平素より国防に従事される自衛隊隊員の皆様に心より感謝申し上げます。本年も宜しくお願い申し上げます。
ブルーインパルスは令和6年(2024年)の展示日程を滞りなく終了しました。12月8日(日)には百里基地航空祭で曲技飛行を、12月19日(木)には宮城県女川町の出島架橋開通式で航過飛行を展示し、ブルーインパルスの特徴とも言える航空祭と復興イベントで令和6年を締めくくりました。
令和6年度の展示日程としても、令和7年3月2日(日)の小牧基地航空祭を残すのみです。
今年12月にはT-4ブルーインパルスの第11飛行隊が30周年を迎えます。来年度の展示日程は3月末頃になると思いますが、4月には大阪万博も開催され、開幕に伴う祝賀飛行が期待されます。
来年度も目が離せないブルーインパルスですが、その動向をお伝えするために、本稿は新たに「みんなのブルーインパルス」として、より参加しやすい読者参加型コラボ記事をめざして令和7年をスタートしたいと思います。
令和6年度百里基地航空祭
12月8日(日)の令和6年度百里基地航空祭では第1区分の曲技飛行が展示されました。前日7日(土)にも地域住民を招待した特別公開が行われ、こちらでも曲技飛行の事前訓練が展示されました。
注目すべきはこれを2日展開で行ったことです。土曜日の朝に来て午後から訓練展示し、日曜日に展示飛行してその日に帰るというやり方は、往年のブルーインパルスを思い起こさせます。元々、岐阜以東の東日本の展示では2日展開が定番でした。震災後、避難先の芦屋基地から展開したり、また松島基地に帰還後はテレビドラマ「空飛ぶ広報室」に登場して人気が爆発し、ファンサービス(サイン会)の対応が膨れ上がるなど、さまざまな理由で2日展開が3日4日展開になることが通常となっていましたが、この百里では往年の2日展開で完結したのです。しかもその内容はファンサービスまで対応するフルコースでした。
航空祭や展示飛行で他基地へ展開して展示飛行することは部隊全体で行うミッション(作戦行動)であり、充分な想定や計画あってのものです。「やればできるだろう」と頭で考えてすぐに次からできるといったものではなく、相応の準備が必要です。コロナ禍で航空祭や展示飛行がない時期にも「移動訓練」として他基地に展開して飛行訓練を行うことがあったのは、展開そのものの手順を確認し、その技量を維持するためです。それと同じように、百里では本番の航空祭で2日展開が実施されました。この経験や実績はメンバーのさらなる自信にもつながり、何より来年度の展示日程の計画にも好影響を与えるのではないでしょうか。
ブルーインパルスは午前中の展示
ブルーインパルスの曲技飛行展示は午前中の最後でした。午後一には主催者の百里基地所属機が大トリを務めました。
航空祭といえばブルーインパルス。それを目的に来場する方も多く、ブルーインパルスが最後に展示することは長く定番となっていました。最近ではブルーインパルスを先に展示することも増えており、これには帰りの混雑を分散する効果や今回は2日展開を確実に遂行することにもプラスになったのではないでしょうか。
この午前中の展示のおかげでか、午後からはファンサービスも行われました。普段は展示飛行の前の早い時間に行われるファンサービスは、午前の展示では難しいと諦めていましたが、午後から行われ、嬉しい誤算となりました。
百里基地は茨城空港との共用飛行場となっており、定期便の合間に展示飛行を行うという難しさもあったようです。
ブルーインパルスの直前にも出発便がありましたが、タクシーアウトしたのはブルーインパルスの方が先でした。この場合、ブルーインパルスが先に離陸して離れたところで空中待機し、定期便を後から離陸させてそれが空域を離れたところで展示飛行を開始することのメリットはあまりありません。百里基地は2本の平行滑走路がありますから先に滑走路03Rに入り最終的なエンジンチェックを済ませて定期便の離陸を待ちました。定期便がタクシーアウトしてくるともう一本の滑走路03Lから先に離陸していきました。
定期便が8海里圏外に出たら展示飛行のスタートです。ブルーインパルスは1〜4番機が全開のインディビジュアル・テイクオフで、5、6番機はフォーメーション・テイクオフで離陸しました。
曲技飛行展示はテンポ良く進みました。1番機がリードする編隊課目と5番機がリードするソロ課目が交互に繰り広げられる進行は、ともすればどちらかが遅れ気味になってタイミングを調整することもありますが、どちらもグイグイと引っ張っていくようなスピード感で進められていきました。
途中、前日午後に行われた特別公開の事前訓練と比べてフェニックス・ロールやコーク・スクリューが省略され、着陸は12時に完了し、時間厳守で曲技飛行展示が終了しました。
ブルーインパルスの展示飛行は、ともすれば、もう少し時間をずらせば天候も回復しもっと高い区分で飛べたのに、といったケースも珍しくありません。しかし、高度は1万フィートまで、広さは8海里四方まで、完全に占有した空域の設定時間は簡単には変更できないようです。
曲技飛行の構成は令和6年度百里基地航空祭のための、いわば「百里スペシャル」で、話題となった「ループ・アンド・ボントン」や冬季限定の「クリスマス・ツリー・ローパス」が盛り込まれました。「ループ・アンド・ボントン」はT-4ブルーインパルス初年度の課目を再現したものですが、入間航空祭で初年度同様に左からの進入で再現したのに対し、百里では現行のデルタ・ループと同じ右からの進入とし、スペシャル感を際立たせました。
投稿写真・動画で見る第1区分
皆さんからの投稿写真と動画で百里基地航空祭のブルーインパルスを振り返ってみます。
昨年この投稿企画を始めてから大変お世話になっている《5兵衛さん》からは百里と出島でも秀逸な写真をお送りいただきました。今号では表紙の写真も《5兵衛さん》のクリスマス・ツリー・ローパスで飾らせていただきました。
12月らしい澄み切った視程の良い青空でブルーインパルスが1区分で展示飛行を実施した。上空の風も弱いようで長い間スモークが残る美しいアクロバット飛行を見ることができた。
《小松崎涼夏さん》からは人気のバーティカル・キューピッドの動画をありがとうございました。無骨な自衛隊や戦闘機のイメージとはかけ離れたハートを描くこの課目は、自衛隊の持つ愛情や親しみやすさをとてもよく表していると思います。
ハートを描き始めるところで片方が一瞬スモークを早く引き始めるところは、ハートの起点をすっきり見せる効果があり、何気なくこの課目の難しさを物語っています。
こちらの動画はブルーインパルスの数多くある技の中でも1番好きな技で広い空にハートを煙で描いてる動画です。
当日の感想は、航空祭前日から楽しみだったけど百里基地に行ったら私の好きな戦闘機が止まっており、気づいたら写真を2、30枚撮っているのに気がついたことと、ブルーインパルスは、大空で、ブルーにしかできないアクロバットを披露してついつい感動していたことです。来年もブルーインパルスが来るのを楽しみにしています!!
これからもずっと応援しています!
《Mac910さん》《mako.blue_iさん》からはたくさんの投稿写真からクリスマス・ツリー・ローパスをセレクトさせていただきました。クリスマス・ツリーは大人気で、Facebookでも多くの方から投稿いただきました。こうして見ても本当にクリスマス・ツリーを感じさせる課目です。
この課目の秘密をご存じでしょうか。ゆっくりこちらに迫ってくるクリスマス・ツリーですが、実は高度を少しずつ下げながら向かってきています。そうすることで自然に向かってくるように見えるほか、着陸灯がより長くキラキラして見える効果があります。
こうした見栄えをよくする操縦は展示飛行全体を通じてさまざまなところに隠されており、それを無言でさらっとやってのけるところがブルーインパルスの職人技と言えるかもしれません。
今回、初めて百里基地航空祭を見に行かせて頂きました。大洗サンビーチからのバスもスムーズに進み、又、会場までの移動もスムーズで、良かったです。
展示飛行・展示機も楽しませて頂きました。
今回、改めてF2, F15の速度に驚くとともに、パイロットの方々の操縦技術に感銘しました! 又、救難救助の過程も見れて良かったです。
日々この様な訓練を重ねているからこそ、有事に対応出来るんだなぁと再認識しました。
ブルーインパルスは、いつ見てもその正確な飛行に見惚れてしまいます。
クリスマスツリーローパスは、その迫力と綺麗さに心トキメキました!
この様な機会を頂きありがとうございました。来年も是非、見学に来たいと思います。
青の世界のブルー
青空のブルーを求めて、百里基地へいきました。当日の一番の目的は青空のコークスクリューでしたが、残念ながらスキップとなりましたが、最高の青の世界を切り取れました。
暗い画像ですが、この時期の課目、クリスマスツリーで奇跡の一瞬が撮れました。
時間厳守の特別な課目構成で、何人もの方からコーク・スクリューが見られなかったとの感想を聞きました。さすがに人気課目だけありますね。
全体の流れからコーク・スクリューまでやろうとしていたと確信しています。離陸は最速な方式を選び、序盤のサンライズは第1区分のループから入るサンライズではなく、水平飛行からそのまま開くレベル・サンライズに置き換えられました。ループを伴わないことで15秒近く時間を縮められます。終盤には課目そのものをカットして時間を短縮しているようなところもあったようです。
1番機編隊長の川島良介3空佐はどこまでやれるかずっと計算しながら課目構成を詰めていったのではないでしょうか。またその意図をくんで合わせていくメンバー全員の編隊精神も伝わってきました。
特別公開ではコーク・スクリューも展示された
前日の特別公開での事前訓練は午後からで、当日に比べると定期便の間隔があったのか、時間的制約が少ないようでした。前日にはフェニックス・ロールやコーク・スクリューも実施されました。
百里基地近隣住民の《KONGO1975さん》が特別公開のコーク・スクリューを撮影してくださいました。
前日の特別公開に基地に行き、本番は基地近隣の自宅庭で堪能しました。地元百里の第3の機動飛行にAGG、更には306と303の機動飛行を見れて撮れて満足でした。極め付けはブルーと15が自宅をローパスした事です。
今年度の残る展示日程は小牧基地航空祭のみ。3番機と6番機は世代交代の時期を迎えており、3番機の藏元文弥1空尉と6番機の加藤拓也1空尉は百里基地航空祭が最後の曲技飛行展示になったかもしれません。
百里基地所属機の展示飛行
百里基地は首都圏防空などを主任務とし、第7航空団がF-2戦闘機を運用しています。F-2戦闘機はオープニング飛行から機動飛行や模擬対地攻撃(AGG:Air-to-Grand Gunnery)の展示まで、百里基地の顔として第7航空団隷下の第3飛行隊が、F-2戦闘機の高性能と高い操縦技量を発揮した展示飛行をいくつも見せてくれました、
百里救難隊もその屈強さを見せる救難展示を披露してくれました。
常用の速度域がまったく違う遅めのUH-60Jと高速なU-125Aが速度を合わせて飛ぶ姿は、嵐の中でも救助に向かう救難隊の確かな技術に基づく飛行でした。
メディック(救難員)は、ホイストで降下して要救助者を引き上げる展示や高高度からのパラシュート降下も見せてくれました。
小松基地から第6航空団も参加した展示飛行
中日本の太平洋側を担当する第7航空団に対し、日本海側には小松基地に第6航空団が配置されています。どちらも中部航空方面隊隷下であり補完関係にあります。小松基地が豪雪で離着陸できない時、百里基地から日本海側の対領空侵犯措置に向かうこともあったようです。情勢によっては逆に小松基地から太平洋側に進出することもあるようです。
小松基地第6航空団所属のF-15が機動飛行を見せることは、百里基地航空祭の定番ともいえる展示飛行です。今回は第303飛行隊と第306飛行隊の両飛行隊から合同で航空自衛隊70周年記念塗装機が参加し、2機で機動飛行を見せてくれました。令和6年9月能登半島豪雨直後の小松基地航空祭で自粛された機動飛行が百里基地航空祭で実現した形となり「ともにこえよう石川」の文字が書かれたF-15が百里基地で飛んだことは、年初に能登半島地震が発生し、入間航空祭も中止して災害派遣対応してきた中部航空方面隊の災害に屈しない姿を体現しているかのようでもありました。
この日、那覇基地では美ら島エアフェスタ2024が開催されました。令和6年の航空祭は百里と那覇で終了し、年度としては3月2日の小牧基地航空祭を残すのみです。
令和6年度のブルーインパルスは那覇も九州も航空祭の参加がなく、百里が2年ぶりだったことを鑑みても、今年は那覇や九州で2年ぶりに飛んでくれるかなとも期待しています。そして、T-4ブルーインパルスのために発足した第11飛行隊は30周年を迎えます。
今年度は初年度課目の再現もあり、30周年の航空祭でも、どんな活躍を見せてくれるのか楽しみにしております。
宮城県女川町出島架橋開通式
令和6年(2024年)12月19日(木)は女川町出島架橋開通式でブルーインパルスが飛び、祝賀飛行となりました。
東日本大震災で家屋の倒壊や津波の被害にあった出島の島民の皆さんにとって、それ以前からも長年の悲願であった出島架橋は、災害時の避難道路や観光道路として活用され、大切な生活基盤となっていくとのことです。
出島架橋開通式には平日にも関わらず《5兵衛さん》が現地に赴かれました。主にその作品群で現地の様子をお伝えします。
①突然の乗船
出島架橋開通式当日の朝、島に渡る予定ではなかった私は1stで洋上訓練に行くブルーインパルスを見送るため、松島基地にいた。
そこで友人が「2便に乗るとまだ間に合うんだよね」と甘い言葉をささやく。
気がついたときには高速船しまなぎのチケットを買っていた。
高速船しまなぎの船体には「祝出島大橋開通 長い間ありがとう」の幕が飾られていた。令和7年3月までは運行予定とのことだったがその後はどうなるのであろうか。
島内の小屋には「つなげ本土に届く橋」と書かれた看板があった。色褪せた看板が建設までに長い年月がかかったのであろうことを想像させた。
②念願の日
港に到着すると法被姿のおばあさんたちが大漁旗を掲げてブルーインパルスが来るのを今か今かと待ち構えていた。
ご主人たちは開通式に出席していて、出席していないご婦人方が港に集まったのだという。
10人程度集まっていたが、現在島の人口が90人とのことなので1割程度がこの場所にいたことになる。
③長年の思い
ここ最近のブルーインパルスの展示飛行が
美浜町、百里基地航空祭ともに6万人の入場者数だったのに対して島に渡った観客は数十名程度だったと思われる。
通常の展示飛行では歩くことも困難なほど人であふれかえるが出島は広い港に20人程度しかいなかっため、ゆっくりと展示飛行を見ることができた。
島民のおばあちゃんたちも椅子に座ってゆっくり眺めることができたようだ。
(写真掲載許可いただいています)
④命をつなぐ橋
今回いつものようにブルーインパルスを追いかけて出島に渡ったのだが、架橋にかける住民の長年の思いを目の当たりにして、まだまだ知らないことがたくさんあることを痛感した。
そして離島の人からも待ち焦がれ、歓迎されるブルーインパルス。
来年もブルーインパルスを追い続け、たくさんの景色を見てみたい。
今年30周年を迎える第11飛行隊。今年1月17日は阪神・淡路大震災から30年でした。あの日あの頃、T-4ブルーインパルスは臨時第11飛行隊として飛行隊発足の準備を進めていました。
阪神・淡路大震災は自衛隊にとっても悔しい思いをした大規模災害で、助けに行きたくても要請がなければ出られない法体系になっていました。第11飛行隊の第5代飛行隊長であった西村弘文1空佐(当時)は、のちに統合幕僚監部の幕僚となり「自主災害派遣」で災害派遣要請が出る前に出動できる体制を整備しました。そのことが東日本大震災での自衛隊の初動にもつながっています。
令和6年には元日に能登半島地震が起き、自衛隊もさまざまな災害派遣活動を行いました。
3月の北陸新幹線延伸開業記念行事では、ブルーインパルスは新幹線行事の後もそのまま小松基地に留まり、数日後に能登半島を激励飛行で飛びました。これまで熊本でもそのように飛び、東北でもいまも飛び続けています。出島架橋開通式もそうした被災地に寄り添うブルーインパルスの展示飛行のひとつとなりました。
東日本大震災当日に芦屋基地に展開しており、機体が難を逃れブルーインパルスが生き残った意味がなんなのか、今も考え続けてますが、この30年を思い起こせば、広報任務で飛び続ける中で、災害やコロナ禍のような苦境に苦しむ国民に寄り添う使命を宿して生まれてきたのかなと、1月17日に阪神・淡路大震災を振り返って思うようになりました。
令和7年飛行初め
年が明けて1月7日(火)には「飛行初め(ひこうはじめ)」で飛行訓練が開始されました。「始め」でなく「初め」と書くのは、読み方は異なりますが「書初め(かきぞめ)」と同じですね。航空自衛隊にとっては大事な年中行事です。
20年前はニュースになっても一社あるかないか、その扱いもスタンバイの他の大きなニュースがなければ放映されるというようなものでした。ところが最近では各社がこぞってニュースに流すようになり、今日の人気や世間の注目度を表しています。
松島基地Xでは飛行初めの様子が投稿され、多くの取材陣が集まった様子が伝わってきます。
飛行初めは金華山沖の洋上訓練でした。ブルーインパルスファンネットのFacebook投稿用グループ「みんなのブルーインパルス」には、金華山沖から戻った際、着陸前に一課目だけ曲技飛行を訓練する「ワンタイムアクロ」や、飛行初めに現れた縁起の良い「彩雲」などの光景を《小林信之さん》が投稿してくれました。
読者投稿受賞作品(防衛日報社賞)
応募作品で防衛日報社賞に輝きましたのは《5兵衛さん》の「大漁旗を振って出迎えた島民の皆さん」です!
《5兵衛さん》には防衛日報社賞の記念品を贈らせていただきます。
みんなのブルーインパルス
本コラボ記事はこれまで航空祭やイベントの展示飛行ごとにその様子をお伝えしてきました。本号より「みんなのブルーインパルス」と改名し、皆様からの読者投稿を中心に、展示飛行のみならず訓練飛行やさまざまなトピックに着目して、ブルーインパルスの魅力や存在意義をもっと明らかにしていきたいと思います。記事に連動したインスタライブでの解説なども行っていければと思います。
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