どうあれ何か一つの物事について書くときは、まず書く前に下調べをしてから書く人は多いと思います。
しかし、下調べだけですべてがわかるものではなく。わからない部分という名の穴は、想像で埋めたり、別の描写を濃くする事で穴をわかりづらくしたりしますよね。物を書く人にとって、穴への下調べのスタイルも穴への向き合い方も人それぞれだと思います。
「戦記文学」というジャンルはここから
そんな中で吉村昭(あきら)先生というのは、丁寧にその穴を埋めていくタイプ。綿密な取材、資料整理、調査によって文章を構築し、平らな道を作っていく作家さんなのです。またいくつもの作品が映像化されており、「戦記文学」というジャンルを作った人でもあるーーーーとのこと(Wikipedia調べ)。
著者シリーズ第一回からすごい人が来てしまったような気がします。それでは、前置きはここまでにして、棚を見てみましょうか。
吉村昭先生は多種多彩な文学を書かれる人なのですが、まず最初にご紹介するのは記録文学であるこちら。
「関東大震災」
大正十二年に起きた未曽有の大災害、関東大震災について書かれた作品。
地震というものは恐ろしいものです。建物が崩れ、大地に亀裂が走り、大きな火災を起し……数々の文献・体験者の声を集めて書き上げたのだ、とあとがきに書かれているだけあり、「記録」の描写に余念が無いのです。
読んでいるうちに災害への恐怖と生々しいまでの記録に打ちのめそうになることも。
個人的に気になったのは、地震が起こった直後の様子。群衆は驚くほど沈着で、騒ぐ者もなく平静であったと言います。思えば「直後」というものはそうなのかもしれません。状況というものが浸透し始めた頃、その平静さは崩れ、流言飛語は飛び交い、強盗も盗みも当たり前、暴行も殺人も横行し、死と隣り合わせの恐怖が襲ってきたのです。
関東大震災においての恐怖は、自然災害だけではありません。それは流言飛語により、朝鮮人、日本人を多く殺害した「自警団」もまた恐怖のひとつでした。
人間は集団になると強い力を持ちますが、それは冷静な時だとか、条件がそろっている時に限ります。恐怖や不安といった感情に襲われ、ガタガタの状態で集団になってしまうと何をしでますかわからない………これに関しては古今東西問わず、人間というものはそういうものだと思います。
ましてや「自分たちのしていることは正義である」なんて思い始めたらもう止まりません。この惨状を「関東大震災」では濁さずに、きちんと向き合って書いています。
恐怖がいかに人間を狂わせるのか。難しいことかもしれませんが、どんな状況でもデマに踊らされずに冷静に在りたいものですね。今の状況にも言えることですが。
戦争関係について紹介する事の方が多いこのコラムですが、関東大震災もまた近代史の中の出来事のひとつ、かつ「地震」という時と場合を選ばない自然災害は自分たちにも深く関係のある事です。防災と近代史について学びたい方におすすめですよ。
続いて紹介するのは随筆、エッセイでございます。そうです、吉村先生はエッセイも書いてしまうのです。多才だなあ……と言うところで二冊目を紹介。
「昭和歳時記」
子供の名付けというのは、各家庭によって違います。意味も含めきっちり考えている所もあれば、流行で付ける場合もあります。吉村先生の場合、「昭」という名前は「昭和に改元したタイミングだったから」のようで。吉村先生だけではなく、その時期に生まれた子供には昭という漢字を使う名前が多かったのだそうです。令和も「令児くん」とか「美令(みれい)ちゃん」とか、そういう気持ちで付けられた子もいるかもしれませんね。
さてそんな「昭和歳時記」は、昭和の一文字を授かった先生による、昭和という時代について書かれたエッセイ集です。吉村先生の作品をどれでもいいから手を出してみたい!という人には入口としてかなりお勧めしたいですね。読みやすくさっぱりと、かつ穏やかに流れる生活の空気を文字にしたような雰囲気があり、ここでも文章の丁寧さが読者をいざなってくれます。
昭和を生きた一般人の暮らしや風俗といった、細かい部分の事を知りたいという方にはうってつけだと思います。蛙を食べた話、ラジオ放送の話、金魚の話、夜汽車の話……以前「随筆」回にて「エッセイのなんともいえない心地よさ」の話をしましたが、この昭和歳時記もまた読んでいて同じものを感じました。戦争の苦しさと生活の空気、それらが混ざり合って何とも言えない味になるのです。永田力さんの挿絵も好き。
それと、きっとこの本が発刊された時にあったであろう「今と比べて戦前は良かった」という風潮をきっちり否定してくれているのも嬉しいですね。
結構昭和の終り頃に書かれたものって過剰なまでに過去の美化と現代の若者への卑下が多いので、読んでいて心がどうにも苦しくなってしまうのですが………
吉村先生は昭和という時代を大事にしながらも、過去を美化せず、変わりゆくものも良とする。そんな言葉があるだけで、今の世を生きている自分にとってはなんだか嬉しくなるのです。
では三冊目に紹介するのは小説です。本当に文章のジャンルの幅が広いですねこの人…………
「遠い日の戦争」
正義と悪というものは表裏一体だと言われています。またちょっとぴりついた表現をするのなら、手のひらをくるくる返すのなんて簡単なこと。
思想を貫くことは難しいのに、周囲によって正義の概念を被せられるのも脱がされるのもひどく簡単なことなのです。
さて、この長編小説「遠い日の戦争」のあらすじです。
福岡の西部軍司令部の防空情報主任であった主人公は昭和20年8月15日、米軍の捕虜を処刑しました。
しかし、敗戦により状況が一変。主人公は戦争犯罪人として断罪され、逃亡を始める………という話。
吉村先生の丁寧さは小説でもいかんなく発揮されています。丁寧だからこそ描写に余念がない。余念がないということはつまり、しんどい。
敗戦が人々の意識を、日本をどう変えたのか。正義とは何か、悪とは何か。何をもって、人は人を裁くのか。背景(時代)をひたすら考え、その「背景」を走り、翻弄される主人公の姿を最後まで読者は追うことになる………その緊迫感と時代の波を読むのは、なかなかカロリーがいります。しかし文体によってそれが緩和されているので、ページを捲る手は止まらないのが作者の凄さ。せめて幸せになってくれ清原………
さて今回は三冊、ノンフィクション、エッセイ、小説という部門から本を紹介させていただきました。しかし、今回紹介したのはほんの一部。「一杯だけじゃない、いっぱい食べたい!」という腹ペコ読書家な方には吉村作品スペシャルセットをご紹介。それがこちら、一冊一冊が分厚い「昭和の戦争」シリーズ!
「吉村昭 昭和の戦争Ⅰ 開戦前夜に」
(収録作:「零式戦闘機」「戦記と手紙」「大本営が震えた日」ほか)
「吉村昭 昭和の戦争Ⅱ 武蔵と陸奥と」
(収録作:「戦艦武蔵」「城下町の夜」「陸奥撃沈」ほか)
「吉村昭 昭和の戦争Ⅲ 秘められた忠実へ」
(収録作:「深海の使者」「海軍甲事件」「海軍乙事件」ほか)
「吉村昭 昭和の戦争Ⅳ 彼らだけの戦場が」
(収録作:「逃亡」「月下美人」「背中の勲章」ほか)
「吉村昭 昭和の戦争Ⅴ 沖縄そして北海道で」
(収録作:「殉国 陸軍二等兵比嘉真一」「海の柩」「手首の記憶」ほか)
「吉村昭 昭和の戦争Ⅵ 終戦の後も」
(収録作:「遠い日の戦争」「プリズンの満月」「最後の特攻機」ほか)
ノンフィクション、戦争文学、戦争についての思考、様々な「吉村昭」作品を一気に味わえるシリーズです。先ほど紹介した「遠い日の戦争」も収録されており、「大本営が震えた日」や「深海の使者」など、今回紹介しきれないけれど当館の棚におさまっている、という作品もこの中に収録されています。
「深海の使者」を書いた後に送られてきた読者の手紙と関連エピソードや、上野動物園での猛獣処分について書かれた「動物園」(四巻収録)、樺太での看護婦集団自決を書いた「手首の記憶」(五巻収録)など、苦しさもままならさも、ひととひととの繋がりも、昭和から、戦争から逃げずに書かれている………吉村昭という人物の昭和を見つめる目は誠実だな、と思うのです。
いつもより多く書いてしまいました。
どの作品も個をきちんと扱っている。ひとつひとつの声を丁寧に拾い上げ、文字を積み上げ、やがて文章になり文学になる。淡々としたやさしさが書く戦争は、読者の心に何年経っても残り続けるのだと思います。
アクセス
永遠の図書室
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電話番号:0470-29-7982
営業時間:13時~16時(土日祝のみ17時まで) 月火定休日
システム:開館30分までの滞在は無料、それ以降は一時間ごとに500円かかります。
駐車場:建物左側にあります、元館山中央外科内科跡地にお停めできます。
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