注)本記事は、小河正義ジャーナリスト基金助成金を受け、ブルーインパルスファンネットの調査研究部会の活動として、航空ファン誌の航空祭記事などでご記憶の方もおられるかと思いますが、サイエンスコミュニケーションの研究者やカメラマンとして活躍された藤吉隆雄氏により作成されたものです。不明点は継続して調査を進めますので、当時の資料や記憶がある方はぜひご連絡ください。
(注・ブルーインパルスファンネット 管理人 今村義幸)
2020年3月20日の東京五輪聖火到着式での展示飛行で五輪を描くためにカラースモークが使われた。実に20年以上ぶりのカラー展示だ。五輪は風に吹き消されてしまったが、この特別な1回のためにカラースモークは再開発されたわけになる。その後の展示飛行で、カラースモークは現在のところ使われていない。もし今後の展示飛行でカラースモークが使われるようになれば、カラー復活の起点が五輪聖火到着式であったと記録されるはずだ。
聖火到着式でのカラースモークは、目撃した全ての人の心に衝撃的記憶を残したはずだ。式典の全国テレビ中継により初めてブルーを見た人、近年のブルーの人気上昇の流れで注目していた人、1990年代までのカラースモークに馴染んでいた古くからのファン、そして多くの関係者が、さまざまな思いを抱いたはずだ。その思いは記録されているか。その思いは記録として残るか。思いの集合体がいわば世論であり輿論である。言い換えれば、思いの記録集は社会の記憶の正史である。ブルーインパルスを見た記憶は、社会の正史として残るか。今まで残ってきたのか。
残念ながら、ブルー創設期から20年ぐらいの記録は不明確な点が多い。F-86Fブルーには545回の公式展示がリストされているが、基地公開以外で実際に飛んだ記録はリストしか残っていない事例が多いのだ。例えば、現在の日本モンキーセンター/モンキーパーク地区(愛知県犬山市)で1959年に実施したとされているブルーの前身“チェッカーブルー”フライバイチームの基地以外での初の展示飛行の写真を見た方はいるだろうか。思いの記憶どころか、事実の記録すら危うい状況になっている。その危機意識から、ブルーインパルスファンネットでは調査研究部会を立上げ、過去の展示飛行の記録・記憶・写真を発掘するプロジェクトを始めることにした。このプロジェクトは、小河正義ジャーナリスト基金の支援を受けスタートさせる。
得られた記録資料・記憶証言・写真は、本連載のほかに、学会発表、学術論文などを併用して発表していく。本プロジェクトは、小河正義ジャーナリスト基金審査委員会により「ブルーインパルスの社会史」との別名を与えられた。皆様のご協力も得つつ、さまざまな忘れられた歴史を発掘していきたい。
(文・ブルーインパルスファンネット 調査研究部会 藤吉隆雄)
< 連載2回目に続く >