12月11日の日曜日、空自ブルーインパルスが宮古島で初となる展示飛行を行い、年内最後の勇姿を披露。今年のスケジュールの有終の美を飾りました。その1週間前の4日、茨城県の百里基地航空祭でも展示飛行を披露。快晴の空の下、多くのファンの視線を釘付けにしました。恒例のブルーインパルスファンネットさんによる、詳細レポート。長年ブルーを追い続けているファンならではの技術的な解説も。ぜひご覧ください。(編集部より)

 令和4年12月4日(日)、百里基地航空祭が開催された。ブルーインパルスはその展示飛行の中で最上位の第1区分の曲技飛行を披露した。当日は午後からは曇空で、午前中も薄雲が掛かったり消えたりの変わりやすい空であったが、10時45分にウォークダウン、11時29分に離陸したブルーインパルスの時間には快晴の空が広がった。
 ブルーインパルスは、第1区分、第2区分、第3区分、第4区分、編隊連携機動飛行、航過飛行と6段階の展示飛行区分を持つ。海外のチームに比べ変わりやすい日本の空で飛ぶためにより多くの展示飛行区分を持つブルーインパルスであるが、大型航空祭では最後となる百里基地航空祭で天をも味方につけ蒼空を舞った。

千歳基地航空祭で全員はじめての状態からスタートした復活劇

 思えば7月31日の千歳基地航空祭は、このメンバーにとって初めてのフルショー*であった。メンバー全員が初めての航空祭というケースは第11飛行隊創隊以来の一大事だ。経験者が一人もいないのだから、それがどれだけ手探りかは容易に想像がつこう。

 *フルショーとはその基地から離陸して展示飛行して着陸すること。ウォークダウンという搭乗前様式からウォークバックという降機後様式まで一連の行動を見せる。

 千歳での緊張感はどことなくぎこちなさも醸し出していたが、航空祭で復活という大任の前ではそれも当然であろう。パイロットは偶然にも全員が福岡県出身であったが、9月4日の芦屋基地航空祭ではついに、しかも福岡県で、最上位の第1区分の曲技飛行を披露した。

画像: 縦にハートを描き矢を突き刺すバーティカルキューピッド。1区分の特長的課目であり人気課目だ(写真・今村義幸)

縦にハートを描き矢を突き刺すバーティカルキューピッド。1区分の特長的課目であり人気課目だ(写真・今村義幸)

 ツアー再開の今年度、当初はコロナ禍の先行きも見えないまま、入場抽選などの制限のあるスタートであったが、天候理由で短縮した展示飛行はあったものの、中止は一度もないままここまで来た。

 そして今年度日程では最後の航空祭である百里基地航空祭で、またもやオール福岡メンバーが快晴の1区分を見せてくれた。芦屋基地航空祭、エアーフェスタ浜松(編隊長は青森県出身の名久井2空佐=隊長)、に並ぶ快晴ぶりで、航空祭への参加が控えめだった日程の中で大当たり年となった。

3年ぶりの百里基地航空祭

 編隊長を務めた平川通3空佐(飛行班長)百里基地第7航空団第301飛行隊からブルーインパルスに来た。元々は那覇基地時代の第302飛行隊の出身であり、ブルーインパルスファンネットではお馴染みの吉田信也元2空佐がブルーインパルスに来る前年、第302飛行隊の飛行班長であった時に平川3空尉(当時)が新人のF-4パイロットとして配属されてきた。吉田元2空佐によれば、初めて一緒に乗った時に「こいつ上手いな」と思ったそうだ。既にブルーインパルスに内定していた吉田3空佐(当時)は「お前もいつかブルーインパルスに来いよ」と声をかけたという。

 第302飛行隊は2009年3月に百里基地に配置換えとなった。そして月日は流れ、2018年の百里基地航空祭は第302飛行隊のF-4部隊としては最後の百里基地航空祭となり、翌春三沢に新編されたF-35Aの第302飛行隊に移管され、F-4の幕を閉じた。

 2019年の百里基地航空祭は、第301飛行隊によるF-4最後の百里基地航空祭であった。その第301飛行隊に平川3空佐がいた。

 筆者はF-4最後の百里基地航空祭を見届けるために吉田元2空佐と共に第301飛行隊を訪ねた。そこで吉田元2空佐は平川3空佐と再会を果たす。平川3空佐はその時、ブルーインパルスに行く決意を吉田元2空佐に内々に伝えたという。

 翌2020年3月、F-4の最後を見届けた平川3空佐は、聖火到着式の訓練が始まった松島基地に姿を表した。そこから医療従事者等への感謝飛行や東京五輪へと繋がる流れはドキュメンタリー書「青の翼 ブルーインパルス」に詳しい。「日本の空は航空自衛隊が守る。日本人の心はブルーが守る」はこの本のコンセプトともなった著者小峯隆生氏の至言だ。筆者も含めブルーインパルスが飛ぶことで日々の生活に希望を見出すファンは少なくない。
画像: 4機が背面飛行をするフォーシップインバートは世界的に見ても難易度の高い課目だ。その終演で1番機後方にブレイクする3番機(写真・今村義幸)

4機が背面飛行をするフォーシップインバートは世界的に見ても難易度の高い課目だ。その終演で1番機後方にブレイクする3番機(写真・今村義幸)

 平川3空佐にとってはホームの百里基地。F-4ファントム最後の百里基地航空祭から3年が経ち、部隊は機種更新し移転したとしても、平川3空佐にとっては凱旋飛行だ。快晴の1区分となったことは何よりであるし、ブルーインパルスにとっても最良の航空祭シーズンの締めくくりとなったことであろう。
 特筆すべき点を挙げるとするならば、まだまだ伸びしろはあるが精度・テンポ共に格段の練度向上が見られたこと、12月に最後ひとつクリスマスツリーローパスを組み込んだこと、そして今シーズンの航空祭をデルタループで通し切ったことだ。

精度・テンポが格段に向上した一年

画像: 5番機と6番機によるバックトゥバック。いわゆるデュアルソロの息もぴったり合い、第1編隊とのタイミングやテンポを芦屋基地航空祭の頃より格段に良くなった(写真・伊藤宜由)

5番機と6番機によるバックトゥバック。いわゆるデュアルソロの息もぴったり合い、第1編隊とのタイミングやテンポを芦屋基地航空祭の頃より格段に良くなった(写真・伊藤宜由)

 精度・テンポについて言えば、芦屋基地航空祭では6番機がロールオンテイクオフしてから第1編隊がファンブレイクで入ってくるまでの間が短かった。一見6番機が遅れて離陸したような印象があったが、第1編隊もファンブレイクの進入を調整できたかもしれない。百里では5番機、6番機がフォーメーションで上がり、それだけ6番機は早く上がったこともあるが、第1編隊との間合いは離陸から最後までテンポ良く進んでいった。離陸様式の違いなどタイミングもまちまちだが、そうしたことは机上の計算も大事だが、やはり場数が物を言う。
 今年は美保、岐阜、築城、入間、新田原といった大型航空祭への参加がなかった。例年ならあと三つ、四つ、航空祭の場数を踏めたかもしれない。そうした中でのこの百里の出来栄えは賞賛に値しよう。

航空祭シーズンの終盤を彩るクリスマスツリーローパス

画像: 年末恒例のクリスマスツリーローパス。これが見られると航空祭シーズンも大詰めとなる(写真・今村義幸)

年末恒例のクリスマスツリーローパス。これが見られると航空祭シーズンも大詰めとなる(写真・今村義幸)

 クリスマスツリーローパスは9月23日の西九州新幹線開業イベント以来の実施だ。西九州新幹線は曇天下だったため組み込まれた。秋からの大型航空祭の風物詩ともなっていたクリスマスツリーローパスが再現されたことは、何か航空祭シーズンをやっと取り戻して年末を迎えられるような気持ちにしてくれた。
 クリスマスツリーローパスはツリー隊形を脚を降ろしたダーティー形態で実施する(脚を収納した形態をクリーンという)。B(ブラボー)とC(チャーリー)の幅の違うふたつの三角形(デルタ隊形)を重ね"木"を形どる。さらに脚を出してランディングライトを点灯させることでクリスマスイルミネーションをまとったクリスマスツリーとなる。

画像: クリスマスツリーローパスが後方へ抜けてターンした姿はまるでサンタクロースのそりが滑空しているかのようであった(写真・今村義幸)

クリスマスツリーローパスが後方へ抜けてターンした姿はまるでサンタクロースのそりが滑空しているかのようであった(写真・今村義幸)

 今年はそのクリスマスツリーを会場後方まで引っ張り、やや右にターンすることで、その後ろ姿は滑空するサンタクロースのそりのようであった。本来は正面から見る課目なのだが、後ろ姿でも魅せたこのやり方は、平川3空佐がこの課目の特性を読み解き過去の実施例をも入念に目を通して分析したからとしか思えない。このあたりからも、普通なら練成の段階で航空祭ツアーに一年付いて回り習得していたものを、無から手探りで構築している努力が垣間見られるのである。

デルタループで一貫した今年の航空祭ツアー

画像: 1区分の象徴的課目デルタループ。近年フェニックスループに置き換えられていたが今年は原点回帰しデルタループで貫かれた(写真・今村義幸)

1区分の象徴的課目デルタループ。近年フェニックスループに置き換えられていたが今年は原点回帰しデルタループで貫かれた(写真・今村義幸)

 もうひとつ感嘆したのは百里でもまたデルタループを貫き、シーズンをデルタループで通したことだ。2016年の松島基地復興感謝イベントでフェニックス隊形を披露して以降、デルタループはフェニックスループに置き換えられてきた。今シーズン初の1区分となった芦屋基地航空祭でデルタループが実施されたとき、それは震災後の芦屋基地避難時期にまだデルタループであったことからトリビュート的な課目選択だと感じていた。しかし、航空祭の日程が終わってみて顧みれば、すべてがデルタループであった。
 目から鱗が落ちるようだ。基本隊形である6機デルタ隊形でループする極めて基本的なデルタループに集約したのは、応用よりも基本を貫いたということだ。全員がはじめての航空祭というところから始まり、コロナ禍も明けきらぬ中、航空祭の場数も少なく、その中で基本を選択したことを絶賛したい。
 例えになるかどうかご容赦頂きたいが、筆者は先日ドイツでアウトバーンの高速走行も含め運転する機会があった。左ハンドル右側通行である。アメリカよりずいぶんと楽に感じた。何が違うかといえば、速度単位だ。ドイツはキロなのである。アメリカはマイルで速度の脳内変換が必要であった。左ハンドルで速度を変換しながら走るというのは負担が掛かるのだ。ポジション間の間隔が均一でないフェニックス隊形は、この速度変換と同じような難しさを内包しているのではないか。もちろん松島基地での訓練ではフェニックスループは実施されており、技量的に満たされていないということではない。だが、プロ野球選手がバットを短く持って基本を振り返るように、あるいは走り込んだりノック練習を怠ったりしないように、いまはデルタループでいこうとなったのではないか。

世代交代の日も近い。オール福岡メンバーありがとう!

画像: 1番機後席には次期飛行班長の川島良介3空佐(北海道出身)。世代交代の時期も近い(写真・伊藤宜由)

1番機後席には次期飛行班長の川島良介3空佐(北海道出身)。世代交代の時期も近い(写真・伊藤宜由)

 来年は飛行班長の交代も控えている。フェニックスループが再開されるのは松島基地航空祭辺りであろうか。その時にブルーインパルスの練度がまた上がっていることを実感させられることだろう。あとひとつ宮古島の展示も天候が気になるところだが、実施されれば全戦全勝であり、宮古空港滑走路からオフセットされた海辺での曲技飛行が実施されればそれもまた画期的である。いずれにせよ、ブルーインパルスが復活から再進化の道を進んでいることは間違いない。

画像: オール福岡県出身パイロットによる航空祭もこれが最後かもしれない。見事な復活劇お疲れ様でした!(写真・伊藤宜由)

オール福岡県出身パイロットによる航空祭もこれが最後かもしれない。見事な復活劇お疲れ様でした!(写真・伊藤宜由)

取材・ブルーインパルスファンネット 今村義幸(文・写真)/伊藤宜由(写真)


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