<沖縄>陸自15旅団101不発弾処理隊(隊長・岩瀬2陸佐)は昭和47年(1972)以来、沖縄県における不発弾の処理を担ってきたが、8月23日、那覇市泊で発見された米国製5インチ艦砲弾を回収し、通算4万件(累計1184トン)に到達した。
 
4万件は「ゴールではなく一通過点」

 4万件にあたって101処理隊長は隊員に対し、「4万件はゴールではなく一通過点に過ぎない。ただし、諸先輩方が築いてきた安全を第一とする部隊の伝統と、不発弾処理に必要なノウハウをしっかりと継承してきたこと、さらに、自治体・関係行政機関などとの緊密な協力があって到達できた」と述べた。

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 その上で、「部隊が任務を開始して約50年が経ち、処理は4万件に達したものの、不発弾の脅威は、いまだに県民の生活の身近なところに存在している現況にある。引き続き安全確実を第一に処理活動を行い、不発弾の脅威から沖縄県民を守り抜くという務めを果たしていこう」と訓示した。

15旅団長(左)に報告

 101不発弾処理隊は「52年にわたり着実な処理を積み重ね、無事故でこの日を迎えることができました。引き続き『沖縄県の皆さまの安全・安心』のために務めを果たしていきます」としている。


◆関連リンク
陸上自衛隊 第15旅団
https://www.mod.go.jp/gsdf/w

<編集部より>

 先の戦争の末期、沖縄県にはさまざまな種類の不発弾が約1万トンも残されたといわれています。陸上自衛隊などによれば、昭和47年の沖縄返還までに、住民や米軍などにより約5000トンが処理されましたが、その後もまだまだ不発弾は大量に残っていることが指摘されています。

 防衛日報の本日(9月25日付)2面では、不発弾の「信管」と呼ばれる部位を取り除く「安全化」の作業を担当している陸自15旅団101不発弾処理隊が8月23日、那覇市内で発見された米国製5インチ艦砲弾を回収。これで47年以来、処理回数が通算4万件となった報告を紹介しました。

 不発弾ですから、いつ何時、爆発するかはわかりません。1分でも1秒でも早く、取り除き、遠ざけ、回収して処理することが求められます。地域の中に存在すれば、住民の恐怖は計り知れないものがあるでしょう。15旅団によると、47年10月、101後方支援隊が編成されて米軍から処理業務を引き継ぎ、49年に特別不発弾処理隊、平成5年には現在の101隊となり、無事故を続けているということです。

 一言で回収といってもそれは命がけの作業です。器材で信管を破壊したり、爆破処分をするなど、作業方法は複数あるようですが、何よりも隊員はもちろん、周辺住民には作業を行う時間帯について、事前に周知して避難を呼びかけます。まさに、これこそ地域の安全化を図っての作業といえます。

 防衛日報には、15旅団から101隊による不発弾処理の報告が定期的に寄せられます。その中には、地元の首長や関係者らが安全化作業を見守る写真も同時に送られてきます。「4万件はゴールではなく通過点。安全を第一とする部隊の伝統、処理に必要なノウハウをしっかりと継承してきたこと、自治体・関係行政機関などとの緊密な協力があって到達できた」。今回、晴れて4万件を達成したことについての101隊長の言葉がすべてを物語っているように思います。

 15旅団の資料によると、不発弾処理については平成4年7月に内閣総理大臣から安全功労賞(累計処分重量1000トン達成)、同28年10月には内閣総理大臣から特別賞状(累計処理件数3万5000件達成)を受賞したほか、沖縄県知事からは、過去6回の褒賞状を授与されているとされています。命の危険を伴う任務は自衛隊なら当然のことなのかもしれません。輝かしい記録の達成というようなものではないでしょうが、50年以上にわたって任務を続け、その結果として4万件に達したことに敬意を表したいと思います。

 何よりも、激戦の地となった沖縄に残る「負の遺産」はいまだに県民の生活の身近なところに存在していることを隊長が述べています。そして、「これからも沖縄県民の安全・安心のために務めを果たす」の決意に改めて大きな拍手を送ります。

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→防衛日報9月25日付PDF