経験者の陸自7人が当時を語る
今年6月、国連平和維持活動(国連PKO)法が成立してから30年の節目を迎えた。陸自は9月12日から16日の間、各地で国際活動関連の教育・訓練を報道関係者に公開したほか、最終日の16日には、防衛省内で活動派遣経験者7人による懇談が行われた。任務が決まった時の喜びと使命感、そして次第に重くなっていく責任、慣れない現地での苦労、成果への満足感…。7人は、今だからこそ思える貴重だった体験を一つひとつ思い出しながら、振り返った(2面に7人の当時の活動を紹介)。
国際活動派遣経験者による懇談は、これまでの国際活動の様子を映像で振り返り、続いて派遣経験者による派遣概要説明、質疑応答へと移行。質疑応答では、派遣を命じられた時の心境、家族や周りの反応、現地の治安や住民との交流などについて質問が挙がった。
派遣の任務については、ほとんどの隊員が「自ら志願した」と答えた。当時、妻が妊娠中だったという小津1尉は、「上司の気遣いで、当初は予備要員とされたが、なんとか頼み込んで任務に就くことができてうれしかった」、竹田津(たけたつ)2佐は、「非常に限られたポストだったので、選ばれた時は驚きと感謝の気持ちが込み上げた」と、それぞれ任務に対する思いを述べた。
任務が決まった時の家族の反応については、「『やっと、お前にもその番が回ってきたか。頑張ってこい』と激励された」(清水2曹)、「まだ小学校に上がる前の娘が心配だったが、娘が七夕の短冊に書いた『南スーダンの子供たちが笑顔になりますように』というメッセージを見て号泣した」(有薗3佐)など、ほとんどの隊員が「快く送り出してくれた」と答えた。
また、初のPKO派遣となった1992年(平成4)は、PKO法や自衛隊の派遣に反対する意見も多く、翌年はこんな一幕も。
「出国の際に駐屯地からバスで空港へ向かうはずだったが、反対派の勢力に囲まれて動けず、急遽(きゅうきょ)へリで空港に向かった」(池田曹長)
現地の治安に関しては「軍の施設内での作業で、外出時は警備が付いたので危険を感じたことはなかった」(清水2曹)、「現地は有名な観光地で、政府が指定する治安重点地域でもあったため、治安は非常に安定していた」(竹田津2佐)など、多くの隊員が「危険はなかった」と答えた。
だが、93年のPKO派遣では、派遣期間中に現地で銃撃事件による日本人の死者が出るなど治安情勢が悪化。「車両移動時は不測事態に対し、高い緊張感があった」と池田曹長は振り返った。
松尾1尉と有薗3佐には、女性ならではの苦労や感じたことなどの質問がおよんだ。
松尾1尉は「屋外のトイレを使用する際は、常に男性隊員に付き添ってもらっていたので、心苦しく感じた」、有薗3佐は「女性という部分で苦労したことは特になかった」とした上で、「現地の住民にインタビューをした際、女性には女性隊員が対応した方が心を開いてくれた」と、女性の有用性について語った。
報道公開では、9月12日に駒門駐で国際活動教育隊による宿営地警備教育、14日に宇都宮駐で中央即応連隊による駆け付け警護訓練が実施された。
経緯と今―日本は92年に初参加
防衛省によると、国連平和維持活動(国連PKO)は、世界各地における紛争の解決のために国連が行う活動。業務は、平和維持隊(各国部隊で編成)による停戦監視・兵力引き離し、停戦監視団(原則として非武装の軍人で構成)による停戦監視といったものが伝統的。
日本は、これらの国連を中心とした国際社会の平和と安定を求める努力に対し、日本の国際的地位と責任にふさわしい協力を行うため、資金面だけでなく、人的な面でも協力をしている。
内閣府によると、1992年6月15日に「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(国際平和協力法=PKO法)が成立し、8月10日に施行された。
同年9月、アンゴラ人民共和国(現アンゴラ共和国)で、第2次国連アンゴラ監視団による監視の下、国会議員選挙と大統領選挙が行われ、日本は民間人1人、公務員2人の計3人の選挙監視要員を派遣した。PKO法に基づく初めての国際平和協力業務となった。
防衛省によると、現在活動中のPKO活動は、(1)ウクライナ被災民救援国際平和協力業務(ウクライナ、ドバイ、ポーランド、ルーマニア)(2)国際連携平和安全活動への要員派遣(シナイ半島、エジプト)(3)国連平和維持活動への要員・部隊派遣(南スーダン)(4)国連PKOなどへの自衛隊員の派遣(国連三角パートナーシップ・プログラム)―などがある。
<2面で7人の当時の活動を紹介>
PKO30年―派遣隊員7人が語るあの日あの時