洋上でデルタ隊形で旋回するブルーインパルス

デルタ隊形で旋回する洋上のブルーインパルス(撮影・赤塚 聡)

今村「ここで個別の写真でもう少しお聞きしたいのですが、まずブルーインパルスですが、2009年11月に撮影されたデルタ隊形の作品を見ながらお聞きします。これは時期的にブルーインパルスが創設50周年に向かっていく前年末です。50周年では今原太郎カメラマンと共作でブルーインパルス写真集を発表されました。この頃は飛行班長が航空学生42期同期の安田勉3空佐でした。以前に4番機の猪俣展泰3空佐もおられましたけれども、この時は安田3空佐への同期としての特別な気持ちなども込められたりしたのでしょうか?」

赤塚「取材先に同期が居てくれるとやはり安心しますね。飛行隊のメンバーも私がOBということで一定の信頼を置いてくれていると感じますが、反対に何か失敗して同期に迷惑をかけてしまわないか、プレッシャーを感じることもありますね。この時は創設50周年を記念する書籍の取材ということで、そうした歴史的なタイミングに空撮のチャンスを頂けたことは本当に嬉しかったですね」

今村「ありがとうございました。あとここに写っている804号機は震災で損失された機体ですけれども、その時のポジションが2番機でこの写真と同じでした。この後震災まで同じポジションだったかはわかりませんけれども、2番機の804号機を残して頂いてありがとうございました」

初の戦闘機空撮写真 F-15J

初の空撮となった第204飛行隊F-15J記念塗装機。ロック岩崎さんがカメラシップを操縦した(撮影・赤塚 聡)

今村「次にブルーインパルス以外と言っては何ですが、戦闘機からもセレクトさせて頂きます。この空撮ではロック岩﨑さんがカメラシップを操縦されたとのことですが、たしか伝説のナイフエッジもこの機体で披露されたと記憶しております。今の記念塗装機と違ってリベット周りやパネルのつなぎ目もがっつり塗装されていますね。この機体の思い出話などありましたらお聞かせください。あと、ロックさんのお話はそれだけで一冊の本になるほどの濃いものだと思うのですが、後にエアロックの2番機候補にもなられた赤塚さんから見て、F-15のパイロット時代やカメラマンとしても一緒に飛んでみて、ロックさんはどんなところが凄かったでしょうか?というかどんな方でしたか?」

赤塚「この写真は私が初めて戦闘機の空撮をした1995年のカットですが、初のファイター系の空撮が、以前自分が在籍していた第204飛行隊の記念塗装機だったことは、色々な意味で感慨深かったです。1980年代後半になってから航空自衛隊機に記念塗装が施されるようになってきましたが、この1990年代の半ばが規模の大きな全塗装レベルの機体が登場した一つのピーク期だったと思います。記念塗装は一定の期間を経た後に落とさなければいけないのですが、パネルの境界やコーションマークなどをマスキングしておかないと除去作業が大変になるため、これ以降の記念塗装機はそうした作業性が考慮されています。
 岩﨑さんは私が第204飛行隊に在籍した当時は飛行班長をされていました。「F-15を手足のように操るというのはこうだ」ということを体現されていた人物です。機体の動きがシャープで、その節度ある動きは後のエアロック・エアロバティックチームでフライトされていたピッツ複葉機でも健在でした。
 この写真の撮影では私が搭乗するカメラシップのパイロットを務めて頂きましたが、F-15DJの後席からは邪魔になるエアインテークが写り込まないようにラダーを使って機体を傾けてくれたりして、撮りやすい環境を作ってくれましたね」

同期生と撮ったナイトの空撮写真 F-15J

日没の時間帯に撮影されたフレアを射出するF-15J。赤塚さんの同期生が操縦した(撮影・赤塚 聡)

今村「お話を聞いてますと、確かな技術の上に信頼関係があって空撮が成立しているということが感じられました。より良い作品にするためにとかではなく、安全を確保して空撮するために、技術と信頼がMUSTであると思います。その積み上げがこの集大成の写真集なのですね。
 もう一枚、これはナイトの日没直後の空撮作品ですが、撮影環境としても難しそうですし、またこれも同期の方との作品ということで思い出話などお聞かせ頂けますか?」

赤塚「これは1998年に撮影したカットなのですが、戦闘機のフレア(熱源囮)の射出シーンの空撮は初めての経験でした。当時はデジタルではなくフィルムカメラでの撮影でしたが、フィルムは適正露出の許容範囲が狭いため、薄暮時に目がくらむようなフレアの明るさに対してどのように露出を設定するのか、かなりチャレンジングな撮影になりました。今なら一度撮影してカメラの背面モニターで仕上がりを確認して、露出を修正することが可能ですが、当時は撮影後にフィルムを現像して初めて露出が適正なのかとうかが分かる時代でしたから、これまでの経験や知見を最大限に駆使してセッティングを決めました。フレアの弾数にも制限がありますので、まず事前にブリーフィングした要領で一度撮影して、次に射出のタイミングなどの修正事項を上空で伝えて再度トライしました。この時間帯は背景の空の表情が分単位で変化するので、ベストな時間にシャッターチャンスを設定することも重要な課題でした。
 結果は想像以上の出来栄えで、個人的にもお気に入りの一枚になりました。このF-15を操縦していたのは同期生でしたが、彼とともに作り上げた一枚だと思っています。とりわけ彼は私の活動や写真に高い興味を持ってくれていたので、今回の写真集を見たらすごく喜んでくれるのは間違いないのですが、残念ながら昨年病気で他界してしまいました。この写真集を制作することになった時、まず最初にこの写真の収録を決めました」

今村「すごく大切な一枚をご紹介下さりありがとうございました。過酷な任務の中で事故や急病で亡くなられる隊員も決して少なくありません。写真集とともにそういう同期の戦闘機パイロットが居られたことも永くみんなの記憶に残っていくことと思います。謹んでご冥福をお祈りします」

今後の展望について

今村「この写真集は航空学生同期の皆さんが定年退官されていく時期に出されたということもあって集大成といった印象があるのですが、同期への想いや今後の活動について展望をお聞かせください」

赤塚「私も自衛官だったなら今年で定年でした。それも今回写真集を制作する契機のひとつになりました。とりあえずひと区切りつけられたので、今後はF-35など空撮が実現していない新機種の撮影に挑戦できたらと思っています。
 定年を迎える同期については、本当にお疲れさまでしたと言いたいですね。映画「トップガン・マーヴェリック」のラストで空母に生還したマーヴェリックを観た時に同期の姿を重ねていました。マーヴェリックのように華々しい戦果を収めて引退するわけではありませんが、有事に備えてひたすらに技量を磨いてひとつの仕事を最後までやり遂げたことは素晴らしいと思います」

退職自衛官として

今村「最近では自衛隊を退官してユーチューバーになったりタレントになったり企業経営されたり多彩な活動をされる方を多く見かけるようになりました。退職自衛官の能力や可能性についてはどのようなものがありますか?人材としての魅力を教えてください」

赤塚「私が新たな仕事に選んだ航空メディアの世界では、自衛官であること、とりわけパイロットであったことはプラスに働きました。経験を活かせる仕事に就けたのは幸運だったと思います。一般の方と接する機会も多くなりましたが、特に男性からは戦闘機やパイロットの世界について高い関心を持ってもらえましたね。
 自衛官は若い時期に厳しい訓練を受けています。己の限界を知り、タフな精神力を持っている人材はそれほど多くないと思います。違う職業や環境に身を置くことになっても、それに耐えて活路を見出していく力があるのではないでしょうか」

今村「自衛官の方に接していると大変な訓練を積まれて鍛えられているという印象はありますね。それと同期と家族をすごく大事にされています。これはもっと民間人や民間企業が見習うべきところだと思っています。
 今日はいろいろな意味で退職自衛官でもあり空撮カメラマンとして成功された赤塚さんのお話をお聞きでき良かったです。この写真集は赤塚さんの人生そのものでもあるように思いました。貴重なお話をありがとうございました」

赤塚「ありがとうございました。決して安価な本ではありませんが、出版不況が叫ばれる昨今で今回のような豪華な仕様の写真集を出版できたこと自体、かなり貴重だと思います。ぜひ一度手に取って頂ければ幸いです」

武田頼政さんよりコメント

 本インタビュー記事を掲載するにあたり本写真集を企画・プロデュースされた武田頼政さん*より一文を寄せて頂いた。

〈赤塚 聡氏の単独写真集が未刊だと初めて耳にしたとき、私はかなり驚いた。航空雑誌のカラーページはもちろん、空自の基地祭などで販売するカレンダーでその美麗な空撮写真は馴染み深く、しかも筆も立つ赤塚氏は新書の解説本なども数多い。単独写真集の一冊や二冊とっくに出ているものと勝手にイメージしていたのだ。これはなんとか出版すべきだと、そう思ったのが今回の『赤塚 聡・航空自衛隊機空撮写真集』を企画した理由だ。
 私が以前所属していた航空ジャーナル(略称AJ)という航空専門誌は、1974年の創刊からしばらくして、「AJ空撮シリーズ」が売り物となった。
 当時、海外の専門誌では空撮は常識で、米海軍パイロットによる空撮写真集『ザ・カッティング・エッジ』はバイブルとなっていた。
 ところが日本の航空誌のそれはメーカーや軍、航空会社から提供されるものばかりで、オリジナルの写真は地上撮影が主だ。そこに革命をもたらしたのがAJ空撮シリーズだったのだ。ブルーエンジェルズやサンダーバーズ、レッドアローズなど、欧米のアクロバットチームや新鋭軍用機の空撮写真に、当時高校生だった私は心ときめいたものだ。
 私が近年になって空撮写真集作りを手掛けるようになったのは、この体験が原点にある。赤塚氏をはじめとする日本の優れた写真家たちを、高度な作品に相応しい印刷技術で、もっとメジャーにしたいという一念からだ。
 撮影の成否の多くは、写真家が自らを撮影機に搭乗させるための取材交渉にかかる。それをクリアできるのは、飛行の魅力に憑かれた者だから。そのパッションと撮影時の緊張感こそが作品の魅力の源泉なのだ。
 岐阜のヒコーキ少年だった赤塚氏は、戦闘機パイロットを経て航空写真家となった。そしてかつての同僚たちと30年にわたり空中で同化した。長年月にわたり撮り続けてきた無数の空撮写真は、その赤塚氏の結晶である〉

*新刊「桜華 防衛大学校女子卒業生の戦い」(文藝春秋)2022年12月7日発売。

WINGS OF DEFENSE 赤塚 聡・航空自衛隊機空撮写真集 概要

 写真家の赤塚 聡氏は戦闘機パイロットから航空写真家になった稀有な人物。空自百里基地でF-15戦闘機のパイロットとして勤務した後に退職。高校時代からプロ並みだった写真技術を生かし、空自機の撮影を開始。
 空飛ぶ者の思いをよく知る特異な写真家としてすぐに頭角を現し、今や日本屈指の空撮カメラマンとして勇名を馳せる。2022年で写真家生活30周年を迎え、その間に撮影したF-15J、F-2、F-4EJ、F-1のほかC-1、C-2、C-130などの輸送機やUH-60Jなどの救難ヘリなどに加え、ブルーインパルス、空中給油機、AWACS、練習機など、現用機から退役機まで27機種をすべて空撮写真で網羅。
 本書は長年にわたる膨大な赤塚氏のライブラリーのなかから厳選し、最高級の用紙と印刷技術を駆使してお届けする、赤塚氏初の単独豪華写真集だ。

聞き手・ブルーインパルスファンネット 今村義幸

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