さて、今回のテーマは特攻。特別攻撃・特殊攻撃の略です。元々は普通の攻撃以外のものを特攻といったそうなのですが、現在多くの人に知られている意味で使われ始めたのは神風特攻隊からなのだとか。つまり、自爆……死ぬ前提での攻撃ですね。
現在の価値観から考えるとかなり非人道的ですが、当時の日本はかなり追い詰められていました。デッドオアアライブという言葉がありますが、日本はその時「ここから巻き返して勝つか玉砕か」でした。もちろん降伏の二文字は辞書から消しました。
そこで思いついた作戦が「どうせ死ぬなら敵も道連れにして死んでやろう」というもの。これが特攻でございます。
人道面から見ても効率面から見てもよした方がいいこの作戦。しかし純粋な火力という物理面、そして倒しても倒しても最後になるまでどんどんやってくる恐怖、捨て身の日本人に相手は精神面も削られたのです。確かに日本人だからこそ特攻は恐ろしく悲劇的なものという側面が強いですが、相手からしてみればものすごく怖いと思います。玉砕の精神、そもそも他の国からしてみると「えっなんで……?」って思う人の方が多いんじゃないでしょうか。
ともあれ特攻、そこそこうまくいってしまいました。そう、そこそこ。そのせいで最後の最後までこの特攻は続けられ、多くの若者が命を落としたのです。「すごくうまくいった!」ではなく「まあまあ削れてる!」なのでもちろん起死回生ということもなく、結果として日本は敗北しました。
ちなみに本や資料によって違うのが、「そもそも特攻兵は志願だったのか?」という話。話によっては「みんな志願するから逆にこちらから選んでいた」と言われ、中には「同調圧力で仕方なく」「皆が志願しているので」「幼少からそういう教育だったから」「パワハラ」という場合もあるそうです。ちなみに軍事教育を幼いころから受けていた兵に関しては、「純粋だから乗せやすい」みたいな意見もあったのだとか。えげつない。ひどい。やめよう!教育の皮を被った洗脳、暴力、同調圧力。
それでは特攻についておさらいしたところで、本の紹介です。
「神風特攻隊の出撃 太平洋上の死闘」(著:高木俊朗)
以前も紹介したことがありますが、児童書というのはなかなかどうして侮れません。少年少女にもわかりやすいように綿密に練られ創り上げられている時点で、入口の資料としても再理解への糸口としても心強い味方になってくれるのです。
しかも作者はあの高木俊朗氏。インパール作戦シリーズや「ルソン戦記 ベンゲット道」、特攻についての本も手掛けた作家さんです。
1969年に発刊されたこの「太平洋戦史」シリーズは全六巻。他にも真珠湾、零戦、連合艦隊、大和、原子爆弾といったテーマで六人の作家さんが執筆している、小中学生向きに出されたシリーズです。今回はその中の第四巻。
さて、注目すべきはこの本、特攻に関する事だけを書いているのではありません。特攻に至るまでの流れまできっちり書くことで、「どうしてそれをする流れになってしまったのか」がわかるようになっています。
また、「玉砕」という言葉が齎したものについても解説。冷静に解説していますが、じっくり読むと著者の感情と言いますか、押さえきれない激情が見え隠れしていることに気づきます。それがまた、特攻というもの、戦争というものに対してのやるせなさや怒り、悲しみといった感情を膨らませ、考えるきっかけとなるのです。
幼いころから軍事教育を受け、「お国のために立派に散華するのは名誉である」と信じ込まされて育ち、自分から積極的に特攻に志願するというのはなんとも……と言う複雑な気持ちになります。現在の価値観だけで過去を断じるのはよくないですが、かといってそんな洗脳じみた教育を肯定することなんてできません。そう思うと、この小中学生向けに出された「太平洋戦史」シリーズはまさに教育のやり直し、といっても過言ではないのかもしれません。難しいことではあるけれど、小さいうちから正しいことを教えることで知識に対する土壌が豊かになると思うので………
ただ、資料の偏りがあったり強い思想に引っ張られたりすると途端に洗脳が顔をチラつかせてしまうのが難しい所ですね。教育も正しさも正解はなく、けれど教えることが次世代の育成につながる………本当に難しい………
ちなみにあとがきが個人的に色々な戦記物や本にも関係ある話だと思ったので、ちょっと抜粋します。
「戦記や戦史を読むときに、注意しなければならない事が、もうひとつある。それは、戦争当時の軍人のつかっていた字句や文章の書き方である。
軍隊や軍人のあいだでは、特別の字句や文章がつかわれていた。それは、軍人以外の者が読むと、むずかしいし、意味が分かりにくい。
よくつかわれる例だが、軍隊で”転進”というのは、ふつうにいえば”退却”とか”にげる”ということだ。ところが軍隊では、”退却”という字句は見方にはつかわない。それは、負けてにげるようなことは恥だから、それをかくすためであった」
「軍用語を使うと勝ってるのか負けているのかさっぱりわからない」「玉砕というとはなばなしく、負けていない印象を与える」と続くのですが、これは本当にその通りかもしれません。職業柄色々な文章を読むのですが、昔になればなるほどわからない単語が大量に出てくるもの。ついでに旧字も難しい。いったい何度手書き漢字検索で読み方を探し、難しい単語の意味を探して「もっと簡単に言ってほしい……」となったことか。
そういえば永遠の図書室に欠かせない存在である、元陸軍大尉であり図書室の蔵書の持ち主であった故・飯塚浩氏も、手記内で「わざと難しい言葉を使うことで『自分たちはエリートだぞ』というアピールをしていた。今考えると恥ずかしい(要約)」といったことが書いてあったりもしました。言語もまた己を守る鎧………
ちなみに児童書だと、こちらの本もおすすめです。
「白い雲のかなたに 陸軍航空特別攻撃隊」(著:島原落穂)
こちらは1985年発刊、小学校高学年向けに出された書籍です。この本、戦争の終了から四十年目に出されたのもポイント。当時の人々にとってまだまだ、戦争は歴史ではなく過去の領域だったのです。
とはいえ戦争から四十年という数字は当時からしてみれば大きいもの。今まさに戦争に関する記録が風化されているように、このころからすでに風化は始まっていたのです。
この「白い雲のかなたに」は、著者自身から見た戦争のすがた、特攻をたずねて各地を歩き感じたもの学んだもの、戦争体験者たちへのインタビューが収録されています。
しかしただのルポルタージュではなく、著者である島原さんの優しさが地の文から滲んでいるのがとても好印象です。お話を聞く時も相手に対して経緯を払っていてとても穏やかで、語ってくれる人もまた哀しく、悔しく、恐ろしい過去でも「この人なら」と信じて語って聞かせてくれている印象を持ちます。
小学生高学年向け、という前提だからこそ柔らかくしている点はあるかもしれませんが、それでも知ってほしいこと・教えるべきことについてはきっちり要点を押さえているのも良く、これは年齢関係なく読んで欲しい本だな……と思います。
さて前述で教育の話をしましたが、けして洗脳やお国のためだとか同調圧力だとかではない「志願」の話も出てきました。ちょっと抜粋します。
「この前、遺品館に行った時、教育のせいだと言っていた人がいましたけど、私はそうは思いませんねえ。日本人の性格だと思いますよ。私も飛行機乗りにあこがれましたけど、教育のせいじゃなくて、機械が好きだからです。兄貴も、教育に踊らされて飛行機乗りになったなんて、思いたくありませんねえ。飛行機が好きだったんですよ。」
こういう個人の目から見た志願の理由が読めるだけで、十分な価値があります。個人的には志望動機には教育があり、同調圧力のようなものがあったと思っているし、そこふたつに関しては批判めいた気持ちも湧くのですが、確かにそれがすべてであったわけではないのです。それに他人の純粋な「好き」という感情を否定なんてできなくて、またんんん……と頭を捻ってしまうのです。特攻の話は難しいことだらけなのです。
「九軍神は語らず」(著:牛島秀彦)
あらすじ。真珠湾で散った特別攻撃隊には、「九軍神」という称号が与えられた。
真珠湾特攻の真実、そして「軍神」賛美と遺された家族たちの悲痛な叫びを描くノンフィクション作品。
このコラムで何度も書いていますが、人間を神様にしてしまうことというのは案外簡単です。現世に生きる人物が祀ったり神様扱いをしてしまえば、それはもう神様になってしまうのです。
しかしそれは、逆に言えば人間扱いをしていないということ。ならば家族が勝手に神様にされてしまったとき、遺された者はどんな顔をすればいいのでしょうか。
この「九軍神は語らず」では、遺された家族たちへのインタビュー、そして真珠湾特攻に関する資料と背景、情報から編まれている一冊です。勿論資料としても興味深い作品ですが、やはり家族の話、というのは唯一無二のもの。彼ら彼女らのその時感じた思いや体験というのは、いかなる時代も真摯に向き合わなければいけないものだと思うのです。
とはいえ、読んでいてやるせなくなるのもまた事実。どうしてこんな若い青年が命を落とさなきゃいけなかったんだ………どうして無遠慮に「神様が生まれた家だ」なんてお参りをされなければいけなかったんだ……と蔓延していた当時の空気に、その中に生きていた人々の事を思うと胸が苦しくなります。
散って行った多くの若者としてではなく、亡くなったひとりの若者、という個人にスポットを当てたこの本。周りから神にされた青年たちと神が生まれた家の者としてのレッテル。このふたつの存在があったことを、ぜひたくさんの人に知ってほしい。そんな本です。
作中の、「俺は海か空のものになるよ」という言葉がまだ頭から離れません。
さて、今まで扱ってきたのは散ってしまった兵士たちに関連する本。しかし最後に紹介するこの本は、あの中において生還した兵士たちに関連する作品です。
「不時着 特攻ー『死』からの生還者たち」(著:日高恒太朗)
「特攻隊員は死の恐怖を克服し、国のために死んでいった」と幼いころから聞かされていた著者。しかしある日生還した特攻兵の手記を読んだことから一変。彼らの事を深く知るための長い長い取材の旅が始まった………。
七編の短編からなるルポルタージュ。
「特攻という言葉には悲壮美が漂っている」。
本文の中の引用です。若い彼らが国のためという高潔な精神を以て散っていったことに、ある種の美しささえ漂っているというもの。確かに他の本にも、当時の日本人がそこに美を見出す精神があった記述がちらほら見受けられました。
しかしそこに疑問を感じたのが、戦後生まれである著者。昔こそ「戦後生まれの書いた戦争の本」というだけで批判する人もいたようですが、いまや戦後生まれの方が大多数の現在。生の声はもちろん貴重ですが、戦後だからこその着眼点は確かにあるのです。
特攻を美談にすることに、今現在を否定することに疑問を感じたからこそこの本があります。
死に近づいた著者だからこその視点、向き合う事の大切さ、生き残った特攻隊員たちの重い口から語られる告白。胸に迫り、そして抉られる体験はこの本の唯一無二なのだと思います。
戦後生まれだからこそ書けたものは、同じく戦後生まれの我々にこそ響くものがある。
戦争で亡くなった人たちの過剰な神格化や美談に疑問を覚える人こそ読んでいただきたいですね。
さて、ここまで長々と書いておいて特攻についてのまとめが思いつかない。あっちで否定された感情はこっちで肯定され、逆もまた然り。いったいどこに特攻についての考えの正解があるのかと悩みましたが、そもそも戦争というもの事態、戦後80年経った今も議論されていることであり、語り継がれていることであり。それと同時に、「不時着」にもありましたが利用されていることでもあります。言ってしまえば神格化も、また利用のひとつです。
歴史は人を利用するためでも、ましてや傷つけるものでもありません。
何が正しくて何が正しくないのか。そこに辿りつくのは難しい道のりではありますが、特攻のことを知れば知るほど、戦争のことを理解すればするほど、それを利用することの愚かさに気づくことができるのではないでしょうか。それと、答えのない問いに勇気をもって向かい合う大切さも。
※作中の飯塚浩氏の詳細はこちら
→飯塚浩氏の紹介|永遠の図書室Webページ
氏が書いた手記の朗読動画はこちら。難しい用語の解説も入れてあります
→永遠の図書室YouTubeチャンネル
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