さて、この「永遠の図書室通信」にて戦地シリーズを始めて、はや五回目を迎えることとなりました。それではいきなり皆さまに質問です。これまでのタイトルに共通していて、今回のタイトルに無いものがあります。それはなんでしょう?

 答えは地名。実は今回取り扱う「ノモンハン」、地名ではないのです。

昭和14年、日本軍とソ連軍が大規模な衝突

 もともとはモンゴル語で「ノムンハン」といい、仏法をつかさどる王・法の王という意味があるのだとか。
 また「ノムンハン」という言葉には他にも複数の意味があり、そのひとつが「ノムンハーネイ・ブルド・オボー」。少し聞きなれない言葉が続きますが、どうぞ付いてきてくださるとありがたいです。

 オボーとは、言ってしまえば道しるべや(境界)標識のようなものですね。チベット仏教の祭礼が執り行われる場所でもあり、モンゴルに住まう人にとって大事なものです。
 前述で(境界)標識と書きましたが、この「ノムンハーネイ・ブルド・オボー」もまた中国とモンゴルの境界標識でした。1734年に定められた国境はふたつの国の間で守られていたのです。

 しかし、ここでそれを乱すものが現れました。満州国です。
 満州は元からあった境界ではなく、新しく作った境界を主張。満州側とモンゴル側でまず国境紛争が起こり、やがて両者に後ろ盾が付きました。満州側には大日本帝国(当時)、モンゴル側にはソビエト赤軍が。やがて国境紛争は大きくなり、軍事衝突という形に至りました。これが「ノモンハン事件」です。

 ちなみに結果は日本の敗北。原因としては、ざっくり言ってしまえば戦力差ですね。
 相手が火力も強い・新しい兵器で応戦している中、日本は圧倒的に数不足であり、火力不足。ガチガチの武装に生身で立ち向かっているようなものです。
 この戦いで、当然多くの死傷者が出ました。

 なおノモンハン事件の参謀は何をしていたかというと、ざっくり言うと作戦中止の電報を握りつぶし、独断で物事を進め、無謀の末負ける……といった事をしていました。いつの世も割を食うのは現場の人間と言いますが、ここで作戦中止をしていたら死傷者も減っただろうに……と思うと苦々しく思いますね。
 ちなみにこの参謀、他にも自殺の強要をしたりとひどい事をしているのですが、なんと戦後、戦争責任から逃げたうえ議員になったり文筆家になったりしたのだとか。一体どこの辻政信なんだ………

 以前まではこのノモンハン事件、日本側は大敗である、とされてきました。しかし90年代発見された史料などにより、「惨敗というわけではなく、むしろ互角に近かった」という見解が生まれたのだとか。

 ではここで本棚より紹介していきたく思います。まずはこちらの一冊。

「ノモンハン事件 機密文書「検閲月報」が明かす虚実」(著 小林英夫)

 この本はノモンハンの事件像が作られた切っ掛けを探る本。タイトルに「検閲」という文字が並ぶことからわかるように、当時の新聞報道や郵便検閲、手記や回想記など「文字として残されたもの」からそれを読み解いていくというコンセプトとなっております。

 しかしそれだけではなく、そもそもの発端であった国境紛争の歴史にも焦点をあてているのもおすすめポイントのひとつ。もちろんノモンハン事件についても「この本は深堀した一冊だから、ノモンハン事件について知らない人は基礎を入れてからね」ということではけしてなく、ノモンハン事件を知らない人にも、また深堀りしたい人にも広く対応した作りになっています。

 特に気になったのは「独り歩きしていく虚像」という項目。ノモンハン事件のイメージは当時発売された著作によって固定された、というもので、読んでいて「良く書けば事実を無視していいものじゃないぞ」という気持ちになってきます。美談にするのはよくない………

 事件後、何を「虚実」としてしまったのか?読み応えのある一冊です。

 ちなみにこのコーナーにも、「ノモンハン」(著 辻政信)があります。上記の「独り歩きしていく虚像」と併せて読むと解像度が上がるかもしれません。

 それでは次に紹介するのがこちらの一冊。

画像: 昭和14年、日本軍とソ連軍が大規模な衝突

「ノモンハンの夏」(著 半藤一利)

 ノモンハン事件について取り扱った書籍の中では一番有名なのではないでしょうか。半藤一利氏とノモンハン事件といえば、司馬遼太郎氏が半藤氏に「ノモンハン事件について書こうと思ったが、調べれば調べるほど空しくなってきたので書けない」と話したエピソードが有名ですね。

 以前もお話しましたが、半藤氏といえば辻政信に対し「絶対悪」の印象を持ったと言います。実はその記述があるのがこの本なのです。

 「議員会館の一室ではじめて対面したとき、およそ現実の人の世には存在することはないとずっと考えていた「絶対悪」が、背広姿でふわふわとしたソファに坐っているのを眼前に見るの想いを抱いたものであった。」(あとがきより抜粋)

 辻に出会ったその日から、「この凄惨な戦闘をとおして、日本人離れした『悪』が思うように支配した事実をきちんと書き残しておかねばならない」と決意した半藤氏。ノモンハン事件について徹底的に調べ、その日垣間見た「悪」をしっかりと、しかしその筆の先に怒りを滲ませながら書き切ったもの、それがこの「ノモンハンの夏」なのです。

 その真摯さと研ぎ澄まされた正確な情報は、頭に深く突き刺さり、読んでいるうちに今まで遠い存在であったはずのノモンハン事件……もとい、どこかで垣間見えた「悪」を身近に感じ、恐ろしいような、腹が立つような、そんな感覚になります。

 さて最後に紹介するのはこちら。

「静かなるノモンハン」(著 伊藤桂一)

 上等兵、衛生伍長、少尉という、立場の違う三人のノモンハンでの体験談が綴られている書。戦場の状況の生々しさもさることながら、「ノモンハンで散っていった多くの人々」ではなく、「ノモンハンの戦いにいたひとりの人間」の視点と声が克明に書かれています。

 ノモンハン事件が始まる前は満人(漢族、満州族、蒙古族に属し、満州国に在住する人のこと)の子供たちになつかれていたり、外国語学校に遊びに行って日本語を教えたり、生徒たちから逆に言葉を教えてもらったり、生徒の家族から縁談を持ちかけられたり……と、穏やかな日々を送っていた、という記述が個人的に驚きました。時代が時代なので、その土地にいる人々の多くは反日感情を抱えているのではないか、と思っていたのです。そういう人と人との繋がりを壊すのが戦争なのだ……と思ってしまうと、辛くてその先のページに進む勇気がなかなか持てず。

 穏やかな空気から徐々に戦争の埃っぽさ、血なまぐささがその場を覆っていき、読み進めていくと逆に戦地での人の小さな情さえも眩しく見えます。

 戦地に向き合っていると、「どうして」という苦い気持ちが止まりません。
 もう少し速く中止していたら、そもそもこんな計画を立てなければ良かったのではないか、というより戦争なんて起きるべきじゃないんだ、等々。
 戦争の事を知らなければこんな気持ちになることは無い。けれど、戦争の事は知っておかなければいけない。

 未来を生きるであろう人たちに、苦いものを味あわせたくないからこそ。
 今を生きる私たちが、苦いものの事を知らなくてはいけないのだと思うのです。

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画像3: 永遠の図書室通信 第29話「戦地・ノモンハン」

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