自衛隊の新時代を切り開く女性自衛官たちの活躍に、67年の歴史を持つ自衛隊広報紙「防衛日報」が独自取材で迫ります

キラリ☆輝く女性自衛官 ~ 鶫真衣3陸曹(陸上自衛隊中央音楽隊)編

 陸上自衛隊の「歌姫」として活躍するソプラノ歌手の鶫真衣3陸曹が、この春、中部方面音楽隊(兵庫県・伊丹駐屯地)から中央音楽隊(東京都・朝霞駐屯地)に異動となった。取材を申し込んだ時点では、まだ中部方面音楽隊に所属していたため、新型コロナウイルスの感染状況によってはリモート取材なども想定していたが、スケジュール調整中の3月14日に正式に異動が発令され、そのおかげ(?)もあり、運よく4月中旬に朝霞駐屯地でのインタビューが実現した。入隊以来初の異動となり、新たな環境でのさらなる活躍が期待される鶫3曹に、8年間の中部方面音楽隊での活動や現在の思いなどについて語ってもらった。

中部方面音楽隊時代/橿原神宮トワイライトコンサートで
写真提供:陸上自衛隊中央音楽隊

――中央音楽隊に異動となり、新たな環境でのスタートとなりました。現在の率直なお気持ちは?

 入隊前、初めて自衛隊音楽隊の演奏を聴いたのが中央音楽隊で、それが入隊のきっかけでもあったので、自分の原点でもある中央音楽隊で勤務できることをうれしく思います。

――中央音楽隊に来て、まだそれほど時間は経っていませんが、中部方面音楽隊とのカラーの違いなどは感じますか?

 はい。それぞれの音楽隊に個性があると思います。中部方面音楽隊は拠点が関西なので、関西のノリというか、何でも率直に言い合う雰囲気がありました。全体的にフレンドリーな感じで、あたたかみがありました。自衛官として一から育てていただいた場所でもあり、中部方面音楽隊への思いは何にも代えられないものがあります。

――演奏会のMCの雰囲気なども、東京の音楽隊とはノリが違う感じですか?

 そうですね。まだ中央音楽隊ではあまり活動していないので単純な比較はできないのですが、中部方面音楽隊は司会進行もノリがよく、普段からツッコミも飛び交っていました(笑)。

――実際に加わってみて、中央音楽隊の印象はいかがですか?

 一人ひとりのプロ意識がとても高く、レベルが高いと感じます。伝統もあり、「日本を代表する音楽隊」という誇りを持っています。憧れの場所でしたし、私自身も今からそういうものを身に付けていきたい、さらに努力して自分を高めていきたいと鼓舞させられる場所です。

――約2年間、新型コロナウイルスの感染拡大のため、音楽隊の活動も大きな制約を受けたと思います。なかなか思うような活動ができない中、どのような思いで過ごしていましたか?

 コロナ禍の当初は、どんなウイルスかもよく分からず、皆さんもそうだと思いますが、罹ってしまったら死んでしまうんじゃないかという恐怖感がありました。一時は演奏会もすべて中止になってしまいましたが、そんな中で、音楽隊として何か発信できないかということで、中部方面音楽隊としてYouTubeで「コロナに負けるな!」という動画を配信しました。コロナ禍で皆さんにお会いできない中、YouTubeの再生回数が思った以上に伸びて、何より視聴してくださった方のコメントが励みになりました。コロナ禍で一喜一憂したこともありましたが、こうやって模索しながら音楽を届けられたことが一番の思い出です。

話題を呼んだ「コロナに負けるな!」シリーズ。写真は第4弾「栄冠は君に輝く」

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 実は弊紙(防衛日報)の4月22日付紙面で自衛隊の動画広報を特集し、その中で中部方面音楽隊の「コロナに負けるな!」を取り上げた。

Twitter: @dailydefense123 tweet

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 「コロナに負けるな!」の動画は第10弾まで続き、コロナ禍で多くの人々に勇気や感動を与えた。鶫3曹の歌唱や音楽隊の演奏はもちろんのこと、カメラワークや演出・編集も素晴らしく、数ある自衛隊の動画の中でもトップクラスの出来栄えとなっている。ちなみに再生回数は第4弾「栄冠は君に輝く」が160万超え、第6弾「長崎の鐘」は200万に迫る数字を記録している(2022年4月末時点)。

中央音楽隊教育科長の柴田2佐と。柴田教育科長は3月まで中部方面音楽隊の隊長として指揮を務め、「コロナに負けるな!」の動画配信も企画。この春、共に中央音楽隊に異動となった

中方音楽隊でのラストはフェスティバルホールで

 異動を前にした2月24日、鶫3曹の中部方面音楽隊での最後の演奏会が、大阪のフェスティバルホールで「スペシャルコンサート」と題して開催された。「緊急事態宣言やまん延防止等重点措置で多くの演奏会が中止になる中、開催できて、お客様の前で歌うことができた演奏会はすべて印象に残っています」と話す鶫3曹にとって、この演奏会はとりわけ忘れられないものとなった。

 フェスティバルホールは1958年(昭和33年)、クラシックなどの芸術性の高い演奏会を開催できるホールがまだ日本になかった時代、“天井から音が降り注ぐ”と称される音響特性を備えた最先端のホールとして誕生。オープン以来、毎年春に開催される「大阪国際フェスティバル」には、カラヤンやバーンスタイン、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座など、錚々たる顔ぶれが出演してきた。「音楽をやっている人なら誰もが憧れる世界的にも有名な舞台」(鶫3曹)である。

 当時、大阪ではまだまん延防止等措置が続いていたが、クラシックなどの演奏会は開催できる状態になっており、この日は満席になった。すでに中央音楽隊への異動の内示は出ていたが、まだ正式に発令されていなかったため、来場者は鶫3曹の中部方面音楽隊での最後のステージであることは知らされてはいない。聴衆はただ純粋に音楽隊の演奏と鶫3曹の歌唱に耳を傾け、大きな拍手を送っていた。

 フェスティバルホールという憧れの舞台で歌えるよろこびは大きかった。そして何度か、これが自分を育ててくれた大好きな中部方面音楽隊での最後の歌唱であることが頭をよぎる瞬間があった。「感謝の気持ちでいっぱいで、何度も泣きそうになりました」という感情の高ぶりを抑え、何とか最後まで涙をこぼすことなく歌い切ったこのコンサートは、生涯忘れられない思い出になった。

▷▷ 次回は、鶫3曹の音楽のルーツや自衛隊入隊の意外な真実に迫ります。

▷ 第1話 第2話 第3話 第4話

プロフィール

3陸曹 鶫真衣(つぐみ・まい)
陸上自衛隊中央音楽隊
昭和62年生まれ

【主な経歴】

平成26年 10月中部方面音楽隊
令和 4年 3月中央音楽隊