自衛隊の草創期から60有余年
行事は、用賀駐に隣接し、昭和38年から交流を深めてきた東京音楽隊が、令和6年度末に東立川へ移転するため、コロナ禍を経て同駐で7年ぶりに実施する演奏会であり、同駐所属の隊員のほか、多数の部外来賓、隊員家族が臨席した。
オープニングでは「フローレンティナー行進曲」が演奏され、一気に来場者を魅了。「オー・ソレ・ミオ」や「ライオン・キング・メドレー」など、幅広い世代が楽しめるプログラムが披露され、東京音楽隊の迫力のある演奏と橋本2海曹のエネルギーに満ちた歌声に、隊員家族ほか200人の来場者は聴き入っている様子だった。
アンコールでは、東京音楽隊の演奏の下、関東補給処用賀支処所属隊員と東京音楽隊の橋本2曹が隊歌を熱唱。最後は行進曲「軍艦」が演奏され、割れんばかりの拍手に包まれて幕を閉じた。
駐屯地司令は、「用賀駐屯地の歴史は、昭和38年にはじまり、戦前の昭和4年、旧陸軍の衛生材料本廠時代に使用されていた倉庫などを現在も使用しており、隊歌は、昭和40年5月、陸軍衛生材料本廠跡記念碑の除幕式に併せ、当時の東京音楽隊長、片山正見氏の指揮の下、同隊による演奏、衛生補給処のコーラス部員による合唱が行われた」とこれまでの歴史を説明した。
その上で、「自衛隊の草創期から60有余年のお付き合いのある東京音楽隊をこの用賀の地で見送るのは名残惜しいことであるが、この隊歌の演奏と合唱を通じ、これまで相互に培ってきた歴史と伝統は不変のものとして大切にし、夫々それぞれ、将来にわたって継承していくという決意を新たにした」と謝辞を述べた。
来場者からは、「レベルの高い演奏を生で聴くことができて感動した」「歌がすてきだった」「音を体で感じることができて感動した」と笑顔で話していた。
<編集部>
旧軍時代からの衛生材料の兵站(へいたん)中枢として現在に至る陸上自衛隊関東補給処用賀支処も所在する用賀駐から、心温まる報告が寄せられました。
防衛日報の本日(12月27日付)2面で紹介しているのは、コロナ禍を経て7年ぶりに実施した「駐屯地ファミリーコンサート」でした。久しぶりの音色の響きは、訪れた関係者や隊員家族らを魅了したことでしょう。
今回はもう一つのトピックスがありました。隣接する海上自衛隊東京音楽隊が今年度末に東立川(立川市)に移転するため、自衛隊の草創期から60年余りにわたってタッグを組んできた「仲間」を送るという大きな意味合いもあったのです。
東音といえば、2018年に世界の優秀な軍楽隊コンサートバンドに贈られる、最も名誉ある賞「ジョージ・ハワード大佐顕彰」(スーザ賞)を受賞するなど国内外での評価が高く、海自では中心的な存在です。今回、迫力ある演奏や歌声などを披露したのは言うまでもありません。
そして、コンサートの最後には当然のように、アンコールがありました。アンコールといえば、とっておきに残しておいた曲やもう一度聴きたい曲などがリクエストされるのが常ですが、違いました。「さよなら、東音」「ありがとう、東音」とばかりに、東音の演奏の下、用賀支処所属隊員も加わって隊歌を熱唱し、行進曲「軍艦」の演奏…と別れを惜しむかのように、会場を感謝にあふれた雰囲気に包み込む、そんな光景が両者が歌う写真からも伝わってきました。
最後のタッグは、駐屯地、東音にとっていつまでも思い出に残るシーンだったように思います。
駐屯地司令の謝辞もすばらしいものでした。
「この隊歌の演奏と合唱を通じ、これまで相互に培ってきた歴史と伝統は不変のものとして大切にし、夫々(それぞれ)、将来にわたって継承していくという決意を新たにした」。出会いがあれば、別れもあります。その別れの時、どのような思いで、どのような言葉をかけるのか、はまさに人生にも通じるもの。改めて、そんなことを感じる謝辞であり、コンサートだったのではないでしょうか。
※「さよなら」は「さようなら」でも同じ意味とされていますが、見出しに「さよなら」を取っているので合わせました。
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