イベント概要

 令和3年10月8日(金)から10日(日)までの三日間、JR八王子駅北口すぐの八王子オクトーレ3Fイベントスペースにおいて、航空自衛隊関連グッズを製作するミリタリーグッズドットコムの主催と、防衛日報社と全国模型店とモデラーを応援するMOKEKO PROJECTの協力により、八王子航空祭という「航空祭」の名を冠したイベントが開催された。

 コロナ禍で二年連続の航空祭の中止が確定したこの週、少しでも航空祭のような雰囲気を楽しんでもらえないかとのイベントで、航空祭売店コーナーでの買い物を楽しみつつ、プラモデルのジオラマ展示や製作実演、ブルーインパルスカラーのスーパースポーツバイク実機展示、元陸上自衛隊員のカメラマン武若雅哉氏の巨大写真パネルが展示されるなど、物販と展示を融合した「航空祭」となった。
 この航空祭を盛り上げるため、応援の一環として写真展コーナーを開設させて頂いた。ブルーインパルスファンネットの他に一般公募の写真展も併設された。
 飛行場と伴う航空自衛隊各基地での航空祭が巨大ドームコンサートとしたら、ライブハウスでのライブのような小規模で近い距離感の会場であった。来場者と模型や写真を見ながらブルーインパルス談義や戦闘機談義に華が咲き、挨拶程度しかできない巨大航空祭とは一味違った、ゆっくりと会話を楽しめるイベントとなった。

(カバー写真は最終日に参加した声優の葉月さやさん。モデル制作の実演講座や子供たちとの交流、さらには急遽撮影会まで行ってくれた)

 スペースやパネル製作のご提供を頂いたミリタリーグッズドットコムさんとご調整を頂いた防衛日報社さんに深く感謝申し上げます。

模型展示やSNSとの連携も楽しいイベント

 模型を前にして、親子連れのお子さんからE-2Cの円盤の質問が出れば、その着眼点に関心しつつ、早期警戒機の役割や重要性を地上レーダーとの違いなどと共に説明する。そうした会話が成り立ったのも、写真展のみならず、模型展示のみならず、複合的にさまざまな併設があったからこそできた会話であろう。勿論、メインとなる物販コーナーでの買い物の楽しみや、ブルーインパルスカラーのバイクに跨がれる「コクピット展示」、オートバイに乗りプラモデルの製作もする「モデライダー」の声優、葉月さやさんのアテンドや模型製作セミナーも、「観客」の興味を沸き立たせ会話を促進する要因として際立っていた。

 SNSでの告知を見てわざわざ足を運んでくれた来場者もたくさん居られた。八王子という郊外の街で開催され、市政記念行事でブルーインパルスが飛んだことも記憶に新しいところであるが、都心での開催とは違ったこの開催地ならではの様々な要件も相まって、すっきりと好ましいサイズ感のイベントになった。

全国のモデラーと模型店を応援するMOKEKO PROJECTによる模型展示。このジオラマは進行する模型製作展示と共に状況や配置が変更され、出来上がった配列を眺めるだけでなく、航空祭に参加しているような変容する展示内容を楽しむことができた。

 会場からのSNS投稿にも反響が来る。ブルーインパルスカラーのバルキリーVF-31など、創作模型では一気に反応が盛り上がった。
 「これはもしや戦闘妖精雪風ですか!?」「マクロスのバルキリーです!」「え?どの?」「Δ」…こうなってくると松島基地航空祭で流れたマクロスΔの歌とあの時の音や景色が脳裏に浮かび鳥肌が立ってくる。
 河森正治監督談義に華が咲いたり、雪風押しだと言えば「持ってこられなかったが」とオジロワシ洋上迷彩のスーパーシルフの写真を見せてくれたり、これはこれで巨大航空祭では経験したことのない、模型を眼の前にした、カメラマンとモデラーの「DACT(異機種間空戦訓練)」まで楽しませてもらった気分だ。静岡ホビーショウで飛んだブルーインパルスの取って置きの話などもしたかったが、来場者が盛んに訪れる中、それはまたのお楽しみとした。
 模型展示は従来の大型航空祭でもあった。しかし、全体の規模と展示スケジュール、それに作者がずっとアテンドしているとも限らず、ゆっくり会話するなどできなかったように思う。ここでは製作中のモデラ―と真剣勝負の会話ができるのだ。

MOKEKO PROJECTのブルーインパルスカラーのバルキリーVF-31ジークフリート。こうした創作模型の投稿はSNS特にインスタで反応がよく、航空祭の中でオンラインホビーショーを束の間楽しんだ気分だ。

ブルーインパルスファンネット写真展

ブルーインパルスファンネット写真展コーナー(写真20点、説明パネル2点)。奥には一般公募の作品も多数展示された。

 ブルーインパルスファンネット写真展コーナーは、防衛日報デジタル連載記事【ブルーインパルスの歴史を追う!】として、ブルーインパルス創設当時の記録と記憶の調査発掘記事を連載してきた調査研究部会の藤吉隆雄と筆者(管理人・今村義幸)2名で十作品ずつ持ち寄り、二十点の作品を出展した。

 SNSでは「参加できなかったのでオンラインで見られるようにしてほしい」とのご要望を頂いた。ここでは一般公募分を除くブルーインパルスファンネット作品について、会場で出た話なども織り込みながら、作品紹介していきたい。
 展示構成としてはSNS全盛期の今日より少し前の作品を中心に集めてみた。題するとすれば「初代新造戦技研究仕様機の想い出」である。

 ご存知の通り、ブルーインパルスは東京オリンピック聖火到着式が終わる頃までに、T-4の機体を創隊当時の新造機から第二世代の改修型戦技研究仕様機(一から製造するのでなく練習機として使われてきた機体をブルーインパルス仕様に改修した機体)への置き換えを完了した。
 あの交代劇とその間の展示飛行は、聖火到着式をはじめ、その後の医療従事者に感謝と敬意を示す展示飛行、そしてTOKYO2020と、膨大な作品をSNSを通じて見せ合った。ここでは、もしかしたら見たことがないかもしれない展示飛行の作品を中心に写真展を構成してみた。

 ここでは展示コーナーの入口側上段・下段、奥側上段・下段の順で、会場で話をしたような想い出話も交えて「観覧」を進めてみたい。話は藤吉さんの作品も含め筆者目線になるがご容赦頂きたい。

今村義幸(筆者・管理人)作品群

2007年-熊本築城400年祭の「さくら」(写真:今村義幸)

 ブルーインパルスは熊本城で二回飛んでいる。直近では熊本復興飛翔祭の展示飛行があり、その前に一回目の築城400年祭があった。編隊長のGARIさんは熊本県の出身だ。前日の霞みで十分な事前訓練もできないまま、本番では気合で見事な「さくら」を熊本城の上に咲かせた。
 地元八王子から来られたご夫婦とは「さくら」の撮影談義。12-24mmの超広角レンズとAPS-Cのカメラで撮影したと言うとびっくりされていた。10-18mmとAPS-Cでなかなか入らないというのだ。少し離れれば入りやすくなる。立ち位置もあるだろうが、このさくらは真上なのに収まった。そうだ。快晴下でのさくらは高めの高度で実施されるのだ。恐らく5,000ftだったと思う(曇りでは雲底次第で3,000ftまで下げる)。
 GARIさんの気合とメンバーの編隊精神が、あの日あの時にこの条件を引き寄せ、こちらも心を研ぎ澄まして喰らいついていく。ブルーインパルスの展示飛行は一期一会だ。そして時に奇跡のような光景を我々の前に見せてくれる。

2007年ー松島基地(写真:今村義幸)

 日付を見ると2007年の松島基地航空祭の前日だった。現在の嵩上げされた駐機場と格納庫の地面は、格納庫の左に見える第11飛行隊隊舎の2階の窓まで上がっている。その左の建屋も含め、いまは下半分が隠れている。給油中のタンカーに書かれた油種もJP-4Aとなっているが、今はJET A-1に変更されている。嵩上げ、燃料の変更、機体の世代交代…いろいろなことがあった。
 写真の目線は隣の3番機のポジション番号と同じほどの高さにある。これはポジション番号を張り替えたり尾翼をメンテナンスしたりする際に昇る大きな移動式階段の作業台の上から撮影した。FacebookやTwitterのカバーページにしているこの写真を変える予定はいまのところない。

2007年-入間基地航空祭の「オポジットトライアングル」(写真:今村義幸)

 航空自衛隊50周年(2004年)のために開発されたオポジットトライアングルは1,5,6番機が水平、2,3,4が背面と、ふたつのトライアングルが反転してデルタ編隊を組む。これは2006年にメインの編隊長を務めた倉田隊長の最終年でラストアクロではなかったか。その頃には1区分から外れていた「さくら」や「オポジットトライアングル」を入間スペシャルとして実施したのかもしれない。会場正面を通過し、5,6が緩やかに上昇してブレイクを開始しつつある好きなアングルだ。

2007年ー石巻川開き祭り「スラントキューピッド」

 石巻川開き祭りで飛ぶようになったのは2006年。日没後には飛ばないブルーインパルスが夜の花火大会の前の夕刻、日没前の初のトワイライトショーを行った。これはその二年目の2007年。浴衣を着たカップルや買い物帰りのご婦人が北上川の土手に昇ってブルーインパルスを見上げた。皆さんお元気でおらえることを願う。この写真展の筆者自身の作品の中では一番好きな愛おしい写真だ。

2007年3月-第61期航空学生卒業式「ファンブレイク」

 この頃は4月の防大入校式にはじまり3月の航学卒業式で終わるという年間スケジュールが定番だった。T-4ブルーインパルスの1番機としては最も展示数の多い吉田信也飛行班長のラスト展示がこの第61期航空学生卒業式の祝賀飛行だった。後にブルーインパルスのメンバーとなり既に任期を終え転出したメンバーもこの時の卒業生の中にいたから、ずいぶんと昔の話のように感じる。吉田信也飛行班長の元でデビューしたMARU、VIPER、MAC三氏が2~4番機でカチッと1番機を取り囲み、最も機体の間隔が狭いファンブレイクを綺麗に決めた。小高い山に囲まれた防府北基地での展示飛行は飛行諸元も違い難しい。そんなことを微塵も感じさせない堂々たる祝賀飛行を、編隊長とウィングマンの気合とともに見せてもらった。

2006年-岐阜基地航空祭「ローアングルキューバン」

 岐阜基地航空祭のメイン会場はこの写真の奥にある北会場の駐機場だ。ここからは滑走路を挟んで対角線上の反対側にあるる。展示飛行の基準となるショーセンターも北会場だ。そこで見られる正面からの眺めを捨てて、反対側の南会場から撮影した。多くを捨てて得たものは順光と限られた正面では撮り得ない眺め。離陸から超低空飛行で滑走路終端まで迫り、急上昇して、反り返って戻っていく。ローアングルキューバンは、多くを捨てて撮った、この年の岐阜基地航空祭を掛けた一枚となった。
 最近では滑走路ギリギリまで寄ることはできず古き良き時代の作品であるが、年間を通じてほとんど滑走路の向きが変わらない岐阜基地においては、順光の南会場は戦闘機もこちらに向かって離陸してくる等、ブルーインパルスの多くの撮影を諦めたとしても余りあるほどに魅力的な撮影ポイントだ。

2007年-小松基地航空祭「デルタループ」

 今日ではフェニックス隊形に置き換えられているが、代表的なデルタ隊形で空高くループするデルタループ。
 台風が迫る中、全国各地の交通が乱れ、遠方の知人には飛ばないだろうから来ない方が良いと助言した。ところがである。小松周辺だけ空がぽっかりと開き、なんとも想定外の1区分が実施された。
 測定不能な高高度に薄い雲が掛かっているが、10000ft以下のアクロ空域はSKC(スカイクリア)。午後から逆光となる小松基地航空祭会場において、逆光ならではのスモークの力強さを写し出せた。

2006年-奥松島まつり「グランドクロスローパス」

 桃生郡矢本町と鳴瀬町が合併して東松島市が出来た。その二期目に野蒜海岸で開催された奥松島まつりという行事だ。少なくともブルーインパルスはこのイベントでは一回しか飛んでおらず、翌年からは東松島市のお祭も編成されなおしたかもしれない。この頃までの編隊連携機動飛行は、まず様々な隊形で航過飛行を行い、後半に機動飛行を実施するものだった。この翌年、2007年度から展示課目の組み立て方も変わっていく。この2006年は、構成や流れは従来を継承しつつ、珍しい隊形や休眠課目を掘り起こしていった。そんな年、ここ野蒜海岸で倉田隊長が展示デビューした。
 撮影で立っている堤防は立派なものであったが、堤防の高さも景色も震災で様変わりしてしまった。

2006年-インディジャパン300マイル「チェンジオーバーターン

 本写真展でもっとも覗き込まれていた作品。ツインリンク茂木でブルーインパルスが飛んでいたことに驚きの声が上がる。ツインリンク茂木はF-2、そんなイメージがすっかり定着したようだ。ステージではインディレースの発祥地アメリカの海兵隊音楽隊が両国国歌を演奏し、その終演に合わせてブルーインパルスが会場上空に進入する。定時定点必達。ブルーインパルスの飛行技術を世界が見ている。

2007年-熊谷基地開庁記念行事”熊谷さくら祭り”「リーダーズベネフィットローパス」

 4月5日の防大入校式、その前後の日曜日に熊谷さくら祭りで新年度のツアーが始まる。年間スケジュールは3月末頃に通しで発表され、ツアーが進む途中にイベントの追加で発表されることもある。最後は3月の航空学生卒業式だ。防大入校式と航学卒業式は部内行事で一般公開はない。熊谷さくら祭りが基地開放行事のはじまりだ。
 都内より一週間ほど後に咲くことを見越して、この日に満開が当たることを祈る。晴れと満開が当たれば最高のシーズンスタートだ。今は防大、熊谷、航学の定番スケジュールもなくなった。通しで発表されることもない。リズム感と見通しがつかみにくいこの頃だ。
 熊谷基地には航空生徒隊があった。いまは廃止され、さくら祭りがブルーインパルスのツアーから外れたことも含め、それも時代の流れかもしれない。しかし、航空生徒出身者はいま現在もブルーインパルスのメンバーとして活躍している。

 この後時代はリーマンショックに翻弄され、ブルーインパルスは創設50周年を迎えるが、追い重なるように震災、復興、コロナ禍、そして東京五輪へと続いていく。筆者の見方も応援の仕方も、世の中の情報共有の仕方もすっかり様変わりした。自衛隊自身もSNSで発信するようになった。だが、少し前のこの時期に何かいまとは違う濃密な時間があったような気がする。しかしそれも、ファンそれぞれの関わり方や時期の問題で、特にブルーインパルスに出会った頃の衝撃は格別な思い出となる。それと共に各々の最強メンバーや展示が思い出として記憶されていくのであろう。出会った頃のブルーインパルスは最強で、それは永遠に続いていく。

藤吉隆雄(調査研究部会)作品群

 2003年9月にキャノンの初代キスデジが発売された。発売日前夜の閉店間際にどさくさで店員に薦められるままに買った。ブルーインパルスを撮れる望遠に強いコンデジが欲しいと相談したら、すごくいいのが出るからそちらの方がいいと言われるままに買い求めた。時代はデジタル一眼レフ普及へと一気に加速したそんな時代だった。ブルーインパルスがデジタル一眼レフ市場のけん引役の一人であることは間違いない。
 2004年7月に新課目「さくら」が松島基地航空祭で公開された。その「さくら」が標準レンズでは画角に収まらなかった。これも新製品だったと思うがシグマの12-24mm超広角レンズを買った。当時「航空ファン(KF)」誌に航空祭記事などを執筆していた藤吉さんの影響だ。藤吉さんにはじめてお会いした時、望遠でしか撮ることを考えていなかった自分が受けた衝撃を伝えると「だって望遠ばっかりじゃ、どこで飛んでも同じ写真にしかならないじゃない」と言われ、目から鱗が落ちた。「ファンブレイクがスモーク曳いてくれたらいいのにね」とも言われていた。景色の中のブルーインパルス。そこにはスモークあってこその構図がある。
 そんな藤吉さんと肩を並べて写真展ができるとは…いまだ及びもしないが、光栄極まりない。解説するなどおこがましいが、作品とともに感想として書き進めたい。

エアフェスタ浜松(浜松基地航空祭)でタクシーアウトする726号機。

 いまは川崎重工岐阜工場のショールームに保管されている懐かしくも愛おしい726号機。ブルーインパルスを見送る最前列のファンに手を振る前席パイロット。背後にはE-767が見える。望遠で捉えたが、故に陽炎の揺らぎが著しい。秋とはいえ日焼けすらする残暑の中、逆光の太陽を正面から浴びる浜松らしい光景だ。望遠であれ広角であれ「絡める」ことで場所を表現する藤吉さん。絡め写真という表現手法をブルーインパルス撮影者に定着させた。

2007年-熊本築城400年祭「デルタダーティローパス」

 なるほど。どうやら藤吉隆雄=広角というイメージを抱いている筆者に、それだけではないぞ、と示す作品構成らしい。超望遠レンズでデルタ編隊と天守閣がグッと圧縮されて絡められている。天守閣の倍以上の高度で飛んでいるはずが、ゆっくりと太いスモークで迫ってくる脚出しダーティローパスと威風堂々とした天守閣がお互いを際立たせる。驚いたことに天守閣の最上階に人がたくさんいる。天守閣からブルーインパルスを見た人がたくさんいたという証拠を歴史に残した一枚でもある。

入間基地航空祭(4シップインバート)

 人、人、人の入間基地航空祭。20万人が集まるマンモス航空祭の人と輸送機とブルーインパルス。肩車に乗っている子供もたくさん見られる。ブルーインパルスのスモークは波打っており、ロールを打って正に背面に入った瞬間だ。右エルロンロールで背面に入ったから進行方向右手の右翼3番機は左翼2番機より離れて背面に入った。ここから間隔を詰めていくが、操縦桿を倒した方向とは逆に機体が進む背面飛行ではエルロンの使い方が水平時と真逆になる。3番機は外側に倒した機体を引き戻して間隔を詰めるが2番機は倒した方向へさらに詰めなくてはならず、引き戻す以上に留めの操舵が難しい。日本一の大舞台での緊張の一瞬だ。

2006年-陸自善通寺駐屯地・第14旅団創隊記念行事(デルタローパス)

 これぞ藤吉さんの広角絡め写真の真骨頂。文字や看板を入れ込み、レンガの門柱の向かいにはレンガ庁舎、奥には金毘羅山が見える。わー、この写真には金毘羅山が写っていたのか!発表当時には気付かなかった更なる絡め要素。善通寺は浜松からのリモートでツーパスしか実施できなかったと記憶するが、同じ会場に居たものとしては、そのうちのワンパスをベストな位置から捉えた一枚と賞賛したい。奥に金毘羅山を望みつつ、その山を避けてのコースだったことも伝わってくる。
 この日の前日は奈良基地開庁記念行事の展示飛行だった。浜松から奈良の途中経路に雲があり奈良は中止となった。リモート展示の難しさを痛感した。それも束の間、奈良の中止が決まると、すぐに善通寺に向かった。同日再離陸して行われる善通寺事前訓練を見ようと急ぎ向かったのだ。そこで見た事前訓練は、課目を実施するのではなく、地形慣熟のみであった。奈良にいた地上統制メンバーが現着することを想定しない地形慣熟のみの事前訓練を実施するというやり方だった。
 奈良・善通寺のカップリングのみならず、タイトなスケジュールを必死に追いかけた日々の思い出が蘇る作品だ。

2016年-北海道新幹線開業記念行事

 この写真展の中では新しめの震災以降の作品だ。2015年度末の3月に北海道新幹線の開通記念行事でブルーインパルスが飛んだ。高高度を南に向かうブルーインパルス。駅構内には北海道新幹線の車両も見えている。しかし、展示飛行のメイン会場はここ新函館北斗駅ではなく15kmも離れた函館駅だ。展示飛行の全容の撮影を切り捨て、新函館北斗駅上空のブルーインパルスにすべてを掛けた。北海道新幹線開通記念行事のその日、ブルーインパルスは確かに新函館北斗駅上空を飛んだ。

 藤吉さんはこの頃、北大の特任准教授としてサイエンス・コミュニケーションの教壇に立たれていた。北海道新幹線開通記念行事の二か月前には、札幌でトークイベントが開催され、ブルーインパルスファンネットも写真を提供させて頂いた。ゲストのKYONCEEさんはT-4ブルーインパルス(第11飛行隊)創隊当時を知る長野五輪4番機の憧れのパイロット。第501飛行隊長も歴任されたF-4乗りでもある。T-4ブルーインパルス初期からの取材を重ねた藤吉さんにはこの日KYONCEEさんとのご縁も頂いた。八王子航空祭ともまた違う、科学イベントとのコラボ企画だった。

2008年-瀬戸大橋開通20周年記念行事(デルタローパス)

 瀬戸大橋に沿って岡山県から香川県に向かって真っ直ぐワンパスし、その後少し離れた高松市上空で編隊連携機動飛行を実施した瀬戸大橋開通記念行事。高松市で待てば多くの課目を見られるのだが藤吉さんも筆者も瀬戸大橋の上を飛ぶこのワンパスに掛けた。筆者は香川県側の岸辺で待ち構えたが、藤吉さんは何とこの日の橋上マラソン大会の中にいた。
 前日の事前訓練ではこの作品よりももう少し離して飛んでいた。安全な範囲でもう少し橋に寄った方がいいと筆者が騒ぎ、その声が届いたのかブルーインパルスは本番、グッとラインを寄せてきた。結果、藤吉さんが勝ち組になった。マラソン大会から撮影しようなどと筆者はまるで思い付かなかった別格の作品だ。

2004年-松島基地観桜会

 まさかこの作品をこの写真展で見られるとは…。17年ぶりの再会か。当時KFに掲載されたこの写真を見て、望遠でアップの機体を撮ることしか考えていなかった筆者は、かなりの衝撃を受けた。八王子航空祭会場からはこんなことを投稿した。

❝2003年の夏、松島基地航空祭の朝に起きた矢本震源の地震があって滝山公園が崖崩れをお越し立入禁止に。秋には航空祭の代わりに松島基地オープンペースが開催されるも雨。翌春、例年滝山公園で行われる桜まつりが出来ず、松島基地を開放して観桜会が開催されました。その頃、望遠で撮ることしか考えたなかった管理人はKFに掲載された藤吉さんのこの写真に衝撃を受けました。イベントの一角でこうして藤吉さんと一緒に写真展が出来て、この写真が見られるとは感無量です❞

 観桜会であるから桜が写って当然と思うかもしれないが、写真撮影する者はほとんどがこの景色の建物裏にある駐機場にいた。駐機場に桜などない。駐機場から遥か後ろに下がってグラウンドに咲いた桜とタッククロスを絡めたこの作品を目の当たりにした時、望遠で撮らなければならない、という固定観念がボロボロと崩れていった。当時はそれこそ12-24mmのような超広角レンズで撮ったものと思い込んでいた作品だ。それくらいワイドさに衝撃があった。ブルーインパルスに出会ったことが人生観を変えるような出来事であったとしたら、これは信じる撮影方法の宗派を改宗するほどの出来事であった。そして今またこの作品をマジマジと見て、超広角レンズでないことはわかるようになったが、超望遠で撮ったとの話を改めて聞き、再び衝撃を受けている。

2021年-TOKYO2020パラリンピック開会式当日

 今回の出展作品では最も新しいパラリンピック開会式当日の写真だ。渋谷を旋回し、明治神宮に掛からないように切り替えしながら国立競技場に到達しつつあるブルーインパルス。復活したカラースモークを入れておきたいとの思惑と、望遠レンズで絡め写真を撮った、ダメ押しを再び突き付けられた作品だ。

入間基地航空祭(ワイドトゥデルタループ)

 毎年11月3日は晴れの特異日、入間基地航空祭の日だ。20万人も集まる巨大航空祭が毎年当たり前のように開催されてきた。この会場、ブルーインパルスが午後からだと昼頃来ても、足の踏み場もないほどだ。そんな入間基地航空祭がコロナ禍で2年連続中止となった。
 売店コーナーで関連グッズを販売する物販業者にとって稼ぎ時となるばかりか、買う側も来年のカレンダーを買う入手場所として当てにして来ている。入間基地航空祭での買い物も恒例行事の一部なのだ。航空祭が軒並み中止になったことで来年のカレンダーを制作しないカメラマンも多い。飲食店や旅行会社が大変な打撃を受けている中、脚光を浴びることはないが、航空祭出店業者も大変な打撃を受けている。
 八王子航空祭のような小規模イベントがあれば、喜んでコラボ企画などの協力させて頂きたい。複数の業者が集まったり、地本募集事務所の広報活動とコラボしたり、さまざまなコラボ企画があってもいいのではないか。来年の航空祭シーズンを待つことなく、どんどん新しい試みを始めてみたい。

インディジャパン300マイル(レベルオープナー)

 ブルーインパルスが2003年より飛んできたインディジャパン300マイルレース。2007年を最後に5回の展示で終了した、今も惜しまれる展示飛行だ。鈴鹿のF-1で飛ばいいのにといった声も聞かれた。ツインリンク茂木からレーシングカーやレースクイーンが松島基地航空祭に返礼参加したこともあった。そうした交流も含め是非またレース系の展示飛行も復活して欲しいものだ。

今後の展開と「ブルーインパルス展示飛行の記録と記憶の調査」のご紹介

会場では写真作品の展示に加えブルーインパルスファンネットの活動を紹介するパネルも展示された。パネル製作に快く応じて頂いたミリタリーグッズドットコムさんには大感謝だ。

 大変有意義で楽しい八王子航空祭となった。コロナ禍で会う機会がなかった応援活動にご支援を頂いている八王子在住の同士にも二年ぶりに会うことができた。今後も八王子航空祭のようなイベントに参加させて頂きたいと思う。家からあれもこれも持っていって参考出展すれば良かったと思う秘蔵品もある。参加者がそうしたお宝を持ち寄って展示する「航空祭」も楽しいかもしれない。
 そうしたイベント交流も踏まえ、防衛日報デジタルで連載してきた「ブルーインパルス展示飛行の記録と記憶の調査」の研究も継続していく。例えばFacebookで投稿頂いた「松坂慶子来基」の写真、あんなお宝写真を持ち寄り、見せ合ったり展示したり、語り合ったりすることで、昔の記憶を呼び起こす機会が持てたらどんなにか素晴らしいことだろうか。

第2回小河正義ジャーナリスト基金事業
ブルーインパルス展示飛行の記録と記憶の調査

 ブルーインパルスファンネットでは、日本の航空文化の歴史的経緯の一側面を明らかにするべく、航空自衛隊ブルーインパルスの60年余の歴史を再発掘する調査活動を実施している。八王子航空祭では活動の紹介パネルも設置した。
 1958年の前身チーム「チェッカーブルー」編成、1960年の「空中機動研究班」の正式編成から現在までに、ブルーインパルスは1000回を優に超える展示飛行をしている。しかし、特に1980年代までの航空自衛隊基地以外での展示飛行は多くで記録が発見できておらず、それらの記録と記憶の調査にご協力をお願いした。
 特にご当地関係では、次のブルー飛行を見た記憶がある方、関連パンフレットや記事などの記録を持っている方、実際に写真を撮った方やアルバムに貼ってあるという方はぜひ情報をお寄せ頂きたい。

下記展示飛行の写真、記事、パンフレットなどの記録をお持ちの方は是非ご連絡下さい。

1962.05.22 F-104J東京地方展示行事(横田基地)
1963.03.31 & 04.28 二子玉川園防衛博(二子玉川国防博覧会)
1966.05.08 ドリームランド記念行事(横浜)
1966.10.01 豊島園防衛博覧会
1967.10.22 第22回国民体育大会開会式(埼玉県)
1968.03.31 よみうりランド記念行事

担当:藤吉 tohkichi1@nifty.com

八王子航空祭/参加出展者

ミリタリーグッズドットコム https://www.military-goods.com/
MOKEKO PROJECT https://ameblo.jp/jam-project-motto-motto/entry-12564363238.html
葉月さや https://twitter.com/saki87rin
防衛日報社 https://dailydefense.jp/
ブルーインパルスファンネット https://www.facebook.com/blueimpulsefan.net/

文・ブルーインパルスファンネット 管理人 今村義幸
写真・ブルーインパルスファンネット 藤吉隆雄、今村義幸
カバー写真・防衛日報社