プロ野球開幕戦でブルーインパルスが祝賀飛行
令和5年(2023年)3月30日(木)、北海道北広島市における2023 PLAY BALL~HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGEオープニングセレモニーでブルーインパルスが飛んだ。同日、このFビレッジの主要施設であるエスコンフィールド北海道球場では、全国のプロ野球開幕戦より一日早く、北海道日本ハムファイターズ対東北楽天ゴールデンイーグルスの開幕試合が行われた。
この日より一週間前の3月23日には、WBC優勝の栗山監督ら侍ジャパン一行がJALチャーター便で成田空港に帰国した。栗山監督は海外遠征の疲れも癒えない凱旋直後にこの開幕戦に赴き、サプライズの始球式を行った他、テレビ中継で解説も行った。
ブルーインパルスは、新球場のオープニング、プロ野球の開幕を祝賀したと同時に、WBC優勝をも祝う展示飛行となった。
オープニングセレモニーでは航空自衛隊北部航空音楽隊も演奏し、同音楽隊のファンファーレに合わせてブルーインパルスが展示飛行を開始した。音楽隊とブルーインパルスの共演は昭和39年の東京オリンピック開会式を彷彿とさせる。
ブルーインパルスはこの一年前の令和4年(2022年)3月25日(金)に埼玉県所沢市のベルーナドームにおける2022シーズン開幕試合、西武ライオンズ対オリックスバッファローズ戦当日にも展示飛行し、二年連続の開幕祝賀飛行となった。
プロ野球の開幕戦ということでは、平成22年(2010年)3月27日、東北楽天イーグルス・ホーム初戦での展示飛行も記憶に残っている。先日のFビレッジでは日本ハム新庄監督が当日は見られないからと前日の予行でブルーインパルスを見上げたことがスポーツ紙によって報じられていた。2010年の楽天初戦はデーゲームで、両チームの選手が観客とともにブルーインパルスの飛ぶ空を見上げた。
スポーツ祭典での展示飛行
ブルーインパルスがスポーツの祭典で飛ぶことを顧みると、昭和39年(1964年)10月10日、東京オリンピック開会式の国立競技場上空でブルーインパルスがオリンピックシンボルの五輪を描いたことはあまりにも有名である。ブルーインパルスの名声を確立した出来事であり、東京五輪年生まれの筆者がブルーインパルスを初めて見たのはその39年も後のことであるが、ブルーインパルスの名前は幼少の頃からいつの間にか知っていたように思う。
ブルーインパルスが発足して4年後に東京オリンピックは開催されたが、スポーツの祭典で展示飛行が行われた歴史を探ると、1918年(大正7年)9月5日にボストンレッドソックス対シカゴカブスの初のワールドシリーズで60機を越える航空機で航過飛行が行われた記録が出てくる。1903年のライト兄弟による世界初の有人飛行からわずか15年後、第一次世界大戦の末期の頃の話である。
航空機のこうした飛行は個々のパイロットの技量が如何に優れていても規律を守らなければ成立しない。「私の方が上手いし格好良く見せられる」という気持ちを排除し、編隊の中でお互いを信頼し飛ばなければならない。この心構えを「編隊精神」という。そして展示飛行というミッションを成功に導く。どうであろうか。この精神とチーム戦でのスポーツマンシップには共通するところもあるのではないか。どちらも見ていて清々しく誇らしい。
ライト兄弟の初有人飛行から120年。その歴史の要所要所でこうした飛行が行われてきた。
モータースポーツでのブルーインパルス
平成8年(1996年)にブルーインパルス初の独立した飛行隊としてツアーを開始した第11飛行隊(T-4ブルーインパルス)の歴史において、モータースポーツの祭典で飛ぶブルーインパルスも多くの伝説的名展示飛行の記憶を残している。
1996年4月5日に防衛大学校入校式で初公式展示飛行を成功させたT-4ブルーインパルスは、4月7日熊谷基地さくらまつりに続き、4月28日に、三つ目の公式展示として、初の部外行事での展示飛行として、鈴鹿サーキットでのフォーミュラニッポンで飛んでいたのだ。
今年度2023ツアーでは9月24日(日)の鈴鹿サーキットF1グランプリ決勝戦で再びブルーインパルスが鈴鹿の空を飛ぶ。そしてF1グランプリということでは、平成19年(2007年)の富士スピードウェイF1グランプリ決勝戦で飛ぶ日程が組まれていたが、筆者の世代には痛烈な記憶となっている昭和51年(1976年)の大雨のF1グランプリ決勝戦(ニキラウダが棄権、マリオアンドレッティが優勝、ジェームスハント3位が年間チャンピオン獲得)のような大雨で、ブルーインパルスの展示飛行は中止となった。今年のF1グランプリはその分の展示飛行としても期待したい。
ブルーインパルスと社会の関わりとは
T-4ブルーインパルス初年度のフォーミュラニッポンに次ぐスポーツの祭典での展示飛行としては、平成10年(1998年)3月13日の長野オリンピック開会式が記録されている。この展示飛行は準備段階からテレビ地上波のドキュメンタリー番組として放映され、小澤征爾指揮の第九交響曲の終演にぴったりと合わせて会場上空を通過したブルーインパルスの技術が話題となった。小澤征爾氏という偉大な指揮者でも本番では15秒早く終わるという高揚感の中、ブルーインパルスがそれに合わせ定時定点通過の技術を遺憾なく発揮したのだ。これに先立ち飛行隊長の阿部2空佐(当時)が善光寺にお参りし100円玉6枚(ブルーインパルスが6機のため)の賽銭で成功を祈願したことなど、もはやファンの間では伝説となっている。
今年度スポーツの祭典では、鈴鹿サーキットF1グランプリと、10月7日には「燃ゆる感動かごしま国体」で飛ぶ。ブルーインパルスの展示飛行にはこの国民体育大会に冠された言葉と同じ「感動」がある。
例え話になるが、成田空港の敷地はその昔下総御料牧場であった。第5代場長(明治22年-大正11年)の新山荘輔氏は、新冠御料牧場や三菱小岩井農場の場長も兼務するほどの聡明な方であったが、牧畜に関心を持ってもらおうと下総御料牧場に桜の木をたくさん植えさせた。桜を見に来て動物たちを見てもらい牧畜振興につなげようとしたのだ。これが今でも成田が桜の名所である所以だ。青森県の弘前城にもリンゴ農業振興のために桜を植えた例がある。
ブルーインパルスはスポーツの祭典をはじめとする各種イベントでこの桜と同じ役割を果たしている。Fビレッジのオープニングセレモニーでブルーインパルスが飛んだことによってあの素晴らしい球場にも足を運び、露天に開く屋根の構造も見て、素晴らしい球場であることに関心を持った。
航空自衛隊主催の航空祭や開庁記念行事でも同じことで、ブルーインパルスを見に来て、航空自衛隊や自衛隊の活動に関心を持ってもらいたいのだ。
藤吉隆雄STS研究写真展「1996年のブルーインパルス~空の記憶と記録を集める~」進行中
ブルーインパルスファンネットでは調査研究部会を立上げ、こうしたブルーインパルスと社会の関係性を社会学的アプローチで研究している。
ブルーインパルスが震災から生き残った意味は何なのか、ブルーインパルスが飛ぶ意味は何なのか、国民にとってのブルーインパルスとはどんな意味を持っているのか、藤吉隆雄(津田塾大学総合政策研究所特任研究員)を中心に模索している。
今年度のブルーインパルスは航空祭でアクロバット飛行を見せ、東北各地で震災復興の後押しをする。そのスケジュールの合間に組み込まれたのがスポーツの祭典で、7月14日(金)の世界水泳選手権福岡大会、9月24日(日)の鈴鹿F1グランプリ、10月7日(土)の鹿児島国体が予定されている。
その感動に今年も注目したい。
2023年度ブルーインパルスツアースケジュール
《文と写真》ブルーインパルスファンネット 今村義幸/藤吉隆雄/伊藤宜由