令和6年(2024年)10月5日(土)、佐賀県の「SAGA2024 国スポ開会式」でブルーインパルスの展示飛行が予定されていたが、前日4日(金)の事前訓練(予行)はできたものの、当日の天皇陛下ご臨席の開会式における展示飛行は天候不良のためキャンセルとなった。

 「国体」の愛称で親しまれていた「国民体育大会」が今年から「国民スポーツ大会」、通称「国スポ」に変更されて初めての大会であっただけにとても残念であった。ブルーインパルスは85km離れた隣の福岡県築城基地から離陸し、待機位置である鳥栖市上空あたりまでは来ていた。降下できる雲の隙間を探して、しばらくは待機していたが、秋雨前線の北上に伴い雲の隙間は見えず、式典の開始時刻には間に合わないと判断し、築城基地へ帰っていった。

「SAGA2024 国スポ開会式」展示飛行予行のレベル・サンライズ - YouTube

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 前日(10月4日)は秋晴れの青空の下、会場となる「SAGAサンライズパーク陸上競技場」上空を時間通りに「レベル・サンライズ」で航過し、その後「唐津城(唐津市)」「吉野ヶ里歴史公園(吉野ヶ里町)」上空を、見事なやや幅の広いE(エコー)デルタ隊形で6本の軌跡を描いていった。

やや幅広のE(エコー)デルタ隊形で唐津城に向かい飛行するブルーインパルス

 残念ながら本番当日5日は朝から低い雲が佐賀平野全体を覆い、時折雲間から日が差すものの、正午をすぎた頃からはポツポツと小雨も降り始めた。傘を差すほどではないものの「SAGAサンライズパーク陸上競技場」周辺には開会式を見ようと沢山の人が集まっていた。また、ちょうど進入経路上となる佐賀バイパス(国道34号線)沿いや近傍のショッピングセンター屋上にもカメラを持った沢山の人たちがいた。航過開始時刻が近づいた頃、航空無線を聞いていたとある男性が「どうも中止のようです」と周辺の方達に教えてくれていた。ほどなくして佐賀県のホームページにも「ブルーインパルス展示飛行の中止」が掲載され、観客の落胆の声が上がっていた。筆者も久しぶりに現地での残念そうな声や、特に子供達の「エッ、なんで?」「明日は来るの?」といった声を聞き、我がことのように「申し訳なさ」と、正直なところ「寂しさ」を感じてしまった。

唐津城を通過し吉野ケ里遺跡に向かうブルーインパルスの航跡

 確かに会場付近の雲は展示飛行を阻むほどではなかったが、そこまでの航路や経路上の雲の状況までは現地では知り得ない。「なぜ?」「どうして?」といった疑問は当然持つはずである。しかしながら、このときの編隊長は、離陸から、進出、待機、展示飛行、帰投および着陸までの一連の流れにおいて「安全を優先」し「展示飛行中止」を最終決心したのである。筆者も「中止」を決定する時の悔しさは現役時代に十分味わっている。これが会場とは別の場所から離陸し、展示飛行するいわゆる「リモート展示」の難しさなのだ。通常航空祭などでは、その場所から離陸し、その場所へ着陸するため、観客も空を見上げ、同じ空気の中にいるため状況は認識できるものである。

当日のSAGAサンライズパーク陸上競技場

 では、今回は気象状態によっては最終的に展示飛行を開始するかどうか?
(専門的には「GO or NO-GO」という)
 編隊長はどう考えるかについての基本的なところを説明しよう。

 まず前提となるのは「航空法」である。その中で飛行方式はVFR(有視界飛行方式:雲に入ってはならない飛行)とIFR(計器飛行方式:雲に入ってもOK)の2種類に分かれている。ブルーインパルスにおける「リモ-ト展示」は、離陸から会場周辺までの経路は十分に安全高度帯であればVFR、IFRのどちらの方式でも飛行できるが、最終的に展示飛行は高度を降ろしVFRで行っている。6機編隊が雲から離れ十分に高度処理を行うには適度な大きさの雲間がなければならないが、今回はそれがなかったようだ。また、そのほかにも気をつけるのは雲だけではなく周辺の山々の標高もある。鳥栖市あたりから佐賀市中心部へ向かう経路は全般に平野であり問題ないが、この後唐津市へ向かう経路上に「天山(標高:1,046m)」、唐津市から吉野ヶ里町へは「背振山(1,055m)」などがあり、高度処理・再獲得の地点などにも神経を使わなければならない。そうした結果、一度は離陸しトライしたものの、総合的に中止を判断したと思われる。また、決心するまで時間的な猶予は全くない。

 このため編隊長は天皇陛下の御前であるにもかかわらず苦渋の選択を行い、展示飛行中止を決心した。これは多数機(6機)編隊長であり、全機の安全を確保しつつ任務(定時・定点必達を含む)を完遂しなければならない編隊長の判断の難しさや葛藤については、その心中察するところである。ブルーインパルスを初めて見る方、遠方から来られた方々にとっては、まさに「一期一会」なのだろう。ともすれば意気揚々と任務に向かったブルーインパルスのメンバーが最も悔しかったに違いない。

美しい佐賀県の唐津湾の景色 - YouTube

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 ではここで少々佐賀県の紹介をしておこう。九州の北部に位置し、冬は玄界灘の強風を受けるものの、比較的おだやかで暮らしやすい地域だ。福岡県からのアクセスも良く、電車1本、1時間強で博多駅に行ける距離である。北海道、長崎県、沖縄県を除く全ての都府県は、2つ以上の他の自治体と陸上で隣接しているが、佐賀県はその隣接する自治体同士が全く接していない唯一の県である。すなわち、福岡県と長崎県の間を陸上で移動する場合には必ず当県を通過する。

 歴史的にも、豊臣秀吉の朝鮮出兵のころから「前田利家」や「伊達政宗」などといった歴史的に有名な武将達が現在の佐賀県唐津市にある名護屋(なごや:名古屋ではない)城を起点に派兵。当時の貴重な城跡や陣跡が残されており、国の重要な拠点として栄えた。

 また、国内で最初の磁器である「有田(ありた)焼」は、約400年前から作られている。伊万里(いまり)川の河口から輸出したことから「伊万里焼」とも呼ばれ、世界中に影響を与え、中でも江戸時代の作品は、「古伊万里(こいまり)」として高く評価され「いい仕事」をしている。ほかにも土の風合いを活かした唐津市の「唐津焼」も、佐賀県の名産品として知られている。

 さらには約20万人が訪れる「唐津くんち」、日本三大朝市のひとつ「呼子(よぶこ)の朝市」、美人の湯といわれる「嬉野(うれしの)温泉」、世界的規模の「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」、全国1位の収穫量を誇る「佐賀海苔」などなど観光・グルメといった面でも有名な土地柄と言えよう。

 残念ながら今回ブルーインパルスは展示飛行こそ出来なかったが、読者の皆さんには、九州方面へ旅行された際は、ぜひとも「佐賀県」に少しだけでも足を延ばしていただければ幸いである

〈文/写真/動画〉ブルーインパルスファンネット 吉田信也と仲間たち/今村義幸

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