原発事故が投げかけた大きな課題
【2022年3月11日(金)1面】 あの「3・11」からきょうで11年。東日本大震災の大地震と大津波で街は壊滅的な被害を受け、多くのかけがえのない人たちを失い、「当たり前の日常」が消えた。この11年、被災地のライフラインは取り戻した。だが、福島県はなお復興途上。そこにあるのは、原発事故にほかならない。原発の「安全神話」の中、緊急時の対応に多くの課題を残し、以後、国はさまざまな対策に乗り出したが、課題は山積している。企画「被災地で備える」の2回目では、国の原子力総合防災訓練と一体となり、震源地に近い宮城県の女川原発での初開催となった同県の防災訓練に参加した多賀城駐22即応機動連隊(連隊長・石井1陸佐)の報告を紹介する。
原子力防災訓練に参加
2月11日、令和3年度「宮城県原子力防災訓練」に参加し、宮城県庁に連絡要員を派遣するとともに、石巻市清崎運動公園、大崎合同庁舎、石巻総合運動公園、栗原市若柳総合体育館に本部管理中隊と1普通科中隊が前進。原子力災害発生時における宮城県、各関係部外機関との連携要領を演練し、原子力災害対処能力と自治体との連携・調整能力の向上を図った。
参加した各部隊と連絡要員は、宮城県災害対策本部の設置・運営訓練、女川オフサイトセンター現地対策本部運営訓練、住民避難などの訓練を通じ、自治体などと調整する具体的な内容を把握した。
また、各災害現場では、状況に応じて、住民避難を支援する連携要領を演練。自治体、関係機関と住民との間に一層の信頼関係を構築することができた。
参加した隊員は、将来発生するかもしれない災害派遣を見据え、与えられた状況をリアルに捉えながら、自治体などの要望に柔軟かつ積極的に対応。「一人でも多くの国民を救助する」という強い信念を持って訓練に取り組んだ。
22即機連は「これからも自治体、関係機関などと連携し、近年常態化している各種大規模自然災害に対する対応能力を高めていく」としている。
大津波に耐えた女川原発
震源に一番近かった女川原発はなぜ、安全に停止できたのか。東北電力によると、敷地の高さは14.8メートル。1号機の設計時(昭和40年代)、津波の高さを3メートル程度と想定していたが、専門家を含む社内委員会での「貞観津波」(869年)や「慶長津波」(1611年)などを考えて決定した。また、2号機建設時に9.7メートルの高さまでコンクリートで補強した敷地法面が震災時の津波に耐えることができた。
さらに、原子炉を冷やすために欠かせない海水ポンプを、津波の影響を受けやすい港湾部ではなく、原子炉建屋と同じ敷地の高さ(14.8メートル)を掘り下げたところに設置。海面が取水口より低くなった場合でも、取水路にたまった海水で約40分間冷却を続けられたほか、震災1年前の平成22年6月までに、機器や配管をサポートで補強するなど、1、2、3号機合わせて約6600カ所の耐震工事を実施していた(ホームページから)。
陸上自衛隊 多賀城駐屯地
https://www.mod.go.jp/gsdf/neae/22i/
陸上自衛隊 第22即応機動連隊
https://www.mod.go.jp/gsdf/neae/22i/tagajyousta/22rdrhp/index.html