自衛隊の新時代を切り開く「女性自衛官たち」の活躍に、67年の歴史を持つ自衛隊専門紙「防衛日報」が独自取材で迫ります
 
キラリ☆輝く女性自衛官 ~ 蛯原寛子准陸尉(陸自15旅団)編
 
 女性で初めて旅団の最先任上級曹長に就任した蛯原寛子准陸尉。彼女をここまで導いた自衛隊での出会いや経験について伺った。

画像: 朝霞駐屯地での新隊員教育中、同期たちと制服姿で(左端)

朝霞駐屯地での新隊員教育中、同期たちと制服姿で(左端)

――ここまで来られたことを振り返り、どんな出来事が節目になったと思いますか?

蛯原 陸上幕僚監部での勤務、そして故郷沖縄で勤務させていただいたことが大きな転機だったと思います。
 陸幕勤務は、一般部隊では見ることも感じることもできない別次元の仕事があり、我々が陸上自衛隊として機能するために必要な中枢であって、曲がりなりにもその一員として勤務させていただいた経験は今の私の糧となりました。

 また、親孝行のつもりで希望した沖縄勤務は、まだ幼い我が子を抱えていて、両親にも職場にも沢山のご支援をいただきながらなんとか務めましたが、その経験は女性である私が仕事をする上での肥やしとなりました。

――影響を受けた上官や同僚など、大きかった出会いは?

蛯原 入隊して、婦人自衛官(現・女性自衛官)教育隊で出会った沖縄出身の女性幹部自衛官が私の自衛官人生に常に影響を与えています。

 教育隊では区隊長として、部隊配置され陸曹を目指した時には直接指導してくださった中隊運用訓練幹部として、陸曹となり入隊から17年後に沖縄で出会った時は、私が配属された部隊の本部に庶務室長として勤務されていて、仕事上、何かと関わらせていただきました。
 ある日、庶務室での仕事のやり取りで、「これは私の仕事ではありません」と口にしてしまいました。自分としては、他の担当者の仕事に手を出すのは失礼なのではとの思いがあったのですが、庶務室長に「一つの仕事をするためには多くの人が関わっている。そこで自分の仕事に線を引くな。全部がうまく回るように調整するのがお前の仕事」と指導されました。無意識に自分のやるべきことに制限をかけていた自分に気づかされました。今もなお、この言葉は仕事だけではなく人としての教えとなっています。

 15旅団最先任上級曹長の面接の機会をいただいた時に相談したのは、この大先輩でした。そして、背中を押してくれたのも、この大先輩です。女性幹部自衛官として我らの見本となり、我らに寄り添い、未来を託してくださった大先輩への恩返しの思いを込め、15旅団最先任上級曹長の職務を全うしたいと考えています。

画像: 今も胸に刻む先輩女性幹部の言葉(4/5話)
画像: 朝霞駐屯地での新隊員教育中の一枚。みんな表情が明るい(中央)

朝霞駐屯地での新隊員教育中の一枚。みんな表情が明るい(中央)

――短大まで沖縄で過ごし、親元を遠く離れて就職することに不安はありませんでした か?

蛯原 数日はホームシックになった気もしますが、短大の同級生が一緒に入隊し、新隊員教育隊(埼玉・朝霞駐屯地)の間ずっと一緒でしたし、入隊後も同期に恵まれ不安は全くありませんでした。後期教育は茨城県の霞ケ浦駐屯地、配属は静岡県の富士駐屯地でした。

――当初、一番苦労したことは? また、そんな時、一番支えになった人は?

蛯原 学生時代の不規則な生活に慣れ過ぎて、最初は自衛隊の規則正しい生活環境に苦労しました。 慣れない迷彩服のアイロンがけ、毎回長蛇の列になる隊員食堂の様子も思い浮かびます。
 それでも、同期たちに支えられて日々を過ごし、いざという時はやはり電話越しの母の声に力をもらえました。

――今までの勤務で一番大変だったことは? 自衛官になって挫折を感じたり、やめたいと思った瞬間はありましたか?

蛯原 陸幕勤務となって最初の1カ月は、その職場で自分が何の役にも立たない事実に呆然とし、いつ辞めようかと日々悶々と過ごしました。
 一番つらかったのは、第1混成団第1科勤務中の2007年(平成19年)3月、緊急患者空輸任務中のヘリの墜落事故です。発生から葬送式までの勤務はつらかったですが、葬送式を終え、すべての残務が終わった時、これから先、どんな勤務も乗り越えられると感じました。

――逆に、一番達成感や充実感を味わった瞬間は?

蛯原 陸曹候補生2次試験に向け10名ほどで挑んだ中隊集合訓練の中、当時の運用訓練幹部の面接指導が非常に厳しく、全員で悩み、考え、全員の問題点や回答を導き出しました。訓練を乗り越え、全員が2次試験で合格を獲得できたことが一番うれしかったですね。
(当時は今と違い、1年に4回陸曹候補生の指定があり、一度の試験でその年度の前期1次合格・前期2次合格と2回分の合格発表があった。現在は、陸曹候補生の指定は、前期後期の2回となっている)

 先輩との出会い、仲間との絆、そしてハードな訓練や任務の先にある充実感や人としての成長。蛯原准尉の人間力は、自衛隊で磨かれていった。

入隊前。慶良間諸島阿嘉島で

プロフィール

准陸尉 蛯原寛子(えびはら・ひろこ)
陸上自衛隊15旅団最先任上級曹長
昭和43年生まれ

【主な経歴】

平成元年 3月入 隊
平成元年 9月東部方面通信群(富士)
平成11年 3月東部方面通信群 信電陸曹(朝霞)
平成12年 3月陸上幕僚監部人事部(檜町)
平成13年 3月中央基地通信隊電話中隊 有線通信陸曹(市ヶ谷)
平成17年 8月第1混成団本部付隊 第1科総務陸曹(那覇)
平成22年 3月那覇駐屯地業務隊 司令職務室総務陸曹(那覇)
令和 2年 3月第15旅団司令部付隊 総務総括准尉(那覇)
令和 3年 3月現 職

▷▷ 次回は最終回。女性自衛官の活躍推進や国防の最前線に立つ15旅団の現在について伺います。
 
第1話 第2話 第3話 ▷第4話 第5話


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