本特集では、東部方面後方支援隊施設教育直接支援中隊の整備現場に潜入し、整備の“今”を伝える。自らの知識や経験を惜しみなく後進に伝えながらも、「全ては伝えきれない」と語るベテラン整備士。だがその姿勢こそが、次世代の整備士たちの“自学研鑽(じがくけんさん)”を促し、技術だけでなく「考える力」「感じる力」を育んでいる。彼が大切にしてきたのは、整備という分野に宿る“人”の力だった。
本特集では、東部方面後方支援隊施設教育直接支援中隊の整備現場に潜入し、整備の“今”を伝える。自らの知識や経験を惜しみなく後進に伝えながらも、「全ては伝えきれない」と語るベテラン整備士。だがその姿勢こそが、次世代の整備士たちの“自学研鑽(じがくけんさん)”を促し、技術だけでなく「考える力」「感じる力」を育んでいる。彼が大切にしてきたのは、整備という分野に宿る“人”の力だった。
陸上自衛隊 勝田駐屯地(茨城県ひたちなか市)では、陸上自衛隊唯一の施設科隊員を育成する教育機関である施設学校が所在し、主に施設科隊員として必要な知識・技能を習得させるための教育訓練が実施されている 。
技術の進化に追いつくために― “自学研鑽”という答え
装備品の歴史は整備技術の進化の歴史でもある
かつての装備品は機械式が主流だったが、今は電気制御へと移り変わっている。機械式はレバーとロッドなどで繋がれており、見た目で構造を把握しやすかった。しかし電気制御は、電気配線の先にある仕組みを理解しなければならず、整備には電気の知識が不可欠となっている。そうした整備の現状を教えてくれたのは、施設科で整備一筋36年のベテラン整備士の橋本1陸曹(施設教育直接支援中隊)。
「整備」とひとくくりに言っても機械式から電気制御へと移り変わっている今、どのような教育が行われているのか尋ねると「自学研鑽」しかないとあった。
教えきれないからこそ、託す覚悟―橋本1曹が語る継承のかたち
陸曹に昇任する際の整備課程で教わる内容はあくまでも基礎にすぎない。あとは日々の訓練での学びとなる。故障のたびに、なぜ故障したのかを電気配線図を開き、原因を追究。これを何度も繰り返し理解を深めていく―それが現場での学びだ。
「技術的なことは教えられても、“勘”や“気づき”は経験でしか身につかない」。予防整備(定期整備)はマニュアルをもとに進められるが、突発的な故障を早期に察知するには、“違和感”に気づく力が求められる。その感覚は、数えきれない現場経験の中で自然と養われていくものだという。
1989年(平成元年)に入隊してから、ほぼここ勝田駐屯地で任務に就いている橋本1曹は再来年に退官を迎える。「これまでの知識と技術、すべてを次の世代に伝えきれるか?」と問うと、返ってきたのは「全ては伝えきれない」という言葉だった。
せっかく育ってきたと思った部下が、異動で現場を離れていく―その繰り返し。それは、自衛隊だからこその理由だった。
それでも残された時間で、少しでも多くの技術を伝えたいと意欲を燃やす。特に「91式戦車橋」や「92式地雷原処理車」など、全国でも台数が限られる特殊車両の整備技術については、重点的に指導していくという。「不安な部分があれば私を頼ってくる。でも、いずれは私が見なくても任せられるように育てたい」と、力強く語った。
一般社会でも問題とされている中堅層の薄さや技術継承の難しさは、自衛隊においても同様だ。「本来なら、われわれベテランは全体を俯瞰し、中堅である2曹・3曹が若手を指導するのが理想。でも現実には、人員不足や新編・改編に伴う異動が重なり、ベテランが直接新隊員を教える場面が増えている」と明かす。
では、自身の退官後、整備の現場はどうなるのか。不安はないのか。
「いなければいないなりに、なんとかなりますよ。頼れる先輩がいるから甘えが出ることもある。時間はかかるけれど、自分で覚えたことって、しっかり自分の中に定着して、あとあとまで自分の支えになるんです」と、穏やかに語る橋本1曹の横顔がとても印象的だった。
「技術は教えられる。でも経験は、教えただけでは育たない。自分の意思で学んでこそ“経験”になり、その結果が次の誰かを育てていく」。整備という仕事において、最も大切な“目に見えない財産”―それは、積みあげられていく“経験”なのかもしれない。
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