【2022年10月19日(水)1面】

画像: 【連載】未来への「架け橋に」-広報官たちの思い②
東京地本江東出張所 三浦 真2陸曹

 

 広報官の一日は多忙だ。9月6日、三浦真(まこと)2陸曹は東京地本江東出張所(所長・目﨑3海佐)で、自衛官候補生を受験予定の男性と面談。その後、「防災教育」を行うため、江東区立大島中学校へ向かった。

 体育館に集合した2年生全員を前に、防災教育講話。その後は3グループに分かれ、「止血法」「簡易担架」「ロープ結索法」を実施した。

 講話の際、真剣なまなざしで聞いていた生徒たちだったが、三浦2曹の説明に合わせて実際に「体験学習」するころには、時折、笑顔も見せた。三浦2曹の表情もちょっぴり緩んだ。参加した女子生徒は、「自衛官は『怖い人』というイメージがあったが、とても優しい人たちで、楽しく体験できた」と笑顔で語った。

画像: 募集活動に加えて「防災教育」も。広報官は多忙だ

募集活動に加えて「防災教育」も。広報官は多忙だ

○  ○  ○

 広報官として6年目を迎えるベテランだが、広報官を志願したわけではない。

 4地対艦ミサイル連隊や130特科大隊に配属され、顔に迷彩のドーランを塗り、ギリースーツに身を包んで訓練に励んでいた三浦2曹にとって、異動で着任した広報官は畑違いの業務だった。朴訥(ぼくとつ)な性格で人と話すことも不慣れ。着任早々、上司に「自分にはこの業務は向いていない」と弱音を吐いたこともあった。

東日本大震災 救えなかった命を忘れず

 そんな時、東日本大震災(平成23年)の災害派遣が脳裏をよぎった。

 当時は家族を青森県八戸市に残し、仙台駐の130特科大隊に勤務していた。3月11日、週末の休みを利用して家族のいる青森に帰ろうとしていた矢先に地震が発生した。家族に電話もメールもつながらないまま、災害派遣に従事した。

 現地に到着すると、いたるところで遺体が見つかる凄惨な状況に言葉を失った。

 忘れられないことがある。「家屋のがれきの下に子供が取り残されている」という救助要請だった。すぐさま救助活動を開始すると、ランドセルを背負った子供が見つかった。だが、命を助けることはできなかった。青森に残した同年代の息子の面影が重なった。親御さんからの「見つけてくれて、ありがとう」という言葉が今でも胸に残る。

 無念の気持ちと同時に、この任務にかかわれたことを誇りに思った。

○  ○  ○

不器用だけど‥愚直に、誠実に

 「広報官の業務は訓練ではない。募集対象者の人生を左右する『実戦』だ」

 自らを奮い立たせ、気持ちを切り替えた。募集対象者と打ち解けるために、不器用ながらも共通の話題を探したり、食事に誘ったりするなど、良い関係を築くことを常に意識している。

 上司の城東地区隊長、齊藤3陸佐は三浦2曹を、「誠実で愚直に黙々と業務をこなす姿勢は、事務所内だけでなく、本部でも評価が高い」と評価する。

 齊藤隊長によると、今回の取材にあたり、地本の本部より地区隊から候補者推薦を求められ、迷うことなく三浦2曹を推したという。こうした人柄が「決定打」となったようだ。「東北出身で素朴な温かみのある性格。面倒見が良く、対象者のことを第一に思ってくれている」。齊藤隊長は改めて太鼓判を押した。

 大震災当時、小学生だった息子は、父の後を追うように自衛官の道を選び、今、陸士長として活動を続けている。「父の影響ですね」。そう聞くと、照れくさそうに、「それなら、うれしいですね」。その表情に人柄がにじみ出ていた。

―三浦2曹からのMessage 「広報官の業務は訓練ではない。募集対象者の人生を左右する『実戦』だ」


◆関連リンク
自衛隊 東京地方協力本部
https://www.mod.go.jp/pco/tokyo/

【連載】未来への「架け橋に」-広報官たちの思い
 ①神奈川地本
 ③熊本地本
 ④埼玉地本
 ⑤千葉地本


This article is a sponsored article by
''.