納涼祭が6年ぶりに復活 地域との交流で笑顔あふれる夜に|明野駐屯地

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打上花火

防衛日報 2025年9月10日付


 明野駐(司令・廣瀬陸将補)は8月6日、納涼祭を6年ぶりに開催した。令和元年以降、新型コロナウイルスの影響や荒天により長らく実施できていなかったが、今回の納涼祭に向けて、かつてのにぎわいを取り戻すとともに、地域住民に喜んでもらえるよう、盆踊りと太鼓の練成に一丸となって取り組んだ。


 また、明野駐では現在、グラウンドが新庁舎建て替え工事などのために使用できず、飛行場の駐機場エリアをメイン会場に設定。櫓(やぐら)や太鼓、音響機材などを設置するとともに、自治体から借用したモビリティートイレを設置して準備を推進した。


 さらに、会場がアスファルトのため、櫓を水入りドラム缶で固定し、四方には提灯を飾り付けにしたほか、駐屯地正門には、対となる特大ぼんぼりを設置した。


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駐屯地による司令開会宣言


 一般開放時刻となる午後6時に正門の特大ぼんぼりに明かりが灯ともされ、隊員家族や多くの地域住民が続々と来場。駐屯地司令による開催宣言に続き、鈴木英敬衆議院議員、伊勢市長による祝辞、駐屯地OB会会長による乾杯の発声により、盛大に幕を開けた。


 盆踊りでは、伝統ある伊勢音頭からダンシングヒーローなどのポップな曲まで幅広い年代の人たちが楽しく踊り、大変な盛り上がりをみせ、駐屯地と地域の一体感が感じられる夜となった。


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盆踊り


 野外売店エリアには、14店舗のキッチンカーやおもちゃ・くじ引き(空くじなし)売店が展開し、くじ引きで景品を受け取る無邪気な子供たちの笑顔であふれた。


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野外売店


 フィナーレでは、駐屯地協力団体の協賛により200発の花火が打ち上げられ、大きな歓声と拍手が湧き上がった。


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打上花火


 明野駐は「納涼祭を通じて、地域の方々に日頃の駐屯部隊などによる任務・訓練などへの理解と協力に対し、『感謝』の気持ちを伝えることができたとともに、郷土との一体感を感じ得られる夜となった」としている。



<編集部より>


きょうは、さまざまなハードルを乗り越えて「納涼祭」を実現した明野駐屯地の苦労に迫ってみたいと思います。防衛日報でも本日(9月10日付)2面で大きく紹介しました。

その理由1。開催は実に6年ぶりでした。令和元年以降、あの憎き新型コロナウイルスが地域の夏のビッグイベントに影響したのです。

やむを得ない事情とはいえ、住民たちにとって1年に一度の夏の「思い出づくり」に欠かせない行事。地域とともに歩む駐屯地もまた、絶好の機会。歌詞のワンフレーズではありませんが、「夏が来れば思い出す」当たり前の光景がようやく、復活したのでした。

盆踊りや太鼓の演武、野外売店、最後には最大のお楽しみでもある200発の「花火大会」でした。この5年間のうっ憤を晴らすかのように、隊員も住民もありったけの笑顔と満足感に満ちあふれた祭りとなったのではないかと思います。

その理由2。どちらかといえば、コロナとはまったく関係がなさそうな、メイン会場の話でした。いつものグラウンドが新庁舎の建て替え工事などで使えず、急きょ、移したのは何と飛行場の駐機場。住民はどこでも構わないかもしれませんが、「ホスト役」の駐屯地側からすれば、いつものような受け入れができるかどうか…。

杞憂(きゆう)でした。考えましたね。櫓(やぐら)や太鼓、音響機材は設置はできても、ここからです。自治体からモビリティートイレをお借りできました。問題は会場が地面ではなくアスファルトですから。まず、櫓を水が入ったドラム缶で固定し、四方には提灯を飾り付けにし、駐屯地正門に対となる特大のぼんぼりを設置したのです。すべては、「住民の皆さんに楽しんでもらいたい」。その一心でしょうか。自衛隊ならでの「有事」の対応には拍手を送りたいと思います。

コロナが蔓延した時期、日本全国ではさまざまな行事が中止となりました。それこそ、年1回しか実施しない貴重で、多くの子供たちが待ち焦がれていた、イベントが多々ありました。各地で中止が相次ぎ、嘆きや悲しみに包まれ、皆の心の中に大きな穴ができた瞬間でもあったのです。自衛隊にとっても、同じ。地域に向けたものであるがゆえ、でもありました。

それがどうして、どうして。「地域の方々に任務、訓練などへの理解と協力に対し、『感謝』の気持ちを伝えることができた」。駐屯地のメッセージを読み、安堵(ど)しました。

会場には、かつてとまったく変わらない住民たちの歓声や笑顔があふれていたことでしょう。駐屯地側からすれば、「やれば、できる」と始め、終わってみれば「やって、よかった」の満足感につながっているように思えました。

最後のコメントは「郷土との一体感を感じ得られる夜となった」でした。「郷土」の言葉を使っているのもいいです。帰省した人たちにとって、夏の束(つか)の間の時間に郷土を少しでも感じてもらいたいという表れなのか、駐屯地もまた郷土の一員としての意味合いということなのか。

そんなことはどちらでもいいのです。6年ぶりの納涼祭は地域にとっても、駐屯地にとっても忘れられないものとなりました。「一体感」の言葉がすべてを物語っていました。