秋田駐(司令・五十嵐1陸佐)内にある「米沢寿し店」が今年、営業開始50周年を迎えた。同店は、大阪万博で日本が盛り上がっていた昭和45(1970)年4月にオープン。陸自で唯一の寿司屋として、今年68周年を迎える秋田駐の歴史の大半を見守ってきた。
店を営むのは米澤嗣子(けいこ)さん(74)。20代半ばごろ、横浜の名店で腕を磨いた料理人の夫、三男さんと駐屯地内に店をオープンし、2度の移設を経て、自衛官でいうところの「永年勤続50年」を達成した。嗣子さんは、今では隊員から「母さん」と呼ばれる存在となっている。
50年の長い歴史の中で一番大きな転換点は、平成16(2004)年、三男さんが他界した時だった。この時ばかりは、嗣子さんも店を継続するかどうか迷ったそうだが、店を愛する多くの隊員の声が存続を後押しした。「私は寿司を握る夫を横で見ていただけ。見よう見まねでしかないけど」と言って握る嗣子さんの寿司は、一般的な寿司より少し大きめ。「訓練でお腹をすかせた隊員が満足できるように」との思いを込めているそうだ。
嗣子さんに、秋田駐所在部隊の活動について最も印象に残っていることを聞くと、東日本大震災の思い出を挙げた。東北地方が被災し、駐屯地の主力部隊が一斉に被災地に駆け付けた後、日本中から増援部隊がやって来た。嗣子さんは、京都の隊員に秋田弁を教え、北海道の隊員が涙を浮かべて帰隊するのを見送った。店の前に置いた一冊のノートには、そんな隊員たちからの感謝の言葉があふれていたという。
嗣子さんは、隊員との関わりについて、「階級なんてよく分からなかったから、自衛官は私にとっては『隊員さん』か『隊長さん』のどちらか」と話し、かつて秋田駐司令を務めた現陸上幕僚長の湯浅悟郎陸将も「隊長さんの一人なのよ」と笑顔で語った。
秋田駐広報室は「秋田駐を訪れることがあったら、ぜひ米沢寿し店の暖簾(のれん)をくぐってみてほしい」としている。