**自衛官の家族を取材し、「絆」をテーマにそれぞれの家族の歴史、自衛隊との関わりを紹介する新企画。

 第2弾は、「3代続けて自衛隊生徒」という作道ファミリーのストーリーです。
 
「自衛官は“家業”」作道ファミリーのストーリー編
Chapter1「自衛官への最速ルート」

 最近、いわゆるテレビのゴールデンタイムに自衛隊を取り上げる番組をよく見かけるようになった。定期的に特集されているところをみると、視聴者のニーズも高いのだろう。今回の取材は、記者がテレビでそんな番組の一つをチェックしていたところから始まった。

 番組は7月18日に放送された『日曜ビッグバラエティ』(テレビ東京)の「超スゴ! 自衛隊の裏側見せちゃいます! 陸・海・空!TV初公開連発SP!」。その中で「自衛隊唯一の高校」である陸上自衛隊高等工科学校(略称:高工校)を取り上げたコーナーがあり、着隊(入校)手続きに来ていた生徒と母親がインタビューに答えていた。

 着隊に際しての気持ちを聞かれた生徒は、一点の曇りもない晴れやかな表情で、「父もここ(高工校)の卒業生なんです」と回答。すると、すかさず母親が、「祖父もなので、この子で3代目になります」と答え、最後に「実は私も自衛官なんです」と明かした。

 録画していたわけではないので母子の言葉はうろ覚えなのだが、その時、記者の悲しい性(?)で、画面のテロップに出ていた名前をあわててメモした。その母子の苗字は「作道(さくどう)」さん。「祖父の代から3代続けて高工校生徒っていうのは、結構珍しいケースかも知れないな。取材したら面白い話が聞けるかも」という好奇心からだった。(今回の取材で、この認識が多少事実と異なっていたことが判明する)

 その後、メモに書き留めた名前だけを頼りにいくつかのルートをあたり、画面には登場していなかった生徒の父であり、その母親の夫である作道孝太2陸佐にたどり着くことができた。

 作道2佐の勤務地は、東京都北区にある十条駐屯地。所属は陸上自衛隊補給統制本部誘導武器部補給計画課ということが分かった。

作道孝太2陸佐

 取材で訪れた十条駐屯地は、陸海空3自衛隊の「補給」部門が共同使用しており、北関東防衛局も所在している。下の写真のように、プレートには3自衛隊の名前が均等に並んでいる。これは全国的にも極めて珍しいケースだと思われる。

十条駐屯地正門
十条駐屯地には陸海空自の補給部門が集まっている

 本題の「家族のストーリー」に入る前に、せっかくの機会なので、陸上自衛隊の補給統制本部について説明しておこう。

補給統制本部の任務
陸上自衛隊における需品、火器、弾薬、車両、船舶、航空機、施設器材、通信器材、衛生器材などの調達、保管、補給、又は整備、及びこれらに関する調査研究の事務の実施の企画、総合調整及び統制業務、並びに調達の事務のうち大臣が定めるものを行う。(自衛隊法第27条の3、第26条第1項)

 ホームページの解説によると、陸自補給統制本部は「陸上自衛隊に必要な物を、企業から購入すること(調達)、購入した物を倉庫に保管すること、部隊からの要求に応じて倉庫から物を出して部隊に送り届けること(補給)、それが壊れたら修理すること(整備)、そしてそれらに関係する調査研究について計画し、その実行を補給処(全国に5カ所)に指示すること」を任務としている。

 ちなみに5カ所の補給処とは、北海道補給処(島松)、東北補給処(仙台)、関東補給処(霞ヶ浦)、関西補給処(宇治)、九州補給処(目達原)のことである。

 説明にもあるように、自衛隊が調達する物品は「需品、火器、弾薬、車両、船舶、航空機、施設器材、通信器材、衛生器材」など多岐にわたるが、作道2佐が所属する誘導武器部が取り扱うのは「誘導弾」というミサイルで、大きく分けると次の4種類がある(写真は補給統制本部ホームページより)。

03式中距離地対空誘導弾

中距離多目的誘導弾

11式短距離地対空誘導弾

12式地対艦誘導弾

 読者の中には、「ミサイルを隊員が調達しているなんて知らなかった」という人が多いかも知れないが、自衛隊には実にさまざまな仕事があるのだ。

 では、本題に戻り、作道2佐に家族の話を伺っていこう。

 取材の冒頭、記者が「テレビ番組で、3代にわたって高等工科学校に入校した生徒さんがいるということを知りまして・・・」と切り出すと、作道2佐から、「実はそれが、少し事実と違っておりまして」と訂正が入った。「3代続けて高工校生徒」ではなく、正しくは「3代続けて自衛隊生徒」なのだそうだ。

 「自衛隊生徒」とは、コトバンクから引用すると、「もと、技術職の自衛官を養成した制度。17歳未満の中学卒男子を採用し、修学年限は4年。給与も支給される。入学と同時に指定の高校の通信制課程に入学し、3年終了時には高校卒の資格も取れる。入学すると三等陸士・海士・空士、終了時には三等陸曹・海曹・空曹に任命された」という、かつて陸海空自にあった生徒制度。昔の軍隊でいうところの「工兵」を養成する学校(または教育隊)の生徒のことである。

 ただ、この制度は海・空自では平成18年度(2006年度)、陸自では平成20年度(2008年度)採用分をもって募集を終了。その後、陸自だけが平成22年度(2010年度)から高等工科学校生徒として募集を再開し、「自衛隊唯一の高校」として現在に至っている。

 前身の少年工科学校時代は4学年制だったが、現在の陸上自衛隊高等工科学校は一般の高校と同様、3学年制になっている。ただし、その身分は普通の高校生とはまったく違う「特別職国家公務員」であり、生徒手当として月額10万2500円が支給される。当然、自衛隊員としての訓練も行われる。

【陸上自衛隊高等工科学校の概要(昇任の一例)】

■生徒課程を修了(見込含)すると、防衛大学校学生・航空学生等の受験が可能。
■生徒陸曹候補生課程修了後、19~20歳で3等陸曹に昇任し、その後、一般幹部候補生部内選抜試験および陸曹航空操縦学生選抜試験に合格すれば幹部に昇任することができる。

 というわけで、作道2佐のお父さんは高工校出身の陸上自衛官ではなく、海上自衛官であった。かつての海上自衛隊生徒隊の1期生で、昭和30年度(1955年度)に自衛隊生徒になっている。

 海上自衛隊1術科学校のホームページには、「自衛隊生徒は、昭和30年(1955)、舞鶴練習隊で『第1少年練習員』として教育が開始され、昭和31年、術科学校が横須賀から江田島に移転すると同時に生徒教育もここ江田島で開始されました」との記載がある。

 作道2佐のお父さんは、舞鶴練習隊での教育を経て、自衛隊体育学校で剣道の教官を務め、昭和35年(1960年)のローマオリンピックでは、近代五種の強化指定選手にもなっていたというスポーツエリートだった。体育学校の後は、佐世保(長崎)や横須賀(神奈川)での勤務を経て、最後は埼玉地方協力本部で定年を迎えたそうだ。

 今回、孫が高工校に入校することを知ると、「(自衛隊)生徒が3代続いたか」と、うれしそうに話していたという。

 事実が判明したところで、ひとまず今回ご紹介する作道家3代の情報を整理しておくと、下記のようになる。

作道弘亮3海佐(作道2佐の父)1955年(昭和30年)4月、海自舞鶴練習隊入隊
作道孝太2陸佐(本人)1989年(平成元年)4月、陸自少年工科学校入校
作道隆太 生徒(作道2佐の子息)2021年(令和3年)4月、陸自高等工科学校入校

 昭和、平成、令和の3つの時代にまたがり、親子3代にわたり「自衛隊生徒」になった作道ファミリーのストーリー・・・。それだけでも興味津々なのだが、話を伺っていくと、3人のほかにも「あっと驚く」登場人物が次々に現れる驚きの展開となった(決してオーバーではありません)。

 予想を超えるエピソードがどんどん飛び出す作道家(一族)の物語。この話の続きは、次回以降にたっぷりお届けする。

 次回は、昭和、平成、令和の自衛隊生徒について、そして、作道家に大きな影響を与えた偉大な祖父の話などをお届けします。

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