空へ散った命に誓う— 戦後80年、命の重みを未来へ|鹿児島地本

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 鹿児島地本(本部長・川畑1海佐)は5月3日、「第71回知覧特攻基地戦没者慰霊祭」に参加した。

 

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慰霊祭会場の入り口


 戦後80年となる今年は、陸自8師団長(徳永陸将)をはじめ、全国から集まった遺族ら約221人が参列し、その中には子供連れの遺族の姿も散見された。

 

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221人が参列した


 太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった旧陸軍の特攻隊員は1036人で、そのうち439人が知覧から出撃した。


 




 慰霊祭は、黙祷もくとうを捧ささげたのち、特攻隊員遺族代表による慰霊の言葉が行われ、特攻隊員で最年長の32歳だった23振武隊隊長の伍井芳夫中佐(出撃時は大尉)の次女、臼田智子さん(81)が務めた。


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参列者 

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国分駐屯地音楽部による献奏


 伍井中佐は、生後半年の長男に宛あてた出撃前の遺書に「お前たちの成長を見ずして去るは残念成るも、悠久の大義と生きて見守っている」と遺のこして旅立った。


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「よろずよに」と記された慰霊碑


 智子さんは、「その長男は父が戦死した3カ月後に病で亡くなりましたが、でも特攻隊として出撃したのはこの子がいるからという思いであったと思います。その後、私たちは懸命に生き、この日を迎えました。戦後80年、家族や関係者も高齢化している。尊い犠牲があったことを忘れることなく、命の尊さを語り継いでいくことを誓います」と述べた。


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第12普連第3中隊儀仗隊 


 その後、参列者全員による献花、12普連3中隊による儀仗(ぎじょう)隊の敬礼、陸自国分駐音楽部による献奏、南九州市長のあいさつののち、参列者全員で「加藤隼戦闘隊」「同期の桜」を合唱し、閉会となった。


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