24時間態勢で約3日間にわたる捜索・救助活動
今回の災害は、10月23日未明、延岡市で線状降水帯による大雨の影響に伴い、家屋1棟を巻き込む土砂崩れが発生し、住民1人が行方不明となったもの。
宮崎県知事から43普連長に対して要救助者の救助に係る災害派遣の要請を受け、2中隊長(塚脇3陸佐)以下約150人の隊員が派遣された。
活動場所は、降り続いた雨の影響により地盤が弱体化し、2次災害の恐れがあった。しかし、隊員らは一刻も早く要救助者を救助しなければならないという強い使命感の下、警察・消防と連携し、24時間態勢で約3日間にわたる懸命な捜索・救助活動を実施し、要救助者を発見した。
災害派遣活動終了後、宮崎県知事、延岡市長より「自衛隊の皆さまの力がなければ、要救助者を見つけることはできなかった。迅速・的確に対応してくれて本当にありがとうございました」と感謝の言葉があった。
43普連は「今回の災害派遣を通して、改めて第43普通科連隊の有事の際の即応能力および任務完遂能力の高さが発揮された」としている。
<編集部より>
自衛隊による災害派遣活動は現在、一般国民にとっては身近で分かりやすいものです。大きな災害となれば、連日、活動の様子がメディアなどで報じられるからです。その活動ぶりには「やっぱり自衛隊が来てくれると助かる…」。こうした素朴な感情が次第に大きな輪となり、国民にとってはウルトラマン、仮面ライダーならぬ「正義の味方」的な(少し古いですが)思いにつながっていることは、疑いのないところかと思います。
通常、災派活動は発生時の都道府県知事からの派遣要請を受けて以降、統合幕僚監部が定期的に状況を広報します。現地取材がかなわない時は、その発表は大きな力となっており、防衛日報でも可能な限り、活動を紹介しているところです。
防衛日報の本日(11月21日付)2面には、10月23日から26日の間、線状降水帯の影響により宮崎県延岡市で発生した土砂崩れに出動した陸上自衛隊都城駐屯地43普連の報告を掲載しました。統幕発表のデータとは別に、隊員たちがどんな思いで、どのような活動を続けたのか。実際に派遣された部隊からのこうした「生」の様子が伝わってくると、記事の説得性や普遍性はより増すことにつながるといえ、ありがたい報告なのです。
43普連は2中隊長以下約150人、24時間態勢で3日間にわたり、土砂崩れによって家屋が巻き込まれた現場で懸命な捜索・救助活動を続けました。報告とともに寄せられた写真には、夜を徹して活動する隊員たちの姿がありました。警察や消防とともに頑張るカットもありました。2枚とも絶対に必要な写真と思い、掲載しました。
捜索活動を見つめる家族は1日でも1分でも早く見つけてほしい。その一心です。隊員もまた同じ気持ちで必死に捜索を続けます。その後、要救助者を発見しましたが、ニュースなどによれば、残念ながら死亡が確認されたということでした。
かつて、災害取材で同様の生き埋め現場に立ち会ったことがあります。やはり、行方不明者がいました。この時も要救助者は発見されましたが、助かりませんでした。その時、悲痛な気持ちであるはずの家族から、自衛隊への精一杯の感謝の言葉があったことを忘れることはできません。
今回の延岡市の活動では、県知事、市長からも「自衛隊の力がなければ、要救助を見つけることはできなかった」とのコメントがありました。さまざまな人たちがかかわる壮絶で過酷な活動。そこには、多くの人間ドラマがあり、自衛隊は共有しながら、任務にあたっているという素晴らしさがあります。
統幕の発表によると、令和5年度の自衛隊の災害派遣の件数は387件、総活動人員は延べ約1万3000人。能登半島地震がありました。ほかには、台風、大雨、鳥インフルエンザ、山林火災などがあり、このうち、大雨に係る活動には延べ約1300人があたっていました。
東日本大震災があった平成23年の延べ約1074万人という顕著なケースもありますが、災害派遣活動の一つひとつが自衛隊が自衛隊らしさを強力に表すものである一方で、国民に寄り添いながらの任務であることも証明するものでもあります。このことを改めて強く認識し、編集作業を続けていく覚悟です。
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