自衛隊の新時代を切り開く「女性自衛官たち」の活躍に、67年の歴史を持つ自衛隊専門紙「防衛日報」が独自取材で迫ります
 
キラリ☆輝く女性自衛官 ~ 蛯原寛子准陸尉(陸自15旅団)編
 
 女性で初めて旅団の最先任上級曹長に就任した蛯原寛子准陸尉。3月12日、那覇駐屯地で開かれた交代式の記者会見では、沖縄における自衛隊の歴史を改めて考えさせられるやりとりがあった。

 蛯原准尉は、入隊までの経緯に関する記者の質問に対し、きっかけは父の勧めで、「両親は(自衛隊に)好意的で、アレルギーはなかった」としつつも、「祖父母にはしばらく入隊を内緒にされていた」と答えた。若い世代には、このコメントの意味が分かりづらいかもしれないので、ここでちょっと沖縄の歴史について補足しておこう。

女性で初めて陸上自衛隊の旅団最先任上級曹長となった蛯原寛子准陸尉

 今ではすっかり日本を代表する観光地となっている沖縄だが、第二次大戦末期の1945年、日本とアメリカ軍を主体とする連合軍の最激戦地となった。沖縄戦の激しさを表す言葉に「鉄の暴風」があるが、飛び交う砲弾や猛烈な機銃掃射などで多くの市民が命を失った。また、集団自決の強要などの悲劇も決して忘れてはならない事実である。沖縄戦の戦没者は約12万人。戦前の沖縄県の人口は約49万人だから、おおよそ4人に1人が亡くなったことになる。

 戦後はアメリカによる統治が続き、1972年(昭和47年)の本土復帰後も多くの米軍基地が残った。そのため、沖縄戦を経験した高齢者層を中心にして米軍に対する嫌悪感は強く、それは自衛隊にも向けられた。「祖父母に内緒」の裏には、こうした沖縄の背負う歴史があった。

 蛯原准尉が入隊したのは、1989年(平成元年)の3月。昭和の終わりまでは、沖縄で学生時代を過ごした。昭和の沖縄には、まだ自衛隊への嫌悪感や隊員への差別が厳然として残っていたようだ。

 しかし、入隊して沖縄を離れていた蛯原准尉が2005年(平成17年)に那覇に戻ると、様相は一変していた。その驚きは記者会見でも語られていたが、今回改めて詳しく伺うことができた。

――就任会見で、「関東での勤務から県内に戻ってきて(県民の自衛隊に対する意識の変化に)正直びっくりした」と話していましたが、実際にどんな部分に驚きを感じましたか?

蛯原 以前は、成人式に自衛隊員を参加させまいと、会場の前で「帰れコール」を繰り返す集団がニュースになり、自衛官と一見してわかる人たちは街中で見かけることはありませんでした(つまり、迷彩服姿では街を歩けなかった)。また、沖縄戦経験者である世代を中心に自衛隊に対して嫌悪感を示す方々も多く、私の母も、入隊時は娘が自衛官になったことを公言していませんでした。しかし、現在では制服での通勤に違和感はなく、それに関する県民からの苦情もありません。

――その変化の理由については、どのように分析していますか?

蛯原 これは、これまでここで勤務された隊員たち一人ひとりの誠実な努力の賜物なのだと思います。自分たちに与えられた任務をしっかり遂行し、地元の皆さんとともに公私にわたり活動し、コツコツと地道に信頼を獲得した成果にほかならないと考えています。県民は、長い時間をかけて隊員たちを見てきた結果、同じ住民であることを認め、友人として付き合ってくれるようになったのだと思います。

 就任会見のコメントについて、最後に伺ったのは、自衛隊への入隊を勧めてくれたというお父さんについて。まだまだ自衛隊員への差別があった時代に、なぜ娘に入隊を勧めたのかが気になった。

 学生時代、バスケットボールに打ち込んでいた蛯原准尉に対し、お父さんは、「入隊すればバスケも続けられるし、何より人の役に立つ仕事ができる」と入隊を勧めたという。しかし、祖父母にも内緒にしていたくらいだから、お父さんとしても複雑な思いがあったのではないか。

 その点を伺うと、蛯原准尉は当時の父親の本心をこう推測した。「今振り返れば、自衛隊ならば一人娘が(いつか)沖縄に帰ってこられると考えていたのではないかと思います」

最先任上級曹長就任式において旅団長から徽章を授与された

 多くの県民と同様に自衛隊員の活動を間近で見続けて、蛯原准尉のお父さんも、やがては自衛隊が受け入れられる時代が来ることを見越していたのだろうか。いずれにせよ、お父さんの思惑通り(?)、一度は親元を離れた娘は沖縄に戻り、旅団初の最先任上級曹長にまでなった。

 蛯原准尉の最先任上級曹長就任のニュースには、SNSなどでも多くの県民から祝福の声が上がった。もちろん蛯原准尉のもとにもたくさんのメッセージが届いた。

「驚くほど多くの方からお声をいただき、感謝ばかりでした。娘たち(大学生と高校生)も母に何が起きたのかと戸惑っておりましたが、今は家事などにもとても協力的です。子供を通して仲良くなったママ友達(一般の方々)がニュースなどで見て、『私も頑張ろうと思った!』と話してくれたのが何よりとてもうれしかったです」

 本土復帰から50年。まだまだ米軍基地問題は尾を引いているとはいえ、自衛隊の地道な活動がここまで県民の見方を変えたことは感慨深い。

プロフィール

准陸尉 蛯原寛子(えびはら・ひろこ)
陸上自衛隊15旅団最先任上級曹長
昭和43年生まれ

【主な経歴】

平成元年 3月入 隊
平成元年 9月東部方面通信群(富士)
平成11年 3月東部方面通信群 信電陸曹(朝霞)
平成12年 3月陸上幕僚監部人事部(檜町)
平成13年 3月中央基地通信隊電話中隊 有線通信陸曹(市ヶ谷)
平成17年 8月第1混成団本部付隊 第1科総務陸曹(那覇)
平成22年 3月那覇駐屯地業務隊 司令職務室総務陸曹(那覇)
令和 2年 3月第15旅団司令部付隊 総務総括准尉(那覇)
令和 3年 3月現 職

▷▷ 次回は、蛯原准尉の見た復帰直後の沖縄の混沌とした熱気を、エピソードを交えてご紹介します。
 
第1話 ▷第2話 第3話 第4話 第5話