令和元年東日本台風から復活の全国丸森いち

 令和5年(2023年)5月14日(日)、宮城県丸森町で開催された「第50回全国丸森いち」でブルーインパルスが展示飛行を実施した。同県内にあるブルーインパルスの本拠地松島基地から飛来したリモート展示だった。
 丸森いちは今年で50回目の開催で、はじめて“全国”の文字を冠して「全国丸森いち」とした。これは令和元年東日本台風(台風19号)の甚大な被害からの復興復旧するにあたり全国から支援を受けたことへの恩返しと、ここまで元気になったことを知らせるために“全国”を冠したという。

画像: 丸森まちづくりセンターでは台風の被害や復旧状況をパネル展示していた他、関連の資料も配布された。

丸森まちづくりセンターでは台風の被害や復旧状況をパネル展示していた他、関連の資料も配布された。

 丸森町役場の敷地内にある丸森まちづくりセンターでは、令和元年東日本台風の被害や復興の様子がパネル展示された。配布された資料の表紙に、この台風による浸水状況を俯瞰した写真が載せられていた。写真は阿武隈川北岸上空から南側を見下ろしたもので、全国丸森いちの会場となった丸森町役場もこの景色の中に見える。
 阿武隈川に流れ込む三つの支流に、内川、五福谷川、新川があり、この一帯の堤防が18ヵ所決壊し、越水した箇所もあったという。死者10名、災害関連死1名、行方不明者1名の人的被害と浸水面積約244haの甚大な被害を受けた。
 この台風のことはよく覚えている。その一か月ほど前に筆者の住む千葉県に甚大な被害をもたらした房総半島台風(台風15号)に覆いかぶさるように襲ってきた台風19号に相当に身構えていて、スマホには台風19号が通過した10月12日夜の雨雲レーダーのキャプチャー画面が残っている。
 翌朝のニュースで流れてきて衝撃を受けたのは千曲川の氾濫による北陸新幹線の長野基地の水没した映像などであったが、阿武隈川流域では丸森町で587.5mm/24hという既往最大(過去に観測された最大)の豪雨に見舞われた。

丘陵に囲まれた丸森町での展示飛行

 丸森町は阿武隈川下流部の角田盆地の南端にあり、阿武隈川に流れ込む支流の扇状地になっている。周りには標高200m弱(約600ft)の丘陵に囲まれていて(丸森町役場の標高は19m)、このため展示飛行の高度は国土交通省の航空情報では1600ftより上と高めで、平地であれば1000ft程度の展示高度を600ftアップセットして行われた。
 天気予報では曇りであった天候は、早朝には雨。しかし、展示飛行開始の正午に向かって見事に晴れていった。曇り空でなんとか飛べれば御の字と思いながら出向いたが、丘陵に囲まれているため、雲が低ければ飛べない。そんな心配はみるみるうちに雲と共にどこかへ消えていった。

画像: 最初のデルタローパスで会場上空を通過後、左旋回で南側を回り込むブルーインパルス(写真・今村義幸)

最初のデルタローパスで会場上空を通過後、左旋回で南側を回り込むブルーインパルス(写真・今村義幸)

 東北東から内川に沿って丸森町役場前会場に向かうラインで航過飛行が始まり(トップ写真参照)、会場通過後に周囲の稜線の上を回り込んで、実に雄大な眺めとなった。

曇天にも備え、持ち得る力を出し切るブルーインパルス

画像: 3課目目のダーティーツリーローパス。臨時駐車場として開放された町役場前グラウンドは台風被災後に災害ゴミ集積場となった場所だ(写真・今村義幸)

3課目目のダーティーツリーローパス。臨時駐車場として開放された町役場前グラウンドは台風被災後に災害ゴミ集積場となった場所だ(写真・今村義幸)

 デルタローパス、リーダーズベネフィットローパスに続き、“木”を模ったツリーローパスが披露された。ツリー隊形は、脚を出し、ランディングライトを点灯させる、ダーティーツリーローパスとした。秋から冬にかけてクリスマスツリーローパスと称されるこの課目を実施したのは曇天時にランディングライトが映えることを想定してのことではないか。晴天は嬉しい誤算といったところかもしれないが、バリエーションとしても素晴らしく、また脚を出して速度が遅くなってもこの密集隊形を保持する飛行技術はブルーインパルスの技量を顕著に示していた。

画像: ダーティーツリーローパスに続くピラミッドローパス(写真・今村義幸)

ダーティーツリーローパスに続くピラミッドローパス(写真・今村義幸)

 ブルーインパルスの変幻自在ぶりは何度も示された。エジプトのピラミッドをイメージしたという逆三角形のピラミッドローパスは、最初に披露したデルタローパスの逆さの隊形であるが、先頭真ん中の1番機に対し、進行方向左側の2番機と右側の3番機は真横の1番機しか見ていない。
 横を向いて真っ直ぐ飛べるだけでも凄腕であるが、前方に山が迫る中、1番機フライトリーダーとの絶対的信頼関係がなければ進行方向を委ねて飛ぶことはできない。これもブルーインパルスの編隊精神を象徴する課目のひとつである。

後半は航過飛行から編隊連携機動飛行課目へ移行

画像: グランドクロスローパスで会場通過後に右旋回していくブルーインパルス(写真・今村義幸)

グランドクロスローパスで会場通過後に右旋回していくブルーインパルス(写真・今村義幸)

 5課目目のグランドクロスローパスで通過後には右旋回に転じ、北西の丸森橋辺りからひとつ下流の丸森大橋の方へと阿武隈川本流に沿っての進入に変えた。8の字で展示飛行を繰り広げるパターンだ。ここから編隊連携機動飛行の課目に入っていく。

画像: 左旋回のデルタ360°ターン。阿武隈川北岸で撮影(写真・伊藤宜由)

左旋回のデルタ360°ターン。阿武隈川北岸で撮影(写真・伊藤宜由)

 北西側の会場から見れば左奥からの進入に切り替え、まず最初に見せたのがデルタ360°ターンだ。通常ブルーインパルスは右旋回を基調とし、右から入って右旋回で見せるデルタ360°ターンが基本であるが、ここでは南側から折り返して実施するサクラの前に北西進入のフェニックスローパスがあり、その前にひとつ編隊旋回課目を入れ込んできた形だ。経路上無駄のない構成であり、また持てる力を可能な限り惜しみなく出し切るブルーインパルスの本領発揮だ。
 課目構成を決定するのは飛行班長の平川通3空佐の役目であるが、那覇基地航空祭でランウェイ36の離発着の合間を縫って実施する編隊連携機動飛行のために開発された左旋回デルタ360°ターンをここに入れ込んでくるとは実に感慨深い。というのもこの課目が那覇で披露されたのは平成18年(2006年)であったと記憶するが、第302飛行隊出身の平川3空佐も当時那覇で見ていたかもしれないからだ。コロナ禍で練成中に航空祭がひとつもなかった平川3空佐は訓練を通じて全課目を引き継いでいるが、それ以上にこれまでの展示記録などの資料に細部まで目を通して研究してきた。その不断の継承努力の先に丸森の地形も相まってこの課目が組み込まれ、また予想外の晴れ空がこれを迎えたとなればこんなに感動的な課目はなかろう。
 航過飛行課目から始まる基本に忠実な編隊連携機動飛行のパターンに大胆にこのレア課目をここに入れ込んでくるとは…これは丸森を象徴する課目となったといっても過言ではない。

画像: 北西側の丸森橋上空から進入してくるフェニックスローパス(写真・伊藤宜由)

北西側の丸森橋上空から進入してくるフェニックスローパス(写真・伊藤宜由)

 会場の左奥から右後方へと進入し、折り返してサクラを描くのが定石であるが、その進入課目としては東北復興を象徴するフェニックスローパスが実施された。最初の5課目とも分離され、進入方向も違う特別な航過飛行課目として披露された。写真は阿武隈川の北岸から北西から入ってくるフェニックスローパスを見上げた光景だ。江戸時代には阿武隈川舟運の中継地として繁栄した丸森町の空をブルーインパルスが飛んだ。

画像: フェニックスローパスから南東側で折り返して実施されたサクラ(写真・今村義幸)

フェニックスローパスから南東側で折り返して実施されたサクラ(写真・今村義幸)

 強い風が晴れ空をもたらしてくれた。描き物のサクラは風に流され気味となったが、この晴れ空を前にこれ以上何を望もうか。櫓の上から大工さんたちも展示飛行を見上げていた。

機数も変幻自在のブルーインパルス

画像: 阿武隈川の丸森大橋の上に大きなビッグハートが描かれた(写真・伊藤宜由)

阿武隈川の丸森大橋の上に大きなビッグハートが描かれた(写真・伊藤宜由)

 サクラまですべて6機での課目を披露したブルーインパルスは編隊を分離し、5番機6番機の2機によるビッグハートを実施。オリンピックシンボルの五輪を描くなど描き物を得意とするブルーインパルスの課目の中でも見た目のままに説明不要の大人気課目だ。あまりにもあっさりと描き切るが左右対称に2機でこの形を描くこと自体が大変な操縦技術である。

画像: ビッグハートに続く5番機ソロによる720ターン(写真・今村義幸)

ビッグハートに続く5番機ソロによる720ターン(写真・今村義幸)

 ブルーインパルスは6機編成であるが、課目構成としては1機から6機まであらゆる機数の課目を持っている。第1単独機の5番機、第2単独機の6番機の2機がビッグハートを描き、続いては5番機が再度分離して、単機で無限大(∞)を描く720°ターンが実施された。
 この間、6番機は1,2,3,4番機と合流して次の課目に備えている。

画像: 最後を飾ったレベルサンライズ(写真・今村義幸)

最後を飾ったレベルサンライズ(写真・今村義幸)

 最後を飾ったのはレベルサンライズだった。サンライズには飛行場での曲技飛行の際にループ機動から入るサンライズと、飛行場外の編隊連携機動飛行で水平飛行から入るレベルサンライズがある。レベルとは水平飛行を意味する。サンライズをはじめ5機の課目は1,2,3,4,6番機により実施される。
 サンライズは文字通り日出をイメージして描かれるものであるが、新しい第一歩を踏み出した丸森町にふさわしく、またこの青空の下で実施されたことが何より喜ばしい。

展示飛行前にはサイン会も実施

画像: 展示飛行に先立ちサイン会が開催された。手前が飛行班長の平川通3空佐で奥がナレーターで来場した次期5番機の藤井正和3空佐(写真・今村義幸)

展示飛行に先立ちサイン会が開催された。手前が飛行班長の平川通3空佐で奥がナレーターで来場した次期5番機の藤井正和3空佐(写真・今村義幸)

 展示飛行に先立ちメインステージ前では地上統制官として来場した平川3空佐とナレーターとして来場した藤井3空佐がサイン会を行った。航空祭での非公式メニューであるファンサービスとは違って、イベントのプログラムに組み込まれたサイン会である。会場にはブルーインパルスメンバーが到着する前から行列ができ、直前には丸森町役場の建物の裏側まで行列となる人気ぶりであった。中には何の行列かわからないまま並んだ人もいて、何度も何の行列か聞かれることがあった。思わずほっこりしたが、パイロットのサイン会であると答えても列から抜ける人は誰もいなかった。

ブルーインパルスが飛んだからこそ知ることができた丸森町の歴史や物産品

画像: 丸森猫神めぐりと純米酒蔵王。丸森の米で別々の酒蔵で醸された銘酒だ(写真・今村義幸)

丸森猫神めぐりと純米酒蔵王。丸森の米で別々の酒蔵で醸された銘酒だ(写真・今村義幸)

 ブルーインパルスのサイン会の他には、伊達武将隊のショーや沢田研二ならぬ沢田研史ショーが開催された他、丸森繋がりで静岡県清水港の丸森水産も出店しマグロの解体ショーを披露するなど、地場のタケノコや工芸品の物産展と共に盛り上がっていた。
 筆者はこの日母の日であったことから植木市のカーネーションの鉢植えを買い求めた他、かつて日本三大品種と言われた池森発祥の米「愛国」で作られた日本酒を買ってきた。この日本酒を手にしたのは「猫神めぐり」というラベルが目に留まったからであるが、当日は一緒に取材活動をしている伊藤宜由の角田市在住の父君も来られ、この辺りが養蚕(ようさん)が盛んだったため、ネズミを退治してくれる猫を神として祀っていたという話を聞いたからだ。東北本線が民営の日本鉄道で始まった頃、蒸気機関車の煙を嫌ってこの辺りを通す計画を変更したのも養蚕のためであったという。伊藤の父君は定年まで勤めあげた元自衛官で再就職先の同僚には丸森町の人もいるという。そんな伝聞を聞けたのもこの地に赴いたからこそであり、それなしに「猫神めぐり」のラベルに反応することもなかっただろう。
 台風19号の記憶はいまもあり、阿武隈川流域が大変なことになっていたこともニュースの記憶の片隅にある。いつも横をかすめて素通りするばかりであったところを、ブルーインパルスが飛んだことで足を運び、その風土にふれることができた。ブルーインパルスには新しい発見をもらうばかりである。

《第50回全国丸森いち展示飛行実施課目》

①デルタローパス
②リーダーズベネフィットローパス
③ダーティーツリーローパス
④ピラミッドローパス
⑤グランドクロスローパス
⑥デルタ360°ターン(左旋回)
⑦フェニックスローパス
⑧サクラ
⑨ビッグハート
⑩720°ターン
⑪レベルサンライズ

《第50回全国丸森いち展示飛行搭乗メンバー》

1番機 名久井朋之2空佐(飛行隊長)、後席・川島良介3空佐
2番機 東島公佑1空尉
3番機 藏元文弥1空尉
4番機 手島孝1空尉
5番機 江口健1空尉、後席・佐藤裕介1空尉
6番機 加藤拓也1空尉
 加藤1空尉は全国丸森いちが展示飛行デビューとなった。

《第50回全国丸森いち展示飛行地上メンバー》

地上統制官 平川通3空佐(飛行班長)
ナレーター 藤井正和3空佐
サポート 谷口雄亮2空曹(整備員)、鈴木智也3空曹(飛行管理員)
 藤井3空佐は全国丸森いちが最後のナレーターで、美保基地航空祭からは4番機TRの佐藤1空尉がナレーターを務める。

ブルーインパルス令和5年度ツアースケジュール

画像: ブルーインパルスツアーマップ(伊藤宜由作成)

ブルーインパルスツアーマップ(伊藤宜由作成)

《文と写真》
ブルーインパルスファンネット 今村義幸/伊藤宜由


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