みんなのブルーインパルス 令和7年〈Vol.1-1〉

〜米国遠征や長野五輪でも飛んだ729号機が熊谷基地さくら祭でお披露目〜

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お披露目式で挨拶する北川英二空将補(写真・今村義幸)


 平素より国防に従事される自衛隊隊員の皆様に心より感謝申し上げます。


米国遠征や長野五輪でも飛んだ729号機のお披露目式



 令和7年(2025年)329日(土)、埼玉県熊谷市の航空自衛隊熊谷基地で、熊谷基地さくら祭が開催されました。今年の目玉はなんといってもブルーインパルスの729号機が展示機として一般公開されたことです。当日10:30より基地正門を入ってすぐ右手にある機体の前でお披露目式が開催されました。

 

 お披露目式では、第4術科学校長兼ねて熊谷基地司令の北川英二空将補より「展示機設置へ」の思いとともに「4番機が第4術科学校に展示されることに大きな縁を感じる」ことや「海外遠征や長野五輪で4番機に搭乗した高橋喜代志OBが今日来基してくれた」ことも述べられていました。



展示機設置への思い

地域住民の皆様に、熊谷基地が日本の空を守る航空自衛隊であることを認識していただくとともに、さくら祭や納涼祭等にお越しになる多くの来場者に、航空機を間近でご覧いただき、記念写真のスポットとして、喜んでいただきたい。さらに当基地においては新入隊員の教育等も行っており、希望に満ちて航空自衛隊に入隊した多くの若者に、航空機に携わる仕事ができるという将来への明るい夢を与えたい。このような思いから、展示機を設置いたしました。

(展示機前の記念碑より引用)



 

北川空将補が百里基地第7航空団第305飛行隊長の時代、髙橋喜代志元2空佐は百里基地偵察航空隊第501飛行隊長として、正に「同じ釜の飯を食べた同僚」であったといいます。展示機の取得、調整にはそのことも北川空将補の思いの中にあったようです。


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北川空将補の挨拶を聞く高橋元2空佐の特別なキャップには米国と五輪の刺繍があった(写真・今村義幸)


 髙橋元2空佐がこの日被っていたブルーインパルスのキャップには、米国旗と五輪シンボルが刺繍されていました。このキャップはブルーインパルスから離隊する際に贈られた特別なキャップで、またジャンパーには第501飛行隊のネームタグと1997年ネリス遠征時のワッペンが縫い付けられていました。


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日本航空写真家協会写真集「Blue Impulse & the Counterpartsブルーインパルスと世界の曲技飛行チーム」(令和6年9月発行)には米ネリス空軍基地での空撮写真が収録されている《協力・日本航空写真家協会、撮影・瀬尾央》


 729号機は、平成6年(1994年)11月に製造され平成30年(2018年)3月に退役するまでの間、4027.5時間、ブルーインパルス専用の戦技研究仕様機として飛行しました。

 平成9年(1997年)425日、26日の米ネリス空軍基地における米空軍創設50周年記念「ゴールデンエアタトゥー」や平成10年(1998年)27日に長野県で開催された「第18回オリンピック冬季競技大会開会式」などで、正にこの729号機の4番機に搭乗した髙橋元2空佐(ブルーインパルス在籍時3空佐)は、「訓練では様々な機体に乗ったが、整備中で不在でない限り、すべての展示飛行で共に飛んだ愛機」として、この日のお披露目に駆けつけ愛機との再会を果たしました。


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愛機729号機と再会した高橋元2空佐。胸に1997年の米国遠征時のワッペンが見える(写真・今村義幸)

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ブルーインパルスファンネット調査研究部会研究写真展「1996年のブルーインパルス」より。T-4ブルーインパルス初年度の浜松基地航空祭でのファンサービスの様子。高橋元2空佐(当時1空尉)も一番奥に写っている(撮影・藤吉隆雄)


 平成30317日、729号機は翌318日の防衛大学校卒業式のために、予備機ながら6番機の番号をつけて入間基地に展開しました。展示機として飛ぶことはなかったものの、この展開が最後の展示飛行のための任務となりました。このため熊谷基地の729号機は6番機パイロットの名前がキャノピー縁に刻まれています。

 熊谷基地の729号機が4番機の番号を付けているのは、第4術科学校の4を意味するとともに、ブルーインパルス唯一の米国遠征や長野五輪で飛んだこの機体の輝かしい歴史を残すためのようです。


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平成30年3月17日、翌日の防大卒業式のために入間に飛来した729号機(写真・伊藤宜由)


 今後は、令和749日(水)より 毎週水曜日 、412日(土) より毎週土曜日、それぞれ13:30基地正門前集合で30分程度の一般公開が開催されます。詳しくは熊谷基地HPを参照してください。

https://www.mod.go.jp/asdf/kumagaya/



熊谷基地さくら祭では自衛隊装備品やブルーインパルスJr.も展示



 熊谷基地さくら祭は五分咲きといった開花で開催され、昭和1012月に熊谷陸軍飛行学校として創設された頃には飛行場であったことを思わせるグラウンドで自衛隊装備品のヘリコプターや民間のグライダーが地上展示される予定でしたが、天候不良のため中止になりました。しかしながら、陸自大宮駐屯地化学教導隊の化学防護車や令和6年能登半島地震災害派遣で活動した熊谷基地の水タンク車や炊事車などが多数展示されました。


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令和6年能登半島地震災害派遣で活動した熊谷基地の水タンク車と炊事車(写真・今村義幸)


また、松島基地のブルーインパルスJr.が展開し曲技走行展示が披露され、体育館では基地太鼓部や軽音部の演奏会も開催され、雨天ながら約4000人の来場者がこの基地開放イベントに参加しました。


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曲技走行展示で笑いを誘った松島基地所属ブルーインパルスJr.(写真・今村義幸)



航空生徒隊の記録などを展示する教育参考館も一般公開



 平成23年(2011年)3月、第53期をもって終了した航空生徒隊と旧陸軍熊谷基地の記録や資料が展示された教育参考館も一般公開されました。

 生徒隊もまた優秀なことで知られており、出身者には漫画家・本宮ひろ志氏、北斗の拳の原作者・武論尊氏(ファントム無頼の原作者・史村翔氏の別名も持つ)、すしざんまい社長・木村清氏や、生徒隊から航空学生32期を経て第11飛行隊飛行隊長やイラク復興支援航空隊司令などを歴任した渡邊弘元1空佐などが名を連ねます。


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教育参考館内の生徒隊展示エリア(写真・今村義幸)


 航空生徒隊展示エリアには全航空生徒出身者の名前も展示されており、第41期に現第11飛行隊飛行班長の川島良介3空佐や、何人かのブルーインパルス経験者の名前を確認することができました。



熊谷基地さくら祭で飛んでいたブルーインパルス



 航空生徒隊が在隊の平成22年(2010年)まではブルーインパルスも毎年のように展示飛行を行い、防大入校式とともに年度初めの定番日程でしたが、震災後、平成27年(2015年)45日の熊谷基地さくら祭を最後に展示飛行は行われていません。また熊谷基地の周年記念のさくら祭などで飛ぶことを期待しております。


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平成19年(2007年)4月8日、熊谷基地さくら祭でのブルーインパルス(写真・今村義幸)

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ブルーインパルスファンネット調査研究部会研究写真展「1996年のブルーインパルス」より。平成8年(1996年)11月17日、浜松基地航空祭にて(撮影・藤吉隆雄)


《協力》日本航空写真家協会

https://jaap-net.jp/

日本航空写真家協会写真集「Blue Impulse & the Counterpartsブルーインパルスと世界の曲技飛行チーム」(ISBN978-4-9910818-4-2

 

(写真出典)STS研究写真展「1996年のブルーインパルス ~空の記憶と記録を集める~」

https://tohkichi.org/j/?p=12

ブルーインパルスファンネット調査研究部会 藤吉隆雄

 

(文/写真)ブルーインパルスファンネット 今村義幸/伊藤宜由/Yuka Miyamoto