海自4術科学校(学校長・松浦海将補=舞鶴)は令和7年で創立50周年を迎えるにあたり、史料室をリニューアルした。
海自4術科学校(学校長・松浦海将補=舞鶴)は令和7年で創立50周年を迎えるにあたり、史料室をリニューアルした。
史料室は、明治7年(1874年)に会計学舎、同40年に海軍兵学校、機関学校とともに士官学校として設立された海軍経理学校の資料を中心として約150年におよぶ伝統の継承を目的とし、平成27年10月に整備された。
史料室には海軍経理学校当時の教材や学生の日々の生活記録など、200点以上の資料が展示・保管されている。
今回の改装のコンセプトは「タイムトンネル」で、ルーツとなる史料を歩きながら見学する演出がなされている。また、主要なパネルには英語での説明を加え、国外からの訪問者にも対応できるようにした。
史料室は舞鶴海軍記念館とともに休日に一般公開しており、午前10時から午後3時30分の間で見学が可能。
<編集部より>
相変わらずで恐縮ですが、根っからの野球好きゆえまずは、ご勘弁を。
野球ならば中心選手の4番バッターがいて、昔から1番打者は番が出塁したら試合前半ならまず送りバント。そして、3番から5番までの、より得点が期待されるクリーンアップに託す。日本では定石です。「犠打」の名の通り、組織のために犠牲となるバントで走者を進めてチャンスを作る―。これも、「縁の下の力持ち」なるプレーといえるのかもしれません。
ひるがえって、自衛隊に置き換えてみます。共通することといえば、「後方支援」というワードでしょうか。前線で突進する組織(いわゆる正面部隊)の隊員がいる一方で、熱くサポートし、その突進を確かなものにする組織の力は欠かせません。攻撃、防御しやすく、突進しやすいように支えることが大きな武器となり、状況の好転につながる大きなチャンスを生んでくれることがあるからです。
こうした組織に興味・関心を持っていることは何度もお伝えしていますが、はっきり言って、大好きです。今回、海上自衛隊の力持ちを防衛日報で紹介しました。4術科学校の報告です。
ここには、明治7年の海軍経理学校の資料などを展示する史料館があります。かつて、取材で訪れたことがありました。建物自体、歴史を感じさせるものです。今回、創立50周年記念としてリニューアルしたという話題でした。
ルーツとなる史料を歩きながら見学する。コンセプトは「タイムトンネル」でした。まさに「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」でしょうか。好きな人にはたまらないさまざまな資料や記録などとともに、寄せられた写真を見るとライトアップもされ、訪れる人たちを飽(あ)きさせない演出がとてもいい雰囲気を醸(かも)し出しています。
術科学校というと、正面部隊の隊員が担当する職種のスキル(熟練した技術)の向上へ向けた教育というイメージがありますが、4術科学校の特色は数ある後方支援の職種のうち、経理、補給、給養、監理(業務管理)などだということです。海軍時代なら「主計科」と呼ばれていた範ちゅうということ。それぞれが、重要な業務なのです。
学校のHPを拝見しました。海自なら、実際に活動する艦艇や航空機などの認知度がアップする一方、その行動を支援する組織の知名度は今一つということをあえて出した上で、「『縁の下の力持ち』が任務完遂の一翼を担っていることは、まぎれもない事実なのです!」と胸を張り、学校長の松浦海将補も指揮官あいさつの最後に、「少しでも興味を持っていただけたら幸いです」と積極アピールです。
「大丈夫です」、とまでは言えないかもしれませんが、広報する立場である以上、防衛日報はこれからも、しっかりと後方支援部隊に目を向け、その存在を紹介していきます。