3月11日、東日本大震災から丸10年を迎えた。死者は1万5000人以上、今もなお2500人以上の行方が分からない。このとてつもなくつらくて、悲しくて、尊い現実は、10年経っても変わることはない。一方で、約1万9000人の被災者が救助され、その7割が自衛隊員の手によるものだったいう事実もまたある。

 あのとき、派遣された隊員たちは経験したことがない不安と恐怖の中、あらん限りの強い使命感で闘っていた。そして、被災地に住み、彼らの姿を見つめ続け、覚悟を持って自衛隊の門を叩いた人たちもいた。特別企画「使命と覚悟ー東日本大震災10年」では、それぞれの生き方、思いなどを紹介する。

小友 琢磨 3陸佐(37) 南恵庭駐第73戦車連隊4中隊
(当時:大和駐第6戦車大隊1中隊)

行方不明者の捜索任務にあたる小友3陸佐(当時の様子、正面奥)

 東日本大震災では宮城県の多賀城駐が津波に襲われた。また、住民の避難誘導にあたっていた宮城地本所属の隊員が犠牲になった。

 10年前の3月11日、6戦車大隊1中隊の小友は、多賀城駐と同じ宮城県に所在する大和駐で、これまでに経験のない大きな揺れを感じた。駐屯地の窓からは停車している戦車が大きく揺れているのが見えた。室内ではホワイトボードが倒れ、壁にかかっていた物がほとんど落下し、駐屯地は停電に見舞われた。

 ただ、発生当時のことを小友に尋ねると、予想外の答えが返ってきた。

 「驚きよりは、『ついに来たか』という気持ちだった。2008年(平成20年)に岩手・宮城内陸地震(マグニチュード7.2)があり、次はもっと大きな地震が起こるとずっと言われていたので、心の準備はできていた。それ以降、東北方面隊では毎年、(経験のない)大地震を想定した訓練に取り組んできた」

感情を抑えていたが遺体安置所で号泣した

 しかし、実際に災害派遣活動で沿岸部に赴くと、被害の大きさは想像を超えていた。「よく覚えているのは、停電で真っ暗な道をヘッドライトだけを頼りに車両で走行していた時、海の方でコンビナートが燃えていた光景。暗闇の中で、そこだけが赤々としていた」

 最初の2日間は、主に仙台市太白区で民生支援(物資輸送)に従事し、その後、被害の激しかった石巻市に向かった。

 小友の部隊は約35人。10人ほどのグループに分かれて活動した。石巻では、遺体となって発見された行方不明者を遺体安置所まで搬送するのが小友の任務だった。

 小友には、被災地で心に言い聞かせていたことがあった。それは、「自分たちより過酷な状況に置かれている被災者の方々の前では、悲しいという感情を決して表には出さない」ということだった。ただ、どうしても我慢しきれなかったこともあった。

 小友が遺体安置所にいたとき、病院から小さな布にくるまれた何かが10以上も運ばれてきたことがあった。震災で犠牲になった赤ちゃんの遺体だった。「この時ばかりは、その場にいた警察官たちと、人目もはばからず泣いた」

 大震災に備えて訓練を重ねてきたが、こんな経験をするとは想像だにしていなかった。

同じ使命感を持つ仲間に感じた「信頼」と「絆」

 石巻での活動を終え、宮城県の東松島市に入った頃、小友には気掛かりなことがあった。自分が生まれ育った岩手県釜石市も甚大な被害を受け、家族が被災していたのだ。

 命は助かったが、祖母の家は津波で流されたと知った。両親の家は高台にあり、津波の被害こそ免れたが、地震発生時に外出していた父親と連絡がとれなくなっていた。母も心細く、不安な日々を送っているはずだ…。小友はその時、「目の前の被災者と自分の両親を重ね合わせて活動していた」と言う。そして、「自分が宮城で被災者を捜索・救助しているように、岩手では別の部隊の隊員たちが自分の父親を助けてくれるはずだ」と信じることができたと話す。

 小友には自衛隊の仲間たちに寄せる強い信頼があった。それは、「孤立している人を助けなければ」「行方不明者を家族のもとに送り届けなければ」「何とか困っている人の助けになりたい」という使命感を共有しているという思いから生じていた。

 多くの隊員が、自分と同じように、離れて住む両親を思いながら派遣されている。仲間たちを信じて、小友は自分の任務に専念した。何よりも、過酷な捜索の現場で弱音も吐かず、共に黙々と任務にあたる仲間たちの姿は頼もしく、心の支えとなった。

 約1週間後、小友に父親の無事を知らせる連絡が入った。

震災から10年。改めて思う「家族の大切さ」

現在、小友3佐は南恵庭駐第73戦車連隊4中隊の中隊長の職責を任されている

 東松島市では、1カ月半にわたり捜索小隊長として任務にあたった。

 ある日、自分たちの捜索の様子を見守っている住民の姿が目に留まった。話を聞くと、水田に流れ着いた2階建ての家に住んでいた家族だった。母親が、家に取り残された5歳の息子を探していた。「家を解体してもいいので、何とか探してほしい」と懇願された。隊員たちが人力で家を解体しながら捜索したが、その日は発見できなかった。

 翌日、小友が別の場所で捜索活動をしているとき、解体した家の周辺で子供の遺体が発見された。後日、その場にいた隊員から、母親が「発見の前日、息子が夢に出てきて、『家のそばにいるよ』と伝えてくれたんです」と話していたと聞いた。

 震災当時は独身だった小友だが、現在は7歳と4歳の子供がいる。被災地で家族のつらい別れを数多く見てきたからこそ、家族の大切さを一層強く思うようになった。

 「それでも、何かあれば家族を置いて任務を遂行しなければならない。家族を大切にするのは当たり前だが、一緒にいるときはなおさら大切にしなければならないと感じている」

 現在、小友は生まれ育った東北の地を離れ、北海道で勤務しているが、田舎に帰ると、地元の人々から今でも感謝の思いを伝えられることがある。

 「過酷な任務に立ち向かった自衛隊の姿が、少しは人々の支えになり、明日に向かっての光になっていたのかな」

 被災地を地元に持つ者として、そう思えることが、自衛官としての小友の誇りでもある。(敬称略)


 企画「使命と覚悟」の紙面展開にあたる取材や写真など各種の調整について、陸上幕僚監部広報室の協力をいただきました。

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