伝統と連携を新たな形で 化学学校と初の合同記念行事|大宮駐屯地

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装備品展示(担当 中央特殊武器防護隊)

防衛日報 2025年12月3日付


 大宮駐(化学学校長兼駐屯地司令・村上陸将補)は11月1日、「大宮駐・化学学校創立68周年記念行事」(共催・大宮自衛隊協力会・防衛化学会)を実施した。大宮駐と化学学校の創立記念行事を合同で行うのは初めて。


 感謝状贈呈式では、大宮駐、化学学校の発展に多大な貢献があった人たちに日ごろからの感謝の気持ちを伝えた。


 記念式典では、学校長兼司令の村上陸将補が式辞で、平素から大宮駐を応援してもらっていることに感謝の気持ちを述べるとともに、「引き続き、国民そして大宮駐屯地が所在する地域から信頼される駐屯地となるべく、これからも駐屯地一丸となって取り組んでいくことをここにお誓いいたします」と述べた。


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学校長式辞


 観閲行進では、観閲部隊指揮官の化学学校副校長(小原1陸佐)を先頭に、32普連、中央特殊武器防護隊などの部隊総勢294人、車両19両が参加し、一糸乱れぬ迫力ある行進を行った。


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式典時の観閲部隊


 訓練展示では、32普連、中央特殊武器防護隊、1飛行隊(立川)が日ごろの訓練の一端を紹介し、大宮駐に対する一層の理解を得た。


 記念会食では歴代学校長をはじめとして、各協力会、企業、駐屯地、所在部隊へ協力してもらっている人たちが臨席し、和やかで盛大な会となった。


 ほかにも高機動車体験乗車、装備品展示、輪投げやミニ制服試着などのキッズコーナーを設けるとともに、埼玉県赤十字血液センターが実施する献血、駐屯地史料館の開放を行い、来訪した多くの人たちの笑顔であふれていた。


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体験搭乗(担当 第32普通科連隊)

 

 大宮駐、化学学校は「引き続き国民、地域から信頼される駐屯地となるべく、日々邁進していく」としている。


<編集部より>


「目に見えない危険」を強く認識した事件がありました。オウム真理教による「地下鉄サリン事件」(平成7年3月20日)です。当時、旧社社会部で「何でも屋」の遊軍担当記者として、発生と同時に警視庁本部へ応援取材に行き、そこで「目に見えない―」の実態を聞き、恐ろしさを確認しました。

防衛日報の本日(12月3日付)2面で掲載した陸上自衛隊化学学校こそ、このかつてない大事件で現場に駆け付け、除染活動など淡々と任務を遂行した部隊。原子力や化学などによる特殊災害が発生した場合に対処する「スペシャリスト」なのです。

紙面では、所在する大宮駐屯地とともに創立68周年を迎えた初の合同による記念行事の報告を掲載しました。観閲行進や訓練展示、高機動車体験搭乗のほか、子供たちに人気の輪投げやミニ制服試着などを楽しむ笑顔があふれた様子を、写真が証明していました。

本日は、化学学校に絞ってみます。現代戦は海外の戦争や内乱を見るまでもなく、化学兵器が欠かせません。日本とて、今後、無関係ではなくなるかもしれません。核を持つとされる周辺諸国の動きがある以上、防衛のためには方法はともかく、かかわることを余儀なくされる可能性もあります。こうしたNBC兵器(核・生物・化学兵器)の防護要員として必要な知識や技能を持つ人間を育成するのが化学学校であり、化学防護部隊なのです。

地下鉄サリンでは、化学学校から発生と同時に教官数人が専門職として実動派遣され、捜査に協力した記録がありました。その中の一人で、地下鉄築地駅の除染を指揮した中村勝美氏が時事通信社のインタビューで語ったのは、事件の前日、朝霞駐で警察官約400人に防毒マスクの付け方や毒ガス対処法を指導した経験でした。中村氏は警察に対するこうした訓練は前例がなかったことから、「近く、何かある」と感じたということでした。

内容の大小はありますが、自衛隊では入隊間もない自衛官候補生に天幕内で毒ガス(人体に影響ない程度)を体験するという「行事」があります。駐屯地では恒例です。自衛隊なら、ここから化学兵器に対して体で覚えさせるわけですが、当時、警察ではこうした対処訓練は少なく、今思えば、化学学校にそのノウハウを取得するために依頼したように思います。

それでも、事件は化学部隊にとって大きな転機となり、「(化学兵器)専門の研究などいらない」などと廃止論もあった空気は一変しました。防衛省などによると、今では全国に対処力を強化した「特殊武器防護隊」などが置かれ、治療を目的とした部隊もできるなど人員が増加したようです。

何よりも、令和6年9月、化学学校はOPCW(化学兵器禁止機関)から日本初の化学兵器関連の研究機関として指定され、化学兵器や核兵器に関する教育、研究を行う同校が国際標準の分析能力を有する施設として世界的に認められたのです。防衛日報でも大宮駐・化学学校から報告が寄せられ、紙面で紹介しました。

もちろん、本来の目的は戦いのためというよりは調査・研究のためではありますが、今はそう言っていられない時代です。ある意味、警察も「頼り」にする化学学校が持つ知識や技能は日本の守りになくてはならないもの。それだけ大きく、重い責任も付いてくるとはいえ、僭越(せんえつ)ながら、日本初の称号を持つ化学学校は実に誇らしい存在です。