巨大空港で多くの協力を得て開催された「千歳のまちの航空祭」

 令和5年(2023年)7月30日(日)、航空自衛隊千歳基地をメイン会場として、千歳市内やアウトレットモール、日本航空大学校を会場に「千歳のまちの航空祭」が開催された。千歳基地航空祭を発展的に改名し、地域と一体となって開催する航空祭だ。昨年は「千歳基地航空祭〜千歳のまちの航空祭〜」とサブタイトルだった名前を「千歳のまちの航空祭」とした。
 新千歳空港と千歳飛行場(千歳基地)を擁する滑走路が4本ある巨大空港は、航空自衛隊千歳管制隊により民航機と自衛隊機が一体的に管制されている。日本で滑走路が4本ある空港は羽田と千歳だけだが、羽田とはまた違う、民航機の定期便と自衛隊機のホットスクランブル(対領空侵犯措置)の両方を担っている飛行場である。
 統合幕僚監部の発表によれば、航空祭に先立つ28日(金)と29日(土)にも北部航空方面隊による対領空侵犯措置が発生した。以前にも千歳基地航空祭前の金曜日一日でホットスクランブルが5回も掛かったことがあった。日々、北からの脅威に対し守りを固めているのが千歳基地だ。
 町を挙げての航空祭に、民間航空会社の協力も得て、展示飛行の時間には離発着も調整して開催されるのが「千歳のまちの航空祭」だ。自身もブルーインパルスの編隊長として千歳基地航空祭で飛んだ吉田信也元2空佐は【説明しよう!】で、今年の「千歳のまちの航空祭」の特徴について、航空祭に先立ち解説した。

前日の予行が同じ時間で実施されたのは画期的なことだという。南千歳駅(旧千歳空港駅)前の広場には旧千歳空港の入口にあったモニュメントが残っている

F-15のオープニングフライトでスタート(8:46~)

 最初は8:40~8:46のオープニングセレモニーだ。第2航空団司令兼ねて千歳基地司令の柳享範(やなぎ ゆきのり)空将補が開会のあいさつをし、テープカットに合わせてF-15が定時定点通過で航過飛行した。8:46という分単位のプログラムが千歳らしい時程を感じさせる。千歳基地第2航空団第203飛行隊の2機が飛んだ。

定時定点通過でオープニングフライトした第203飛行隊のF-15(写真・伊藤宜由)

F-15大編隊による航過飛行(9:00~)

 9:00からはF-15大編隊による航過飛行だ。第2航空団の第201飛行隊と第203飛行隊が合同で、8機の大デルタ隊形を組んだ。これを離着陸させるだけでも、民航機のトラフィックとの関係も考慮せねばならず、確実な調整と運航が求められる。
 例えば、成田空港はA、B、ふたつの並行滑走路を持つ空港だが、その距離は2.5km離れている。それでもA、B滑走路の同時離発着が許可されたのは最近のことである。新千歳空港側のターミナル寄りA滑走路と千歳基地(飛行場)の東滑走路の間隔は1.5kmと成田空港よりも近い。

第2航空団によるF-15大編隊の航過飛行(写真・伊藤宜由)

UH-60J・U-125A救難訓練展示(9:10~9:30)

 千歳救難隊が救難訓練展示を実施した。「人をつなぐ 世界をつなぐ 空のまち ちとせ」という千歳市のキャッチコピーが機体に貼付されていた。今年は空港開港97周年にも当たるという。
 千歳救難隊は令和4年4月の知床遊覧船沈没事故において、海上保安庁からの災害派遣要請を受けて、捜索救難に参加した。

千歳救難隊のUH-60J

デモスクランブル・タキシング(9:40~9:50)

 デモスクランブルは第203飛行隊が展示した。スクランブル発進のブザーが鳴ってF-15へ駆け付け搭乗し、エンジンスタートからタクシーアウトまでを5分で実施する5分スクランブルを模擬展示した。
 スクランブルには対領空侵犯措置を意味するホットスクランブルとそれ以外(地震発生時の被害状況の偵察など)のスクランブルがある。

デモスクランブルで会場前をタキシングしていくF-15J

B777航過飛行(10:20~10:25)

 昨年、要人輸送任務のため急遽不在となった政府専用機は、製造番号111、112共に今年は参加できた。
 展示飛行は111が行い、112は南千歳駅側の大型機展示会場で地上展示された。
 政府専用機が先代のB747-400型機で平成5年(1993年)4月に宮澤総理の訪米で運航開始されてから30周年になる。同年9月には天皇皇后両陛下のご訪欧で御召機となった。
 現行の二代目B777-300ER型機は平成31年(2019年)4月から運用されている。

展示飛行した111号機①

展示飛行した111号機②

F-15機動飛行(10:30~10:45)

 F-15、2機による機動飛行は第201飛行隊が展示した。720°旋回など新千歳空港側の空域も使用するため、その間の民航機の離発着は調整されたようだ。
 国土交通省や民間航空会社、自治体の協力があっての航空祭であるが、帰りの羽田便の機内では、定刻10分遅れについて、航空祭のために遅延したとアナウンスがあった。日本の空を安全に飛べるのは航空自衛隊が空を守ってくれているからであり、その理解を得るための航空祭であるから、端的に航空祭が悪いというようなアナウンスには少しがっかりした。

第201飛行隊のF-15J①(写真・伊藤宜由)

第201飛行隊のF-15J②、2機が交互に進入するようなダイナミックな機動飛行を展示した(写真・伊藤宜由)

F-35訓練飛行(10:55~11:00)

 F-35Aの訓練飛行は、今年も三沢基地からのリモート展示だった。第3航空団に平成31年(2019年)に新編された第302飛行隊と令和2年(2020年)に新編された第301飛行隊のF-35Aだ。
 この中でも第302飛行隊は、昭和49年(1974年)に、ここ千歳基地の第2航空団に空自2番目のF-4EJ部隊として編成され、昭和60年(1985年)に那覇基地に移転した飛行隊だ。平成21年(2009年)には百里基地へ移転し、平成31年3月にF-4EJの運用を終え、同月三沢基地第3航空団へF-35A飛行隊として編制された。
 千歳基地の正門からランプ地区(駐機場)に向かう途中には退役したF-4EJ改の機体が保存されている。その機体はつい先日化粧直しが行われ、尾翼のオジロワシが色鮮やかに輝きを取り戻していた。

三沢基地から2機のF-35Aがリモート展示で飛来した。

尾翼には小さくなったが第302飛行隊のオジロワシのマークが描かれている(写真・伊藤宜由)

つい先日再塗装されたF-4EJ改の345号機。第302飛行隊は千歳基地から始まった

ブルーインパルス曲技飛行(12:10~12:50)

 ブルーインパルスは最上位の第1区分曲技飛行を展示した。曇空ながら雲は高く、縦系のループやロール課目を実施できた。終盤でスター・クロスとバーティカルキューバン8が3区分のサクラに置き換えられた。朝からパラパラと降っていた小雨は傘を差す程でもなく、涼しさを感じさせた。しかし、サクラの頃から少し雨足が強くなり始めた。
 この日、6機全機がインディビジュアル(単機ごと)で離陸した。これは離陸が18Lの東滑走路でメイン会場から遠かったため、ロー・アングル・キューバンやロール・オン・テイクオフの曲技飛行課目で上がっても見えないとの判断からのようだ。
 6機は離陸後に空中集合し低高度でハイスピードなデルタ・ローパスで正面から会場上空を通過した。
 サンライズは第1区分のループから開花するものではなく、水平飛行から開花するレベル・サンライズとした。これは北海道といえども猛暑になるこの時期、エンジンレスポンスが悪く燃料も消費することから置き換えられたようだ。
 終盤の3区分であるサクラは天候(低い雲)が理由のようだ。
 この課目構成は7月6日に松島基地で行われた前飛行班長の平川通3空佐のラストフライトで実施しようとしていた課目構成に近いが、デルタ・ループをフェニックス・ループに置き換えたことにより、一歩前進したような構成に見える。
 その事をこの日編隊長を務めた新飛行班長の川島良介3空佐に展示飛行後に聞くと、東滑走路では課目が見えづらいことが理由とのことだった。
 昨年の千歳基地航空祭で、新型コロナの影響により誰も航空祭における展示飛行を経験したことのない中、平川3空佐が編隊長として再開してから1年が経った。この日の東滑走路での運用は暑さと東滑走路が西より300m長いことの兼ね合いと思われるが、天候も相まってラストフライトの課目構成+フェニックス・ループで第1区分が完遂されたことは、平川3空佐が天候不良で3課目しか実施できずにラストフライトを終えたことへのリベンジのようでもあり、コロナ禍からブルーインパルスを立ち上げ直した平川3空佐へのトリビュートのようにも感じられた。偶然は必然であり、ブルーインパルスが一歩前進した姿として目に映った。

ウォークダウンするブルーインパルスパイロット6名(写真・伊藤宜由)

機付整備員に見送られタクシーアウトする1番機(写真・伊藤宜由)

千歳飛行場の東滑走路でエンジンランナップするブルーインパルス。会場からはかなり離れている

6機の低高度で高速なデルタ・ローパスでスタートした

水平飛行から開花するレベル・サンライズ

ロール系の課目を駆使する6番機のスロー・ロール

単機で360°旋回とループを連続して行う5番機の360°&ループ

陸自第71戦車連隊の10式戦車、第11普通科連隊の89式装甲戦闘車と87式偵察警戒車の上空を後方から進入してくるワイド・トゥ・デルタ・ループ

終盤の6機課目ではフェニックス・ループが実施された

最後のコーク・スクリューまで実施して第1区分の曲技飛行を完遂した

向かい側には大型機展示会場があった。2番機後席から向こう側へ手を振っている

新メンバーも初登場の千歳

 千歳のまちの航空祭では今月着隊したばかりの2名のパイロットが初登場した。
 来年には隊長となる1番機TR(Training Readiness=訓練待機)の江尻卓2空佐(長野県出身、TACネーム・EDGE)と、2番機TRの松永大誠1空尉(熊本県出身、TACネーム・SPOCK)だ。ファンサービス(サイン会)には早速長い列ができ、展示飛行ではそれぞれ3番機と2番機の後席に搭乗した。

飛行隊長付
1番機
江尻卓2空佐
防大50期
長野県出身
TACネーム・EDGE

2番機
松永大誠1空尉
防大59期
熊本県出身
TACネーム・SPOCK

3番機メンバーの活躍

 昨年の千歳基地航空祭では、3番機の藏元文弥1空尉(当時2空尉)が初登場した。コロナ禍で新メンバー着任のタイミングも少しずつずれているが、現状では千歳が初登場の一つのタイミングとなっているようだ。これも航空祭シーズンが本格的に始まる機運を盛り上げている。
 3番機繋がりのエピソードがある。
 藏元1空尉はブルーインパルスパイロットでもっとも若いエースとして、展示飛行後に詰めかけた大勢のファンに対し、当日帰投にも関わらずギリギリまで積極的にファンサービスしていた。
 筆者はブルーインパルスを初めて見た頃に2空尉でブルーインパルスパイロットになり、若くしてブルーインパルスに入れるほどの操縦技量を持ち、こうして積極的にファンサービスに対応する3番機パイロットに魅了され、それがブルーインパルスにのめり込んでいく一因となった。その魅力は20年経った今でも変わらない。

展示飛行後も積極的にファンサービスする藏元1空尉(写真左、航空学生67期出身)

 3番機OBの久保祐介1空尉も第201飛行隊のF-15操縦者として元気な姿を見せてくれた。現3番機、藏元1空尉の二代前が久保1空尉だ。
 ブルーインパルスを3年で卒業して戦闘機部隊に戻れることは、ブルーインパルスが3代目の機種(T-4)となり、「広報」を主任務とした第11飛行隊の人事交流が順調に行われていることを意味する。それまではブルーインパルスに行ったら期間的に戦闘機部隊に戻るのが困難という状況もあったようで、表舞台での華やかさとは裏腹に、希望者が少ないといった実情もあったようだ。
 今日、久保1空尉のように笑顔で戦闘機部隊で活躍しているOBの姿が、ブルーインパルスパイロット志望者を増やし、広報への意欲も高い人材を輩出している。
 また、ブルーインパルスを若くして経験したパイロットは操縦技量が飛躍的に向上し、その後の戦闘機部隊の戦力向上にも貢献しているようだ。
 ただし、戦闘機の戦闘技術はハードウェア(機体や兵装)、ソフトウエア(戦技)共に日進月歩で進化しており、第11飛行隊の3年任期は、それ以上長くなると戦技等に付いていくのが困難という実情も考慮して決められているようだ。
 そうした人事システムが機能していることを、久保1空尉の笑顔が証明しているように見えた。

久保佑介1等空尉
航学62期/鹿児島県出身/千葉英和高校卒
在隊期間/平成29年12月1日~令和3年1月31日
(写真・伊藤宜由)

久保1空尉の右肩のワッペンにはTACネームのTOMMYの文字が入っていた(写真・伊藤宜由)

 千歳では3番機繋がりの嬉しいエピソードがもう一つあった。
 久保1空尉の一代前の3番機、上原広士1空尉(当時)(昨年のエアフェスタ浜松時点では第1航空団教官で3空佐、熊本北高校卒・航空学生61期、熊本県出身)の航空学生61期卒業式でブルーインパルスが祝賀飛行した際の3番機に岡田晶夫1空尉(現2空佐)がいた。
 岡田2空佐がブルーインパルスに着任する前年の平成16年(2004年)、小松基地第6航空団第303飛行隊のF-15パイロットとして、当時まだ開催されていた(現在はレッドフラッグアラスカなど国際共同演習のため開催されていない)航空総隊戦技競技会で優勝し、その時ウィングマン(僚機)であったのが、現第201飛行隊長の二宮康之2空佐だ。
 岡田2空佐がブルーインパルス卒業後に第303飛行隊に戻り、二宮2空佐と再びF-15編隊を組んで静浜基地航空祭等で展示したF-15機動飛行は、最強の編隊飛行だった。
 第201飛行隊庁舎前に展示されたパネルに二宮2空佐の名前を発見した時には、ブルーインパルスを追いかけ始めた頃の懐かしい思い出がよみがえってきた。
 岡田2空佐が3番機で飛び、久保1空尉がファンシードリルで祝賀した、上原3空佐の航学61期卒業式は、冒頭で【説明しよう!】を引用させて頂いた吉田信也元2空佐のブルーインパルスでのラスト展示飛行でもあった。
 吉田信也元2空佐の展示飛行を全て追いかけた筆者は、必死の想いで一般公開されていない航空学生卒業式に取材申請し、ブルーインパルスファンネットとして航空学生61期卒業式の中にいた。当時、自衛隊に対して今ほど好意的ではないマスコミは1社も来ていない中での取材で、その成果は航空専門誌の航空ファン誌などで発表したが、航空ファン誌は、吉田元2空佐の後任に当たる村田将一3空佐がデビューした翌年度初めの熊谷基地開庁記念行事の取材記事と共に、見開きのカラーページでこれを取り上げてくれた。
 岡田2空佐にはブルーインパルスファンネットの応援活動にも理解を頂き、訓練中に撮影した空撮写真を同サイトに掲載することにご尽力を頂いた。
 久保1空尉の笑顔を見たからか、3番機繋がりの数々の思い出が懐かしく思い出された。

戦技競技会に優勝した後、ブルーインパルスに3番機要員として着隊した岡田2空佐(当時2空尉)。平成17年(2005年)9月の小松基地航空祭にて

岡田2空佐と組んで戦競に優勝した二宮2空佐は第201飛行隊長になっていた

展示飛行も充実した千歳のまちの航空祭

 展示飛行の合間には働く車の走行展示などがあり、走行展示では除雪車や消防車がパレードした。格納庫内では各種装備品などが展示され、来場者からの質問に隊員たちが答えていた。

働く車の走行展示に登場した除雪車。冬場でも待った無しの対領空侵犯措置のため滑走路を常時離着陸可能にする

ブルーインパルスも使うT-4の計器パネル。真ん中下にある水平位置指示器はスター・クロスで5方向に散開する際に方位を決めるために見る

右のバイザーカバーのないヘルメットは緊急脱出時に空気抵抗が軽減され、F-15のパイロットはこれを使うことが多いという

《千歳のまちの航空祭2023・曲技飛行実施課目》

①デルタ・ローパス
②4ポイント・ロール
③チェンジ・オーバー・ターン
④インバーテッド&コンティニュアス・ロール
⑤レベル・サンライズ
⑥バーティカル・クライム・ロール
⑦スロー・ロール
⑧チェンジ・オーバー・ループ
⑨ハーフ・スロー・ロール
⑩レター8
⑪オポジット・コンティニュアス・ロール
⑫4シップ・インバート
⑬スラント・キューピッド
⑭360°&ループ
⑮ワイド・トゥ・デルタ・ループ
⑯デルタ・ロール
⑰フェニックス・ループ
⑱ボントン・ロール
⑲サクラ
⑳タック・クロスⅠ
㉑ローリング・コンバット・ピッチ
㉒コーク・スクリュー

《千歳のまちの航空祭2023・展示飛行メンバー》

展示飛行を終えた6名がグータッチでミッションの成功を讃え合う(写真・伊藤宜由)

1番機 川島良介3空佐(飛行班長)、林幸一郎3空佐(総括班長)
2番機 東島公佑1空尉、松永大誠1空尉
3番機 藏元文弥1空尉、江尻卓2空佐(飛行隊長付)
4番機 手島孝1空尉
5番機 江口健3空佐、後席・藤井正和3空佐
6番機 加藤拓也1空尉
地上統制官 名久井朋之2空佐(飛行隊長)
ナレーター 後席・佐藤裕介1空尉

《取材・撮影》ブルーインパルスファンネット
今村義幸(文)/伊藤宜由/Yuka Miyamoto