長の佐藤1空尉にある。整備記録簿へのサインやこの搭乗前点検も機長の責任を明確にしている。

画像: インターコムも併用してエンジンスタート

インターコムも併用してエンジンスタート

 ウォークダウンなしでプリタクシーチェック(飛行前点検)が始まった。航空祭の展示飛行では整備員とパイロットがハンドシグナルで、このプリタクシーチェックと呼ばれる地上滑走前のエンジンスタートや動翼のチェックを行っていく。この訓練ではインターコムを繋げてハンドシグナルと通話を併せてプリタクシーチェックの手順を進めていた。
 ウォークダウンありの訓練では、インターコムを使わずに、航空祭と同様にハンドシグナルのみで進めるようだ。

画像: タクシーアウトして金華山沖訓練空域へ

タクシーアウトして金華山沖訓練空域へ

 プリタクシーチェックが終わりタクシーアウトしていく。訓練ではあるが、こちらも手を振って見送りたい。片手でカメラを持ったり、撮るのを諦めて手を振るなどは航空祭と変わらない。パイロットも手を振って応えてくれた。

ブルーインパルス・ミュージアムを見学

画像: ブルーインパルス・ミュージアムに展示されている松本喜八郎氏の絵画

ブルーインパルス・ミュージアムに展示されている松本喜八郎氏の絵画

 金華山沖へ飛び立っていったブルーインパルスを見送った後、第11飛行隊庁舎1階にあるブルーインパルス・ミュージアムを見学した。松島基地見学コースにおいて、悪天候時等に案内されることもあるという。
 この部屋もまた津波被害で浸水した。ほとんどの展示パネルや展示品は変わっていた。しかし、F-86F、T-2、T-4の歴代ブルーインパルスを描いた絵画は、展示されている壁の位置こそ変わっていたが、生き残っていた。この部屋に入るのは18年ぶりだ。この絵画を見られたことはブルーインパルスの機体や格納庫が存続したのと同じくらいに嬉しい。そのせいか初めて見た時よりも鮮やかに美しく見えた。

画像: 松本喜八郎氏デザインによるF-4記念塗装機。2003年の新田原基地にて

松本喜八郎氏デザインによるF-4記念塗装機。2003年の新田原基地にて

 この絵画は空自新田原基地の航空自衛官であった松本喜八郎氏によって描かれた。新田原基地航空祭のポスター画を描かれていることで有名だが、平成15年(2003年)の当時新田原基地に配置されていた第301飛行隊の記念塗装機をデザインしたことでも知られている。

画像: 2005年頃のブルーインパルス・ミュージアム

2005年頃のブルーインパルス・ミュージアム

 平成17年(2005年)頃のブルーインパルス・ミュージアムの写真が残っていた。米空軍サンダーバーズから寄贈されたパネル、国際航空宇宙展の横浜での展示飛行、日韓W杯日本初戦での4機での航過飛行、長野五輪のポスターなどが見える。この他にも英空軍レッドアローズをブルーインパルスが視察に行った時の記念写真なども展示されていたのであるが、ほとんどがなくなっていた。それだけに松本喜八郎氏の絵画が残っていたことが余計に嬉しく感じられる。

セカンドの飛行場訓練へ

 セカンドは飛行場訓練だ。そのプリブリーフィングが始まる。このセカンドは、ZEEKの飛行場上空訓練がメインとなり、2番機なしの5機で訓練する。ZEEKは5番機TR・藤井正和3空佐のTACネームだ。ここではブリーフィングやフライト中にパイロットが呼び合う雰囲気を感じてもらうために、TACネームで敬称なしで記述する。

画像: 飛行場上空訓練の留意すべき点を指導するDO(飛行指揮所幹部)のJACKY(飛行班長の平川通3空佐=右)

飛行場上空訓練の留意すべき点を指導するDO(飛行指揮所幹部)のJACKY(飛行班長の平川通3空佐=右)

 DO(飛行指揮所幹部)から、天候上の留意点が説明され、百里がIMC(計器気象状態)であることからオルタネート(松島飛行場に降りられない場合の代替飛行場)を八戸に設定すること、この日列線には6機が並び、2番機なしの5機訓練で残る1機を予備機に使えること、プリタクシーチェック時にいずれかの機体がアボート(訓練中止)した際の予備機への乗り換えの留意点、4番機が2番機のポジションに入る際のジョインナップ(空中集合)に留意すること、ZEEKがファーストの洋上でも飛んでいるが久しぶりの飛行場訓練であること、取材などが入っているがフライトでは集中すること、などが指示された。

画像: 1番機、編隊長のBENGAL。全体の課目構成や訓練の進め方を決定しリードするフライトリーダーだ(7月10日付で飛行班長に就任)

1番機、編隊長のBENGAL。全体の課目構成や訓練の進め方を決定しリードするフライトリーダーだ(7月10日付で飛行班長に就任)

 搭乗メンバー全員で起立し一礼した後、1番機・編隊長のBENGAL(川島良介3空佐)がブリーフィングをスタートした。最終的にフライトを決心するのは編隊長だ。フライトの開始時間、オルタネート、天候、ステップをフライト開始の25分前にすること、ウォークダウンはなし、テイクオフはインディビジュアル、キャノピークローズはタクシー中に行うが風が強いため一度停まって行うこと、離陸前のラインナップ(滑走路での離陸滑走前の整列態勢)は3機が前に並ぶこと、離陸後にZEEKが行う天候偵察は飛行場の北側で実施すること、現在の雲の留意点、などを指示し確認した。
 続いて、手元にあるミッションカードを見ながら、一課目ずつ流れを確認していく。

画像: 4番機がポジションを変更する課目を説明するIKKI

4番機がポジションを変更する課目を説明するIKKI

 2番機なしの訓練のため、その隙間を埋めるためにポジションを変えて飛ぶ課目もある。
 三角形のデルタ隊形では、1番機の後ろ中央に位置する4番機が、左翼側2列目に並ぶ2番機の位置に替わって飛ぶ。こうして置き換える課目のすべてを4番機ORのIKKI(手島孝1空尉)が確認していく。

 機数が減った場合の訓練をブルーインパルスは常に行っている。これは年間の訓練計画の中で常に6機で飛ぶことを前提とせずに各機の訓練を進めていけることや、展示飛行の本番でも何らかの理由で機数が減っても見栄えを優先した展示飛行を継続できる訓練がなされていることを意味する。

画像: 4番機が2番機の位置に繰り上がり、デルタ隊形を傘型隊形に替えてデルタ・ロールしている

4番機が2番機の位置に繰り上がり、デルタ隊形を傘型隊形に替えてデルタ・ロールしている

 デルタ・ロールではデルタ隊形の一番外側となる5番機と6番機は、1番機の横転に合わせ機体を浮き上がらせて(5番機)あるいは沈み込ませて(6番機)回転する。この最も難しい機動に4番機が代わりに入って実施できるところがブルーインパルスの真骨頂だ。

画像: ボントン・ロールの進入。通常、左舷後列に位置する5番機が繰り上がって2列目にいる(写真・伊藤宜由)

ボントン・ロールの進入。通常、左舷後列に位置する5番機が繰り上がって2列目にいる(写真・伊藤宜由)

 置き換え方が違う課目もある。ボントン・ロールで5番機のZEEKが2番機の位置に繰り上がった。この点もIKKIとZEEK、そして全員で確認していた。

画像: チェンジ・オーバー・ループでは2番機が空いたままの隊形で飛ぶ(写真・伊藤宜由)

チェンジ・オーバー・ループでは2番機が空いたままの隊形で飛ぶ(写真・伊藤宜由)

 ファンブレイク、チェンジ・オーバー・ループ、4シップ・インバートなどは4番機のポジション組み替えを行わずに実施されていた。その課目のセットの仕方やリスクなどでやるべきかやるべきではないかを決めているようだ。

画像: バック・トゥ・バックを宣言した5番機のZEEK

バック・トゥ・バックを宣言した5番機のZEEK

 ZEEKから、ハーフ・スロー・ロールやダブル・ナイフ・エッジなど5番機、6番機が2機で行う可変される課目について、この日はバック・トゥ・バックで行うことが決定された。

画像: 5番機ZEEKが決定したバック・トゥ・バック(写真・伊藤宜由)

5番機ZEEKが決定したバック・トゥ・バック(写真・伊藤宜由)

 課目の流れを確認し終えると、ふたたびBENGALに戻り、予備機への乗り換え要領や、上空でのトラブル(故障、鳥との衝突など)対処として何番機がトラブル機にチェイス(追随)し機体の外観点検等をするのか、また今回はZEEKが飛行場訓練へステージが進んだがまだまだ初期段階であることへの留意事項などを指示した。訓練高度も実際の展示飛行より高くして実施することを確認した。

 そして、ボントン・ロールのタイミング合わせを前席に乗るパイロットで行った。
 その後、第1編隊の1、3、4番機と第2編隊の5、6番機に分かれてそれぞれの細部を確認してプリブリーフィングが終わった。

画像: プリブリーフィングでのボントン・ロールのタイミング合わせ

プリブリーフィングでのボントン・ロールのタイミング合わせ

 フライト後にディブリーフィングが行われた。プリブリーフィングと同じようにDOが全体の見栄えや細かい課目ごとの感想を説明し、その後、全員や各ポジションで細部の確認や反省を行っていた。

 次号では、飛行班長の平川通3空佐インタビューの様子を紹介する。

画像: 5番機TRの飛行場訓練から戻ってきた5機(2番機なし)のブルーインパルス

5番機TRの飛行場訓練から戻ってきた5機(2番機なし)のブルーインパルス

《取材・撮影》ブルーインパルスファンネット 今村義幸/伊藤宜由/Yuka Miyamoto
《監修》吉田信也
《取材協力》航空自衛隊第4航空団第11飛行隊、松島基地広報班、航空自衛隊航空幕僚監部広報室、航空自衛隊幹部学校、防衛日報デジタル

飛行班長・平川通3等空佐インタビュー ~ブルーインパルスファンネットの松島基地訪問記(2/3)~
サードの飛行場訓練(飛行班長のラストフライト)~ブルーインパルスファンネットの松島基地訪問記(3/3)~~


This article is a sponsored article by
''.