**自衛官の家族を取材し、「絆」をテーマにそれぞれの家族の歴史、自衛隊との関わりを紹介するコーナーです。

 第4弾は、3月に夫婦で同日に中隊長に着任した皆川晃太朗&桃子1陸尉の家族のストーリーをお届けします。

皆川晃太朗&桃子夫妻 編

 2022年3月14日、鹿児島県の国分駐屯地に所在する12普通科連隊2中隊の中隊長に、皆川晃太朗1尉が着任した。同じ日、遠く離れた神奈川県の座間駐屯地では、皆川桃子1尉が4施設群388施設中隊長に着任。一般紙では報じられなかったが、二人の皆川1尉は夫婦であり、「夫婦が揃って同じ日に中隊長に着任」というケースはたいへん珍しく、自衛隊専門紙は揃ってこのニュースを取り上げた。手前味噌で恐縮だが、防衛日報デジタルの記事はスマートニュースで配信され、桃子1尉自身も「私もスマートニュースで読みました。自衛隊の同期などから『中隊長になったんだ。おめでとう』『夫婦で同時に中隊長なんてすごいね』など、たくさん連絡がありました」と話してくれた。

「夫婦揃って同じ日に中隊長に着任」でニュースになった皆川晃太朗1尉(右)と桃子1尉

 記事を読めば、この時点で皆川夫妻が遠く離れて暮らしていることは分かるが、それ以外の情報はベールに包まれている。例えば、夫妻に子供はいるのか、いるとすればどのように子育てをしているのか、そもそもどこでどのように知り合ったのか、お互いのことを一人の自衛官としてどう見ているのか‥‥。というわけで、ぜひ当事者のお二人に話を伺いたいということになった。「家族」をテーマにした当コーナーでなければ聞けない話もたくさんお聞かせいただけたので、まずは二人の出会いまでを綴っていこう。

イラク派遣で動き出した自衛官人生

 晃太朗1尉は1989(平成元)年生まれ。秋田県出身。4人兄弟の長男(妹2人、弟1人)で、自身が高校に入学するまでは、きょうだいたちに囲まれてにぎやかな家庭で育った。お父さんは自衛官だったが、「子供の頃は父の職業を意識したことはなく、好奇心旺盛だったので『探偵』になりたいと思っていました」。中学、高校、大学の10年間はバレーボール部に所属し、高校(通信制)では全国大会で優勝も果たした。

 自衛官のお父さんは職業柄、家を空けることも多かった。そんな時は母親が一人で4人の子供の面倒を見てくれた。「きょうだいげんかをするたびに母に叱られていたので、怖い存在ではありました。それでも、自分たちのことをよく考えて愛情を注いでくれていることを子供ながらに感じていたので、母に反発することもなく、きょうだい全員、反抗期はありませんでした。母は読書が好きで、自分も小学生の頃から影響を受けて本を読むようになりました」

 先ほど、バレーボールの話題で「高校(通信制)の全国大会で優勝」と書いたが、晃太朗1尉は中学卒業後、神奈川県横須賀市にある少年工科学校に入校している。若い読者の皆さんに説明しておくと、少年工科学校とは、現在の陸上自衛隊高等工科学校(2010年に改編、略称:高工校)である。少年工科学校・高工校は文部科学省の管轄外の学校だが、高校の卒業資格については一般の高校と提携しており、生徒は提携校の通信教育を受ける形になる。普通の高校生とは違い「特別職国家公務員」として固定給をもらい、自衛官として各種の訓練を受ける。少年工科学校・高工校の詳細については、ぜひ作道ファミリーの回をお読みいただきたい。

 小さい頃は探偵に憧れていたはずの晃太朗少年が、中学卒業後、生まれ育った秋田を離れて神奈川の学校に入学するのだから、この間に何か大きな心境の変化があったのは間違いない。そのあたりのことを詳しく伺ってみよう。

国分駐12普通科連隊の皆川晃太朗1尉(右端)

 「中学生の頃、自衛隊のイラク派遣が始まり、3年の時だったと思いますが、テレビで隊長旗手を務める父を見ました。その時、初めて自衛官である父、そして自衛官という職業を強く意識しました」。自衛隊のイラク派遣が始まったのは2003(平成15)年12月。その前段階では、国会などでもさまざまな議論があった。晃太朗1尉は14歳。高校進学を控えたこの時期に、陸上自衛隊のPKO(平和維持活動)の黎明期がぴったり重なったことが、一人の少年の進路に大きな影響を及ぼした。お父さんは第3次イラク復興業務支援群の群本部要員としてイラクへ。そして息子は、「自衛官への最短ルート」である少年工科学校を目指すことになった。

塾の先生のススメで防大を目指す

 一方の桃子1尉は、神奈川県出身。1990年生まれだが、早生まれなので晃太郎1尉とは同学年ということになる。旧姓は境(さかい)。4人きょうだいの晃太朗1尉と対照的に一人っ子で、身近に自衛官もおらず、中学1~2年の頃までは小学校教諭の母と同じ職業に就きたいと思っていた。

 中学時代は文武両道。勉強もがんばり、剣道部に所属しながら空手やバスケットもこなし、駅伝大会にも出場した。高校からは志望大学を目指し、スポーツより勉強に打ち込むようになったというが、その話は後ほど。「父はこの1年ほど、鎌倉で遺跡の発掘・調査をやっていました」という現役の考古学者。お母さんも学校の先生であり、自然とアカデミックな環境の中で育ったのだろうと想像できる。

 そんな少女が、いつ、どのようなきっかけで自衛隊に興味を持ったのか。「中学2年生の時、PKOに興味を持ち始めたのがきっかけでした。ちょうどその頃に通っていた塾の先生が、防大のプレ試験みたいなものを生徒に受けさせていて、当時始まったばかりの自衛隊のPKO(イラク派遣)の話などもしてくれました。世界を舞台に活躍できる自衛隊は魅力的だなと思いました。他の生徒には勧めなかったようですが、私には『君の知識も体力も生かせる学校があるぞ』と防大を勧めてくれました」

皆川桃子1尉

 その先生は、自衛隊の募集相談員をしていたそうで、おそらく桃子1尉の中に、自衛隊で活躍する未来像を見て取ったのだろう。記者は、これまでも何人もの自衛官に入隊のきっかけを聞いてきたが、実はこのような例は初めてではない。進学・就職を考えるタイミングで、選択肢の一つとして防大や自衛隊への道を教えてくれる人がいたことが、その後の歩みに決定的な影響を与えた。

 自衛隊への関心を深めた桃子1尉はその後、自分でもより深く調べ、中2の冬には家族みんなで防大を見学に行った。「オープンキャンパスとかではなく、普通に防大生の生活などを見学しました。防大生を見て、単純に『かっこいい』と思いました。自衛官というより防大生に憧れたという感じでした」。高校は神奈川県の進学校、桐蔭学園へ。防大合格に向け、勉学に励んだ。

仲睦まじい皆川晃太朗&桃子夫妻。二人の出会いは?

 少年工科学校に入校した晃太朗1尉と、高校生となり防大受験に照準を絞った桃子1尉。この時点では、もちろん2人はまだ出会っていない。二人の赤い糸はどこで結ばれるのか‥‥。何だか結婚式の新郎新婦の紹介ビデオのようになってしまったが、次回は2人の出会いから始めたいと思う。

 次回は、2人の出会い、結婚生活をそれぞれ言葉で紡ぎます。

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