平素より国防に従事される自衛隊隊員の皆様に心より感謝申し上げます。
尊いご奉職により殉職された隊員諸氏のご功績に深く敬意を表し、心より哀悼の意を捧げます。
令和7年(2025年)4月10日(木)、ブルーインパルスが大阪の空を飛びました。この飛行は4月13日(日)大阪・関西万博EXPO2025開幕日の展示飛行の事前訓練(予行)として行われました。
平素より国防に従事される自衛隊隊員の皆様に心より感謝申し上げます。
尊いご奉職により殉職された隊員諸氏のご功績に深く敬意を表し、心より哀悼の意を捧げます。
令和7年(2025年)4月10日(木)、ブルーインパルスが大阪の空を飛びました。この飛行は4月13日(日)大阪・関西万博EXPO2025開幕日の展示飛行の事前訓練(予行)として行われました。
みなさん、ご存じのとおり、4月13日(日)の展示飛行は、離発着の拠点となった関西国際空港(以下、関空)からブルーインパルス第1編隊3機が離陸したものの、視程が十分でないと判断され、関空に引き返し中止となりました。実施されていれば、平成2年(1990年)4月1日「国際花と緑の博覧会(花の万博)」開幕日以来35年ぶり。現行機種T-4のブルーインパルスとしてははじめての大阪での展示飛行でしたが、幻の展示飛行となりました。
しかしながら、事前訓練も開幕日当日の飛行ルートとともに防衛省・自衛隊より発表され、多くのみなさんが、大阪一円をパレード飛行し、その後夢洲万博会場上空を飛んだブルーインパルスの勇姿を見上げ、大きな反響となりました。
ここでは、開幕式当日の展示飛行こそ中止になりブルーインパルスの展示飛行記録としてはカウントされないものの、記録ではなく記憶に残るフライトとなった印象深い事前訓練の様子を、みなさんの投稿作品を中心にお伝えしようと思います。
関空に初展開
関空は平成6年(1994年)に開港し、昨年30周年を迎えました。現行のT-4練習機のブルーインパルスが臨時第11飛行隊として編成されたのと同じ年に開港し、いわば両者は同級生。31年目に初対面を果たしました。T-4ブルーインパルスの正式な飛行隊として第11飛行隊が発足したのは関空開港翌年の平成7年(1995年)で、今年30周年を迎えます。
関西・大阪万博の展示飛行はその記念すべき令和7年度の最初の展示飛行です。巻頭の写真は第11飛行隊30周年の記念ロゴをキーホルダーにしたものですが、今年度のブルーインパルスツアーは機体にこのロゴを付けて飛行し、関西・大阪万博はその最初の展示飛行でもありました。
関空初展開には関西航空少年団の招聘活動も影響
実は昨年の関空開港30周年でブルーインパルスを関空上空で飛ばしたいと何年も前から熱心に招聘(しょうへい)活動しているグループがありました。関西航空少年団の子供たちです。それは浜松基地から離陸したブルーインパルスが関空手前で空中待機空域を設けタイミングを合わせて関空上空を飛行するというプランを子供たちが考えて提案した驚くべき内容でした。子供たちが十分に可能と思われるフライトプランまで考案して招聘した展示飛行はこれまで聞いたことがありません。結果として関空開港30周年での展示飛行は叶いませんでしたが、その後も関空での飛行をあきらめずに要望し続けた関西航空少年団の声が、関西・大阪万博での関空離発着ならびに大阪一円でのパレード飛行につながったといわれています。そのため、関西・大阪万博展示飛行本番前日には、関空でブルーインパルスと関西航空少年団の交流会が持たれ、第11飛行隊長の江尻卓2空佐から謝辞も述べられました。
余談ながら、筆者も以前にブルーインパルスを昔所属していたIoT系業界団体の展示会で飛ばそうと招聘を試みたことがありました。それはパシフィコ横浜が会場で、国際航空宇宙展でブルーインパルスが飛んだ会場で前例もあり、偶然にも委託していたイベント運営会社が同じで可能と思われました。その時の要望書はフライトプランを示すことはなかったものの招聘理由や主旨を細かく書き、ここまで書いてくるイベントは他にないと空自担当者に言われたほど克明なものでした。選考には最後の方まで残ったようですが、空域を理由に実現することはありませんでした。そのころには業界団体も尻込みしており、また翌年に再挑戦するということもありませんでした。その当時と比べればブルーインパルスの人気も桁違いで招聘の難易度は何十倍にも高くなっています。その中であきらめることなく招聘を続けた関西航空少年団の活動にあっぱれと脱帽するばかりです。
関空を離陸し大阪一円のパレード飛行へ
関空を離陸したブルーインパルスは大阪市内へと向かいました。飛行ルートで最初のランドマークとして「通天閣」が示されていましたが、少し東にある「あべのハルカス」の近くを通過したようです。このためか、通天閣と絡めて撮ろうとした方は立ち位置によっては外してしまった方もいたようです。
このあたり、事前訓練が目視での地形慣熟飛行を第一目的とすることもあり、本番で飛行コースを修正してくることもあるため、本番が飛べなかったことが残念でなりません。
筆者はこれでまでにこの事前訓練で飛んだコースに本番での自分の立ち位置を合わせ、本番で外したことが何度もありました。ブルーインパルスを待ち受けるときは、どちらのでもよいような立ち位置を取るか、あるいは雑念を一切取り払い、集中力を高めてどちらかに賭け一発勝負で挑みましょう。
大阪城から万博記念公園へ
“空は白いけど予行飛んでくれました。大阪でブルーが飛んでいる!!切望していたことが実現してウルウルでした。朝7時から大阪城をぐるっと歩き回り、場所が決まるまでに3時間半ウロウロと。普段1日平均3000歩なのに今日は午前中ですでに16000歩超。もう足腰が動きません(笑)太陽の塔にも会場前にも行きたかったし、家からも見える位置だったのでカラダ4つ欲しかったです”
満開の桜の上をブルーインパルスが飛ぶことは、訓練中の松島基地上空をのぞいては、展示飛行ではなかなかありません。数年に一度の奇跡といっても過言ではありません。これはまったく予想もしていなかったことですが、関西・大阪万博事前訓練においてこれが予期せず叶いました。
大阪市都島区毛馬の淀川堤防から見たブルーインパルス《動画・杉本郁子》
“大阪市都島区毛馬の淀川堤防から見た《杉本郁子》さんの動画には大阪城に向かって北進してきたブルーインパルスがレフトターンし、伊丹空港へ向かう姿が映されています。”
服部緑地公園の山が池から《動画・匿名希望》
“臨月に入り産休中のため前日にも散歩をしており、ここからなら見えるかも!と思い、待っていました。桜が綺麗に咲いており、桜とのコラボが上手く撮影出来ないかなぁと思っていました。関西人には馴染みのない、ブルーインパルス初めて見られて、本当に感動しました”
大阪城を左手に見ながら左旋回し、新大阪駅のやや南を通って、伊丹空港へと向かうルートは関空ができる前の伊丹空港へのアプローチの飛行ルートです。堺市あたりから入って大阪の街を左旋回で一望しながらアプローチする左側機窓からの眺めは格別でした。かれこれ40年近くも前に新大阪駅のやや南のエリアに勤めていた筆者は、アプローチする高度を落としていく飛行機を昼休みなどに見上げていました。その同じルートをブルーインパルスが飛んだと思うと感慨深いものがあります。
万博記念公園からひらかたパークへ
“前回の大阪万博の会場だったことと3番機の松浦翔矢1等空尉が吹田市出身とのこともあり、太陽の塔と一緒に撮りたいと思い、構図を考えました。平日だし人も少ないだろうと思っていましたが、老若男女問わず多くのファンが居て、本番の日はどうなることやらと驚きつつ、この日に撮影できて嬉しかったです”
先の大阪万博で初代F-86Fブルーイパルスが「EXPO’70」の文字を空に書いたことはのちに知ったことですが、6歳だった筆者にとっては大阪万博に行くことはハワイ旅行に行くかのような夢のようなお話でした。当時、為替レートは1ドル360円の固定レートでした。150円でもドルが高く海外旅行が遠のくこの頃ですが、なんと360円でした。叔父が大阪万博に行き、それだけでも凄いことと子供心に感じていましたが、青白カラーに大阪万博のマークが入ったチューリップ帽を土産に買ってきてくれたことを良く覚えています。いま思えば、ハワイ旅行に行くほどの旅費ではなかったと思いますが、当時のハワイ旅行は、飛行機で日付変更線を越えるときにお祝いしJALやPANAMのロゴが入ったショルダーバッグが配られるらしいと、そんな話や万博に胸躍らせたものです。
そんな夢の大阪万博会場上空をブルーインパルスがふたたび飛ぶということで、東京五輪年に生まれながら39歳までブルーインパルスを見たこともなかった筆者は、いわばその39年間を取り戻すかのようにブルーインパルスを追い続けているわけですが、今回事前訓練の日は平日で行くことができず、本番当日に万博記念公園に行くか、夢洲万博会場に行くか、万博チケットを買ってはいましたが、相当に悩みました。結果、事前訓練が終わった当日に《峯翔摩さん》の写真が送られてきて、これを見て迷うことなく夢洲に行くことを決心できました。ありがとうございました。
3番機で飛んだ松浦翔矢1等空尉は大阪府枚方市の出身で、この関西・大阪万博でブルーインパルスが飛ぶことを何年も前から予想し、ブルーインパルスへの着隊時期をそれに合わせて希望したことを明らかにしています。
ひらかたパークからふたたび大阪城へ
茨木市から枚方市へと飛行するブルーインパルス《写真・高木真吾》
《高木真吾さん》は茨木市と枚方市の間を流れる淀川南岸の枚方市淀川河川公園三矢地区(枚方大橋西側)でブルーインパルスを撮影されました。進行方向のすぐ先はひらかたパークです。
ひらかたパーク上空で旋回するブルーインパルス《動画・有馬裕美》
“4/10(木)11時53分頃、枚方パーク上空にて。太陽の周りを虹が円形に出ていて素晴らしかったです!”
今回の飛行ルートで関空からもっとも離れた枚方市からも多くの投稿をいただきました。SNSではひらかたパークの公式アカウントからの投稿なども見られ、枚方市のみならず飛行ルート全域で大変盛り上がっていることが伝わってきました。
大阪城上空から夢洲万博会場上空へ
梅田駅付近の高層ビルから見たブルーインパルス《動画・北岡真由美》
《北岡真由美さん》の動画は、梅田駅付近の高層ビルの窓から見えた、ブルーインパルスが大阪城上空で旋回する姿です。
ここまで紹介した写真や動画から、どれだけ多くの人がいろいろな場所でブルーインパルスを待ち望み、空を見上げたか伝わってくるようです。
大阪城から夢洲万博会場への飛行ルートには待機空域も含め南側の関空近くまで下がって北進するルートが発表されていましたが、事前訓練では大阪市内の中心部から夢洲に向かってまっすぐ進入してきました。11:58頃のようです。この後、大阪湾へ抜けて左旋回で南側から回り込み夢洲万博会場へと進入しました。正午ごろに夢洲万博会場上空での展示飛行という発表でしたので、どんぴしゃりのオンタイムでした。東からの進入になったのは、まさにこのルートが時間的に最適であると上空で判断したからでしょう。関空や伊丹のトラフィックを停めて飛んでいる展示飛行のオンタイム厳守の緊迫感が伝わってくる進入ルートでした。
夢洲万博会場上空で編隊連携機動飛行を実施
展示飛行の演目は旋回系を多く取り入れた課目構成で、最初は左旋回のデルタ360°ターンではじまりました。近くに「さきしまコスモタワー」という高いタワーがあり、それを避けて海側主体の展示飛行になるかと予想していたが、現地に赴いてみればかなり離れており、大屋根リングを取り囲むように飛行しました。
ここで巻頭写真の第11飛行隊の30周年記念マークを見てみてほしいのですが、右側の円に書かれた6機デルタ隊形のブルーインパルスが、大屋根リングを中心に回った最初の左旋回のデルタ360°ターンに見えるのは筆者だけでしょうか。
いずれにしても、この展示飛行が令和7年度を代表する展示飛行であることは間違いありません。
再検討される万博飛行
冒頭に記したとおり、関西・大阪万博の展示飛行本番は隊長機含む第1編隊が離陸しましたが、天候不良により展示飛行を中止しました。吉村洋文(よしむらひろふみ)大阪府知事は後日の定例記者会見で万博での展示飛行の再検討を中谷元(なかたにげん)防衛大臣に要請したことを明らかにし、中谷防衛大臣より即答はできないが検討するとの回答をもらったことも公表しました。
2025年4月17日付【説明しよう!】「大阪・関西万博について」
ブルーインパルスファンネットFacebook上でもこの再検討が議論となり、賛否両論に分かれましたが、ブルーインパルスでの飛行班長経験もある吉田信也元2空佐は【説明しよう!】で再検討での飛行は可能であることを示しています。
無理のない範囲で検討され実現されることを願いますが、どちらの結果になったとしても冷静にこれを受け止めていただきたいものです。
これからもブルーインパルスならびに自衛隊の応援を宜しくお願いいたします。
《投稿写真/動画》西岡幹宏、西山多喜子、杉本郁子、H.I、匿名希望、峯翔摩、高木真吾、有馬裕美、北岡真由美
(文/写真/動画)ブルーインパルスファンネット
今村義幸/伊藤宜由/Yuka Miyamoto