隊員は北海道で東千歳駐に次ぐ約3000人。雪に覆われ、凍てつく厳しい寒さの中、この冬も日夜、さまざまな活動に汗を流している。
旧陸軍第七(しち)師団の流れをくみ、明治の開拓期に札幌から旭川に移駐。それとともに、街が形成された歴史があり、北北海道の拠点・旭川市の発展にも大きく寄与してきた。まさに、「旭川の街と市民とともにある」と宮﨑司令が胸を張る駐屯地なのだ。
そこには、強い団結心を持ち、地域と一体となり、一面に広がる雪景色を溶かすかのように、日々の活動に邁進(まいしん)する熱き隊員たちの姿があった(編集部・河合恵、写真も)。
陸自2師団
師団長は冨樫陸将。最新鋭の北鎮師団。陸自の中でも最新鋭の装備を有し、旭川市に所在する師団司令部を始め、名寄・遠軽・留萌・上富良野に駐屯している。
郷土の防衛を全うするため日夜訓練に励むとともに、新たな任務として海外における国際平和協力活動でも活躍している。編成は、5個駐屯地、16個の指揮隷下部隊からなる。
【旭川地区】旭川駐=2特科連隊▽2後方支援連隊▽2高射特科大隊▽2施設大隊▽2通信大隊▽2情報隊▽2飛行隊▽2特殊武器防護隊▽2師団司令部付隊▽2音楽隊
【名寄地区】名寄駐=3即応機動連隊▽2偵察隊
【遠軽地区】遠軽駐25普連
【留萌地区】留萌駐26普連
【上富良野地区】上富良野駐=2戦車連隊▽2舟艇対戦車中隊
「機動師団」に改編 即応展開へ
2師団と旭川駐屯地の歴史 旧陸軍第七師団(明治33年~昭和19年)にさかのぼる。練兵場跡地に真駒内で創設された第2区隊が昭和28年に移駐し、同37年の師団改編による「第2師団」と改められ、旭川駐はその2師団の主力部隊が所在する駐屯地だ。
2師団はそもそも、旧ソ連の北辺の脅威に対し、厳しい風土の中で鍛えられ、「北鎮(しず)め(北の護(まも)り)」を主任務とすることから、「北鎮(ほくちん)師団」と呼ばれていた。
2022年3月に「機動師団」に改編され、道北にとどまらず、事態に応じ全国各地に即応展開する「北鎮機動師団」へと生まれ変わった。
この改編で、部隊を迅速に展開するための情報収集を担う「第2情報隊」が旭川駐に新設されたほか、名寄駐の3普通科連隊が3即応機動連隊となり、新たに高速走行や空輸ができる16式機動戦闘車が配備された。
北鎮記念館
北海道の防衛と開拓の歴史を学べる広報施設。北辺の脅威に対し、厳しい風土の中で鍛えられ「北鎮め(北の護り)」を主任務とし、旭川の歴史からも切り離すことができない「屯田(とんでん)兵」や旧陸軍第七師団の貴重な資料を展示している。
この冬は、雪中ライトアップやアイスキャンドルの作成体験などの限定イベント(昨年12月1日~今年2月26日)、大東亜戦争終結直後に起きた戦いを紹介する「北方領土展」(1月27日~2月12日)などを実施した(旭川駐屯地ホームページなどから)。
北鎮記念館には、屯田兵や旧陸軍第七師団の貴重な資料が展示されています。
陸上自衛隊第2師団への理解を深めたい方はぜひご来館をお勧めします。
取材に併せて旧陸軍第七師団(北鎮部隊)グッズを制作、販売開始!!
北海道の中央・上川盆地にあり、雄大な大雪山連峰に抱かれた旭川市は、明治35年1月25日に観測された氷点下41度の「日本最低気温」の記録を今も持つ。この冬もまた、凍てつくような寒さが続いた。
旭川駐屯地は市街地からほど近い。北に名寄駐屯地、日本海側に留萌駐屯地、オホーツク海側に遠軽駐屯地、南に上富良野駐屯地があり、道北の各要衝の中心に位置する。2月16、17の両日に接した、「北の護まもり」を担う隊員たちの冬の日常は、まさに「雪との闘い」でもあった。
冬季の操縦は難しい|2飛行隊 松尾2陸尉
冬季の操縦は夏季に比べると難しく、危険になる
2飛行隊の広報幹部(ヘリパイロット)の松尾2陸尉は、冬季は雪が舞い上がることで錯覚に陥りやすくなり、夏季のように高度を下げてしまうと、危険なのだという。
対処法は、雪の中に入らないようホバリングで雪を飛ばし、徐々に降下する。完全に下が見えて安全に下りられる状態になったら着地するというのが基本的な手順です。
「旭川は降雪量が多く、雪の質が軽い」から余計に注意が必要となる。
除雪は常時待機|2施設大隊本部管理中隊交通小隊長 宮本2陸尉
一夜で積もる雪。広大な駐屯地の除雪作業も苦労が絶えないようだ
2施設大隊本部管理中隊交通小隊長の宮本2陸尉によると、あらかじめ除雪区域、工程などを決め、除雪班長の下に技量が一定になるようメンバーを組み、1週間単位で待機。夜中、朝方などいつでも対応できるようにしているという。
そこで重要となるのが、状況判断。宮本2尉は「実際に乗っているオペレーターから助言をもらうことも多く、その話し合いができるよう、日々のコミュニケーションが大事だ」と強調する。
雪になじみ、楽しむ|2音楽隊 村田陸曹長、2通信大隊 木村1陸士、2特科連隊 土井准陸尉
積雪寒冷地には不可欠のスキーだが、隊員は全国各地から集まってくる。雪に慣れないと仕事にも影響するので、必死で習得するしかないのだ。
「若い時にちょろっとやったきり。ほぼ素人」という兵庫県出身の村田陸曹長(2音所属)もその一人だったが、「部隊指導官がいるので、不安は払拭(ふっしょく)できた」。今では、上級者からの指導もあり、2級を取得したという。
木村1陸士(2通大所属、奈良県出身)も「(スキーは)めっちゃ苦手」。中隊の競技会などで滑ることもあるが、「呼吸の仕方が分からず、すぐ息が切れてしまう」。配属3カ月の今も雪にはまだまだ慣れていないという。
こうした初心者たちを一人前の「スキーヤー」に育てるのは、土井准陸尉(2特連)。北海道出身の土井准尉からすると雪はお手のもの。入隊以来、旭川駐に勤務する上級スキー指導官だ。
「新しく北海道に来た隊員には基本的なところから教え、まず、雪になじんでもらう。どうしても『訓練』になってしまうので、とにかく雪を楽しんでもらうようにしている」
(隣で深くうなずく木村1士)
カイロなどで冷え対策を怠らない木村1士。
土井准尉がその冷え対策にも言及。「行動を計画的に行い、無駄な動きをしない。それも訓練」。低体温症や凍傷を防ぐ対策なのだという。
生活、任務には常に雪がある
取材を快く受け入れてくれた旭川駐。
16日、記者(河合)は雪上車の搭乗(52普連2中隊・大塚陸曹長案内)を体験。
航空機(2飛・松尾2尉案内)を見学。高機動車(26普連4中隊・村田2陸曹案内)にも乗車し、除雪も行わせてもらった。
生活の中に、任務の中に雪が常にある環境。そして、北の護り-。旭川駐が置かれる重要性を肌で感じた。
駐屯地では、ほかにも春夏秋冬を通してさまざまな訓練、活動を行っている。地域のイベントがあれば、駆け付け、住民と交流し、自衛隊を広く理解してもらう。
そこには、たくましく生きる隊員たちの明るい笑顔とひたむきな努力、そして団結の姿がある。
宮﨑司令はいう。
「積雪寒冷地の部隊は限られている。そこで培っている技術や戦技能力という伝統を継承していく部分は極めて重要だ」。その象徴ともいえるのがスキー。北の大地の駐屯地ならではの重要性こそ、「能力を維持・向上させなければならない」と力を込める。