ごきげんよう。「永遠の図書室」店番でございます。

 今回も人物棚よりご紹介していきます。実は私、今回紹介する人についての情報をほとんど持ちません。

 というのも石原莞爾乃木希典山本五十六は教科書という学びの場や近代史を語るうえで外せない人物なので、ざっくりとした事は知っているわけです。辻政信に関しては、先んじて彼に対しての強烈な人物観を見ていました。

 つまり何が言いたいかと言いますと、最近の記事は下地そのものはあったわけです。そこから調べて己で咀嚼して言葉にする………と、毎回これを行っているのですが、今回の人物に関しては下地すらありません。まずその人の経歴から下地を固めていこうと思います。そのため普段よりも(目を回しながら試行錯誤しているので)読みづらいかもしれませんが、そこはご容赦いただければと思います。

 ということで、今回のテーマは「瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)」です。

「昭和の参謀」と呼ばれた男

ja.wikipedia.org

 瀬島龍三は陸軍の軍人であり、実業家でした。1911年生まれ、2007年没……と書くと、かなり最近まで長生きしてらっしゃったことがわかりますね。常日頃から「昭和もまた歴史のひとつ、平成も令和もいずれは歴史」と書いている私ですが、いざつい最近という概念を目の当たりにすると「本当に書いてもいいのだろうか……」と少しの罪悪感に包まれます。しかし、お亡くなりになったのが十数年前でも百年前でも、その人について考えて書くという点に変わりはありません。なのでいつも通りに行こうと思います。

 話を戻して。瀬島龍三は「昭和の参謀」という二つ名がある通り、様々な作戦に関わってきました。なにかをする時に思考することは大事ですが、机の上で考え続けていていても、思いつくのはほんの少し。瀬島は本土決戦の準備のために日本各地を調査し、ソ連との停戦交渉を行い、軍使として動く……と、かなり自分の足で行動していることがわかります。しかしその一か月後には捕虜になってしまい、シベリアで11年もの年月を過ごすことになってしまいます。この際、本来ならば将校なので労働をしなくても良かったのですが、彼に待って居たのは強制労働でした。当時瀬島は慣れない労働に肺炎が重なり、かなり弱っていたそうです。さすがに無理なんじゃないかな……?と配慮された結果、左官のお仕事に移動になったそうな。

 ちなみにこれに関して、誰でもない本人が「佐官が左官になった」といった駄洒落を残しています。状況が状況だから笑いにくい……!!

 その後拘留を終えた頃にはもう、日本は戦争を終えていました(途中、東京裁判に証人として出廷)。瀬島は現在でもその名は有名な伊藤忠商事に入社します。その後ぐんぐんと駆け上がっていき、財界進出、日韓関係の改善など様々な分野で活躍し、2007年にこの世を去りました。

 個人的に「なんでもするし、なんでもできる人なのだな」としみじみ思います。もちろん表には出ていないものや本人の苦労・苦悩の上に結果が成り立っているというのは充分わかってはいるのですが、結果だけを見たとき、あまりにも「この人……できる…!」と思ってしまうのです。拘留こそありましたが、常に走り続けている印象がありますね。

 そんな彼、どんな人物だったかと言うと。

 「完璧な案文を書き上げる。ほぼ無修正のまま提出し、そのままOKが出る」(要約)

 もうこの一文だけで能力が高いことがわかります。ちなみにこれに対して「上司の意図がどこにあるかを考えて、なるべく私情を挟まずに書き上げたら結果的にフリーパスになっただけ」と瀬島談。なんてことの無いように言っていますが、私からすればかなりの才能と頭の回転力です。分けてほしいくらいです。

 なおこれに対して秦郁彦氏いわく「辻政信とは真逆」とのこと。辻のことをよく知ってからだと、頷くしかない言葉ですね。

 またある人は彼を「嘘つきだ。信用しない」とも言います。ふむ、あまり評判はよろしくない様子。ですが一面だけで判断してしまうのも早計。なにか本人の言葉やエピソードとか、人柄のわかる資料はないだろうか。

 ………ということで流れるように棚紹介へ移らせていただきます。

 まずご紹介するのがこちら。

「瀬島龍三回想録 幾山河」(瀬島龍三著、産経新聞社)

 この本、誰であろう瀬島龍三本人が執筆したもの。写真で見てもわかると思いますが、とにかく分厚い!500ページ超に渡り、彼の波乱万丈な80年間の記録が、他でもない彼自身の手によって書かれています。

 彼は自分の人生を5つに分けました。第一に軍人を目指し、第二に大本営に勤務、第三にシベリア拘留、第四に会社と経済界に入り、第五に国家、社会に手を伸ばす……「五つの大きな山川を越えてきた」(「はじめに」より抜粋)との言葉は、まさしくタイトルの「幾山河」を表しています。私情を挟まずに物事を考えてきた彼が書き上げた、自分の人生の考察や所見。そう考えると、この本は瀬島龍三本人そのものなのではないかとも思えてきます。

 …………と、いう思いも抱えつつ。

 しかし、一面から見た世界で全てを知る事ができるわけではありません。次は別の角度から見た「瀬島龍三」についての本のご紹介です。

「瀬島龍三 参謀の昭和史」(保阪正康著)

 なんと単行本も文庫本もございます。この本は「日本型エリートの功罪と歴史に対する指導者の責任を問うノンフィクション」とのこと。参謀としての責任、ソ連との関係性などの説明責任を問い、「瀬島龍三とは何者か」を追った一冊。しかし細部まで検証されたこの一冊の中において、問いに対して「語らない」瀬島。

 「幾山河」を読めばどんな人物かを知ることができますが、それはすべての理解ではありません。しかし彼について言及された本を読んでも、曖昧さやとらえどころの無さが一層深まっていく印象を受けました。

 しかしエピソードや断片から判断するに、おそらく「あえて」側面をとらえさせなかったのだろう、と思います。多角的に見たくても、本人がそれを許さなかったのなら、後年の我々はその曖昧さを疑問に思い、ある者は思考し、ある者は追い続けるのではないでしょうか。

 そのうえでもう一冊お勧めしたいのが

「沈黙のファイル 『瀬島龍三』とは何だったのか」(編:共同通信社社会部)。

 こちらは瀬島本人にスポットを当てているというよりは、戦前~戦後のなかの個、を書いた一冊。近すぎると見えないもの、遠くから見ると逆にわかるものがあるのではないかという思いになってきます。

 なお瀬島龍三は「沈まぬ太陽」「不毛地帯」(山崎豊子著)に、彼をモデルにしたキャラクターが登場するとのこと。まずはこちらから輪郭を得てみるのもアリだと思います。

 さて、「幾山河」には元になった短歌があります。

幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく

 若山牧水の歌ですね。ざっくり言えば「いくつかの山や川を越えていったら、寂しさのない国にたどり着けるのだろうか。そう思いながら今日も旅をする」という意味です。

 はてなむ国ぞ、は「あるのかな。いや、無いよな」といった言い回し。無いと思いながらも歩みを止めない者に、同じく歩みを止めなかった瀬島龍三の背中が重なると思うのは私だけでしょうか。しかしその姿は、どことなく寂しささえ覚えます。

 曖昧であり続けた人間の寂しさを思いながらも、「それでもやっぱり、はっきりと瀬島龍三という人物を知りたい」という相反した感情を持ってしまうのはなんなのでしょうか。私は今のところ、この感情に名前を付けられていません。

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