空自八雲分屯基地(北海道八雲町、司令・辰巳2空佐)は7月12日、同基地で「八雲分屯基地創立48周年記念行事」を開催した。行事には、基地管内の各自治体の首長や国会議員、自衛隊関係者、OBらが出席し、節目の日を祝った。
空自八雲分屯基地(北海道八雲町、司令・辰巳2空佐)は7月12日、同基地で「八雲分屯基地創立48周年記念行事」を開催した。行事には、基地管内の各自治体の首長や国会議員、自衛隊関係者、OBらが出席し、節目の日を祝った。
記念式典で司令は、基地創設当初の困難だった歴史に触れ、現在の八雲町関係者らとの強固な協力関係につながっていることに対し、改めて感謝を述べた。
その上で、「複雑化する安全保障環境に対応するため、高射部隊として日々の訓練に励み、即応態勢を維持しています。また、高射部隊が所在する基地としては珍しく、輸送機の離発着が可能な滑走路を保有し、台風や地震など自然災害時には救難活動の拠点として重要な役割を果たしています。引き続き、地域と連携し、信頼される存在となるよう努めていきます」と式辞を述べ、隊員たちには「創立50周年に向け、盛り上げていこう」と訴えた。
この日は、招待者を対象に輸送機C130H(空自小牧基地)の体験搭乗が行われ、参加者は噴火湾上空を飛行する20分間の空の旅を楽しんだ。
機内では隊員が窓から見える景色を丁寧に説明。
後部カーゴドアが開く場面では歓声が上がり、大人から子供まで興奮した様子を見せていた。
地上では、函館地本の広報ブースやキッチンカー、警備犬の展示も行われ、幅広い世代が各コーナーを巡っていた。
特に、陸海空の3自衛隊による装備品展示には多くの来場者が足を止めた。陸自11旅団、28普連の87式偵察警戒車や偵察オートバイ、海自大湊地区隊のSH60K哨戒ヘリコプター、空自千歳救難隊のUH60J救難ヘリコプターなどが並び、来場者は隊員に質問したり写真を撮ったりと楽しんでいた。
航空救難団・千歳救難隊による訓練展示では、迫力ある飛行と救難活動の実演に、来場者から大きな拍手が送られた。
また、ペトリオット器材の動作展示では、高射部隊を有する同基地ならではということもあり、多くの来場者が足を止め隊員の説明に聞き入っていた。
会場には昨年より550人多い約1000人が訪れ、開門前から入門待ちの車列ができるなど注目の高さがうかがえた。背景には、今年2月から基地が運用を開始した公式X(旧Twitter)の影響があるとみられ、SNS担当者は「まだフォロワー数は少ないが、『Xを見て来た』と声をかけられ、手応えを感じている。改善点も見えたので、来年に生かしたい」と話した。
来場者からは「近所に住んでおり、Xで開催を知った」「ヘリコプターを間近に見られてうれしい」「来年も来たい」といった声が寄せられた。自衛隊ファンからは「海自のヘリを空自隊員が誘導する場面が感動的だった」という歓喜の声も聞かれた。
来場者の様子を見ていた司令は、「多くの方が楽しんでくださっていて良かった。これを機に、少しでも八雲分屯基地への理解が深まればうれしい。来年も無事に開催できるよう、日々の任務に取り組んでいく」と語った。
八雲の思い出
平成19年(2007年)7月22日、私は八雲分屯基地の航空祭を訪れました。東京はまだ梅雨明け前で、北海道のカラッとした爽やかな空気を満喫したことを今でもよく覚えています。
目的は、ブルーインパルスが八雲航空祭で飛ぶ姿を見届けることでした。
八雲分屯基地は、飛行隊を持たない高射隊の基地でありながら、滑走路を備えた飛行場です。防府北基地よりも長い滑走路を有し、戦闘機や輸送機が演習で展開することで知られています。道南で大規模災害が発生すれば、重要な復旧支援拠点として活用されることでしょう。その立派な滑走路の全景は、基地HPの「地域紹介」で確認できます。
ブルーインパルスは、滑走路を有する飛行場でしかアクロバット飛行を行いません。滑走路を目標に飛ぶ必要があることや、飛行場の管制圏内で他機の進入を管理でき、安全性が確保されることなどが理由と考えられます。八雲は飛行場であるためアクロバット飛行が可能ですが、T-4練習機を運用していない基地に展開する場合、整備支援が受けにくく、電源車や予備部品の持ち込みなど大掛かりになり、効率が悪くなってしまいます。
そのため、この日は千歳基地からのリモート展示となりました。直線距離で片道約130kmに及ぶ遠距離で、防府航空祭など他のリモート展示と比べてもかなり長距離です。
このため、八雲でのアクロバット飛行は増槽を装着したD2形態で行われました。「D2アクロ」は過去にも実施例がありますが、私自身が実際に見たのはこの八雲だけです。これこそ、長旅をしてでも訪れた第一の理由でした。例えるなら、ミシュランの三つ星展示のようなものです。
当日の編隊長は村田将一3空佐(当時)。千歳基地第2航空団出身のF-15操縦者で、北海道の空を知り尽くした方でした。
増槽を付けてのアクロバット飛行は、ブルーインパルスの精鋭にとって大きな困難ではないのかもしれません。しかし素人目には、重量増加やG制限など留意点が多く、難易度が高く感じられます。その飛行を、八雲の澄んだ青空の下で見事に披露してくれました。逆光で、しかも海に近く水蒸気を含む空気の中にもかかわらず、霞ひとつない清々しい空でした。主翼にはうっすらと虹が浮かび、ブルーインパルスを一層際立たせていました。
もう一つ鮮烈に記憶に残っているのは、百里基地偵察航空隊RF-4Eによる機動飛行です。F-86F時代のブルーインパルスを彷彿とさせる低空かつ迫力ある飛行に度肝を抜かれました。「入魂」という言葉がふさわしい飛び方で、そのスピードに当時の私の腕では望遠レンズで機体を捉えることすらできませんでした。
この「入魂」の理由を、第11飛行隊長として八雲に入っていた倉田裕2空佐(当時)が教えてくれました。
「地震のとき、長万部の山に墜落したRFの事故で、その対応を親身になってやってくれたのが八雲の隊員たちなんだよ。それから毎年来てくれるんだって」
それは、平成6年(1994年)10月5日未明にRF-4Eが長万部町静狩峠付近に墜落し、殉職した仲間へのレクイエムだったのです。この事故では、私たちがよく知るブルーインパルスのメンバーの同期も命を落としました。決して他人事ではない—そう感じるようになったのは、ブルーインパルスを見始め、自衛隊に関心を持ち、接してきて感じたことです。それは福江島沖や入鹿池でも同じです。
自衛隊を応援する中で、模範とすべきと思うことが二つあります。組織が家族を大切にすること。そして同期や仲間を大切にすることです。
八雲の思い出は、私にその気付きを与えてくれた原点となっています。
代表 今村義幸