キラリ☆輝く女性自衛官 ~ 蛯原寛子准陸尉(陸自15旅団)編
オリンピックとコロナの話題にかき消されて、まだあまりニュースになっていないが、来年は沖縄が本土復帰してから50年の節目の年にあたる。日常が戻れば、沖縄はもちろんのこと、全国的にもいろいろなイベントが行われるだろう。
その沖縄から3月、大きなニュースが飛び込んできた。那覇駐屯地に所在する陸上自衛隊15旅団に、師団・旅団では初となる「女性の最先任上級曹長」が誕生したのだ。その人の名は、蛯原寛子准陸尉。地元・那覇市出身ということもあって注目に拍車がかかり、一躍時の人となった。
ところが、このビッグニュース、沖縄のメディアでは大きく取り上げられたものの、「本土」ではほとんど取り上げられなかった。その理由の一つに、「最先任上級曹長」という役職の重みが、一般的にはよく知られていないことがある。そこでまず、ご本人に最先任上級曹長の立場や職務内容を伺ってみた。
最先任上級曹長って、何をする人?
「陸自の最先任上級曹長とは、准陸尉、陸曹、陸士(以下『准曹士』という)、つまり、下士官たちの最上位職です。部隊などの指揮官を直接補佐する立場であり、指揮官の企図、お考えを組織の准曹士により分かりやすく徹底するとともに、逆に准曹士の意見などを指揮官にお伝えし、指揮官を効果的に補佐することが仕事です」(蛯原准尉)
15旅団で言えば、旅団長や副旅団長らを直接補佐し、現場の下士官たちとのパイプ役を果たすポジション。部隊を機能させるために重要な役割を担っている。
しかも、旅団というのは陸自の中で「方面隊」に次ぐ巨大組織であり、作戦基本部隊だ。蛯原准尉の「部下」となる現場隊員の数は約2100人というから、その影響力は半端なものではない。見方によるが、この就任は「女性初の戦闘機パイロット誕生」や「女性初の空挺団員誕生」に引けを取らないニュースなのである。
就任して約3カ月のタイミングで、蛯原准尉に現在の状況を伺うことができた。
――3カ月経って、現在の率直なお気持ちは?
蛯原 まだまだ手探りで、最先任上級曹長として自分が機能しているか自問自答の毎日です。各種ミーティングに参加しますが、緊張で笑顔になれません。
――実際に任務にあたってみて、何が一番大変だと感じましたか? 一番、気を遣うこと、心掛けていることは何ですか?
蛯原 一番大事なのは隊員の話を聞くこと。そのための労は惜しみません。そして、伝えたいことをできるだけ簡単な言葉で話し、省かないことを心掛けています。人に何かを伝えることの難しさを、今一番感じています。
――「女性の目線」が生かされている、または今後生かしたいということはありますか?
蛯原 特に性別を意識して仕事をしたことはありませんが、最先任上級曹長として「お母さん目線」は生かしたいと考えています。指揮官を効果的に補佐できるよう、准曹士隊員へ指揮官の思いを伝えられるよう、そして彼らの思いを指揮官へ届けられるよう、自分なりに母目線の思考も生かしたいと思います。
――3カ月の実務経験ではっきり見えてきたことも多いと思いますが、今後こんなことを徹底したい、新しくこんなことをやってみたい、ここを変えていきたいということはありますか?
蛯原 最先任上級曹長として大きく何かを変えたいとは思っていませんが、その時々で必要なもの、例えば、今後数年の間に女性隊員の増員が予定されており、男性が多く、特殊な任務を持つ自衛隊という職場の中で、双方ができるだけスムーズに溶け込めて、個人および部隊が能力を発揮できるように、助言やしつけ、秩序教育など何かしらのアプローチをしたいと考えています。
蛯原准尉は現在52歳。確かに若い隊員たちにとっては、自分の母親と同じくらいの年齢になる。また、女性隊員が増えていく中で、女性の最先任上級曹長がいる意味はますます大きなものになるだろう。「女性最先任」の本領が発揮されるのはこれから。今後の活躍がますます楽しみだ。
プロフィール
准陸尉 蛯原寛子(えびはら・ひろこ)
陸上自衛隊15旅団最先任上級曹長
昭和43年生まれ
【主な経歴】
平成元年 3月 | 入 隊 |
平成元年 9月 | 東部方面通信群(富士) |
平成11年 3月 | 東部方面通信群 信電陸曹(朝霞) |
平成12年 3月 | 陸上幕僚監部人事部(檜町) |
平成13年 3月 | 中央基地通信隊電話中隊 有線通信陸曹(市ヶ谷) |
平成17年 8月 | 第1混成団本部付隊 第1科総務陸曹(那覇) |
平成22年 3月 | 那覇駐屯地業務隊 司令職務室総務陸曹(那覇) |
令和 2年 3月 | 第15旅団司令部付隊 総務総括准尉(那覇) |
令和 3年 3月 | 現 職 |