ブルーインパルスの快進撃(松島〜とちぎ国体)

 「3年ぶり」という言葉で紹介される今年の航空祭にあって、ブルーインパルスはその主役として快進撃の真っ只中だ。
 8月27日(土)、28日(日)の週末には、ホーム東松島市と松島基地において、東松島夏まつり・松島基地航空祭での二日連続での展示を成功させ、震災のみならずコロナ禍にも屈しない健在ぶりを示した。松島基地航空祭では、一般入場者が抽選となり人数制限もあった中、また天候不良で多くの展示飛行がキャンセルされた中、展示飛行を実施できたのは松島救難隊の救難ヘリUH-60Jとブルーインパルスのみであった。ブルーインパルスは限られた時間と悪天候の狭間で、限られた課目数で出来る限りの展示飛行を実施してくれた。このことは限界を正しく見極めたうえで諦めないことの大切さをファンに示してくれた。

画像: 松島基地航空祭にて雲間を縫って逆方向からの進入で実施されたデルタループ。

松島基地航空祭にて雲間を縫って逆方向からの進入で実施されたデルタループ。

 この快進撃の中、忘れてはならないのは、ブルーインパルスのメンバー全員が練成中に準備期間としての一年間、航空祭やツアーを経験することなく、いきなり本番を迎えていることだ。OBや経験者から話を聞くことはできるだろう。だが、ツアーを進めていく上での力加減や心の持ちようのコントロールはそれだけでは体得できない。いわば船の操舵には習熟しているが遠洋に出るのは全員が初めて、といった航海の最中のようでもあり、先の見えない流動的なスケジュールの中で目標を高く掲げ態勢を維持していくことは、決まった期日に向かって準備していくことよりどれだけ難しいことであっただろうか。

画像: 2022ブルーインパルスツアーマップ(作成・伊藤宣由)

2022ブルーインパルスツアーマップ(作成・伊藤宣由)

芦屋基地航空祭で辿り着いた1区分の空

 防府北で編隊連携機動飛行、千歳で3区分、松島で2区分と、天候事情で少しずつ展示区分を上げてきたブルーインパルスは、9月4日(日)の芦屋基地航空祭でやっとのこと、快晴下の1区分に辿り着いた。しかも、前席操縦者は全員福岡県出身であり、これは青森県出身の1番機OR/名久井朋之2空佐(飛行隊長)が福岡県出身の平川通3空佐(飛行班長)に舞台を譲ったとの見方もできるかもしれないが、台風11号が迫り来る中、あの晴れ空を引き寄せられたのは、平川3空佐ら福岡県出身操縦者6人の心と集まったファンの気持ちがひとつになったからではないか。

画像: 基本操縦課程の航空学生もブルーインパルスを見上げた。青空の中、星が微笑んでいるように見えた。

基本操縦課程の航空学生もブルーインパルスを見上げた。青空の中、星が微笑んでいるように見えた。

 芦屋基地航空祭の1区分でもう一つ印象に残ったのは課目構成だ。展示飛行も終盤に差し掛かる頃、6機でロールとループを打つ構成がある。ここに2016年の松島基地復興感謝イベントで初披露されたフェニックス隊形を組み入れ、デルタロールとフェニックスループとするのが最新の構成なのだが、この2課目をデルタロールとデルタループに揃えてきた。展示中盤には2010年のブルーインパルス創設50周年で初披露されたサンライズも実施された。このコンビネーションは2011年3月11日の九州新幹線全線開通記念行事のために芦屋基地に展開し、同日に起きた震災以降、芦屋基地にとどまらざるを得なかったブルーインパルスが松島基地に戻れないまま訓練を再開した時の1区分の構成なのである。

画像: 芦屋基地避難時期の課目構成を思わせるデルタループを実施した。

芦屋基地避難時期の課目構成を思わせるデルタループを実施した。

 この芦屋基地航空祭の後、平川3空佐にこの点を聞いたところ「しっかりと継承していきます」と力強い言葉が返ってきた。ブルーインパルスは今後もツアーのテンポ感のようなものを体得しながらどんどん展示精度を上げてくるだろう。聖火到着式よりこちら様々な困難を乗り越えてきたブルーインパルスの復活劇の行き着く先には、全てのフライトを中心となって引っ張っていく飛行班長・平川3空佐が描く新しい景色が待っている。今のブルーインパルスの見所はそこにどう辿り着くかにある。

画像: 1区分の展示飛行を終えた1番機・飛行班長の平川通3空佐と後列は機付整備員たち。

1区分の展示飛行を終えた1番機・飛行班長の平川通3空佐と後列は機付整備員たち。

日本中を飛び回るためのブルーインパルスの補助燃料タンク=増槽(ドロップタンク)

 北は北海道の千歳から南は沖縄の宮古島まで、ブルーインパルスは日本中を飛び回る。展示飛行の飛び方は様々で、芦屋基地航空祭のように芦屋基地に展開して芦屋基地で離発着する展示飛行もあれば、年度初めの越後高田城址公園のように、松島基地から離陸して飛んでいって、越前高田で展示飛行して、松島基地に戻って着陸する、というリモート展示もあった。一回の展示飛行でも飛行距離は実に様々だ。長い距離を飛ぶ時に、主翼の下に装着する補助燃料タンクを増槽(ドロップタンク)という。

画像: 主翼下に吊る下げられた増槽と吊るすための金具であるパイロン。(写真・吉田信也)

主翼下に吊る下げられた増槽と吊るすための金具であるパイロン。(写真・吉田信也)

 ブルーインパルスの使用する練習機T-4は写真のように主翼の下に増槽を取り付ける。戦闘機にも増槽があり、後述するトップガンマーヴェリック塗装機の主翼下にも黒い増槽が装着されている。決して爆弾ではないので誤解のないように(笑)
 戦闘機は日本の領空と防空識別圏をカバーして主に対領空侵犯措置といった防空任務で長距離を飛ぶために増槽を付けている。増槽はドロップタンクともいう。敵に遭遇し空中戦ともなれば、最大性能を発揮するために増槽を切り離して(ドロップして)闘う。増槽を切り離してしまえば航続距離も短くなるから、短時間で決着を付けて帰還しなければならない。
 こうした防空任務の他に、アラスカなどでの国際合同演習へ参加する際にも増槽を装着していく。この際には左右主翼の下に各1本と胴体の下にも1本付けて、合計3本もの増槽で飛んでいき、また経路途中では空中給油も受けて飛び続ける。

画像: 主翼下に増槽を装着したD2形態のブルーインパルスのT-4。通常この形態ではアクロバット飛行は行わない。(写真・伊藤宣由)

主翼下に増槽を装着したD2形態のブルーインパルスのT-4。通常この形態ではアクロバット飛行は行わない。(写真・伊藤宣由)

 練習機T-4が増槽を飛行中に切り離して空中戦に入ることはないが、遠くまで増槽を装着して展開し、展開先の地上で増槽を外して、最大性能を発揮できる形でアクロバット飛行を行うことはある。その他、離陸時に何らかのエンジンの不具体で重くて上昇できないような場合に、緊急手段として増槽を切り離して飛ぶという想定もあるようだ。それ以外にもブルーインパルスのT-4は胴体内のメインタンクの一部を間仕切りして、スモーク発生装置のためのスモークオイルタンクとして使っているので、本体のみでの航続距離がノーマルT-4に比べ若干短い。増槽は遠くへの遠征を確実に行うという意味でもブルーインパルスにとって重要な器具なのだ。
 以下は小松基地航空祭から西九州新幹線開業イベントへの連続展示に見られた増槽回りの特殊な運用を書いたものであるが、多分にマニアックな内容であるため読み飛ばして頂いて構わない。ブルーインパルスがこうした器具を駆使して多様な展示飛行とツアーを行なっていることを記憶の片隅に留めていただけたら幸いである。

パイロン装着のまま迎えた節目の小松基地航空祭

 9月19日(月・祝)の小松基地航空祭は、またもや迫り来た台風14号に開催すら脅かされたが、台風の進行が遅れたことと、コロナ禍で航空祭が午前中で終了する短縮プログラムであったために、風の強い曇り空ながら全ての展示飛行が実施された。
 ブルーインパルスは同じ週の9月23日(金・祝)に西九州新幹線(長崎〜武雄温泉)開業イベントを控え、増槽付きのD2形態(ドロップタンクx2本の飛行形態)で展開した。小松基地航空祭終了後に直接、西九州新幹線の長崎での展示のリモート母基地となる築城基地に展開するためだ。
 このふたつの展開を連結して行うために、ブルーインパルスは芦屋基地からD2形態で帰投した後、タンクのみを外し、接続部のパイロンを付けたまま松島基地での飛行訓練を継続したようだ。このパイロン装着形態は小松基地航空祭の展示飛行での形態であった。

画像: 小松基地航空祭ではパイロンを装着した形態でアクロバット飛行が実施された。主翼の中程にパイロンが出ているのがわかる。

小松基地航空祭ではパイロンを装着した形態でアクロバット飛行が実施された。主翼の中程にパイロンが出ているのがわかる。

 ドロップタンクとパイロンの脱着自体は芦屋基地への展開帰投でも行っており、経験がないとか難易度の高いといった作業ではない。だが、例えば同じ日にフライト毎に脱着するものでもない。
 パイロンにはドロップタンクを投下させるための仕組みが組み入れられている。それは重力に任せて自然落下させるものではなく、強制的に機体から切り離し、尾翼などへの接触によるダメージを防ぐためのものだ。パイロンには火薬のカートリッジが装着され、点火するための回路などが組み込まれている。そのための脱着時の点検作業はパイロンまで外すのとタンクだけ外すのとではだいぶ違ってくる。
 同一週のふたつの展開と展示を確実に遂行するため、小松基地航空祭ではパイロン装着形態での展示となったようだ。パイロンのみとはいえ、耐G制限や空気抵抗は微妙に大きくなる。元々燃費の落ちる低高度で飛ぶブルーインパルスであるが、さらには1パーセント単位でスロットルをコントロールするブルーインパルスにとっては、この抵抗も無視できないものだ。ドロップタンクそのものに比べれば小さなものだが、パイロンという抵抗を付けて飛行することは、アシンメトリー(左右非対称)にGが掛かる場合など、より細やかな操舵が必要になる。残燃料にもさらに気配りが必要になるだろう。これを2週間続けたことで、ブルーインパルスは何某かの丁寧さのようなものを体得しようとしたのではないか。
 小松基地航空祭では、このパイロン装着形態と離陸前の到着便待ちの数分間の燃料消費と相まって、課目構成を短縮しての1区分が実施されたが、展示飛行の精度という点でその効果が表れていたように思う。さらには、次の西九州新幹線を終えて、その次10月1日(土)、いちご一会とちぎ国体開会式(百里基地からリモート展示)においては、天皇皇后両陛下御臨席の快晴の空の下、クリーン形態(ドロップタンクもパイロンも外した形態をいう)に解放されたブルーインパルスの切れ味が、2課目という短い展示ながら、存分に発揮されていた。

画像: 小松基地航空祭では終了後に即座にドロップタンクを装着すべく列線にそれらが配列された。

小松基地航空祭では終了後に即座にドロップタンクを装着すべく列線にそれらが配列された。

ツアー終盤へ向けて気持ちを切り替えて

 今年の小松基地航空祭は、3年ぶりということに加え、ブルーインパルスファンにとっては特別な意味があった。今年1月、飛行教導群司令でブルーインパルス元隊長の田中公司空将補が小松基地から離陸直後の墜落事故で亡くなったその後の小松基地航空祭であったから、特別な追悼飛行などなくとも(既に3月12日に同事故で亡くなった植田竜生3空佐と共に葬送式が営まれ、いずれ航空観閲式などで決して少なくはない殉職者達と一緒にあらためて追悼飛行も捧げられるだろう)、ファンにとっては追悼航空祭であった。そのことに触れ、現隊長の名久井2空佐と小松基地友好応援団体「ハイフライト友の会」の会長で田中元隊長と交流のあった上出雅彦氏のコメントを添えて報じてくれたのは、同事故を丁寧に報じてくれた地元紙北國新聞だけであった。
 来年60周年となるハイフライト友の会は小松基地航空祭開催を陰ながら応援していた。縁あって上出会長と接する機会を頂いたが、航空祭や基地運営にとって近隣の基地友好団体が大きな役割を果たしていることを改めて感じされられた。

 小松基地航空祭はブルーインパルスの他、日本で唯一ファイターウェポン課程を有する第306飛行隊のトップガンマーヴェリック塗装機が話題となった。トップガンが米海軍のファイターウェポン課程であることから着想された記念塗装機であるが、同映画作品翻訳の戸田奈津子先生と翻訳監修の永岩俊道元空将がゲスト参加されたことで大いに盛り上がった。筆者が「9回観ました」とお伝えしたところ、最高は「107回観た方」が居られるそうだ。バッサリ返り討ちを喰らったわけであるが、そこにいた周りの人たちの中では最高であり何とか面目躍如した。

画像: トップガンマーヴェリック記念塗装機のF-15DJ(写真・今村義幸)

トップガンマーヴェリック記念塗装機のF-15DJ(写真・今村義幸)

 小松基地航空祭の後、西九州新幹線開業イベントで幻の2011.3.11九州新幹線全線開通の捲土重来を果たしたブルーインパルスのツアーは、今治、浜松、愛知、百里、宮古島と続く。イベントと航空祭が交互に来るが、イベントではどこに展開してリモート展示するのか、航空祭ではどれだけアクロ展示の精度を上げてくるか、楽しみな見所である。

文と写真:ブルーインパルスファンネット 今村義幸、伊藤宣由、吉田信也


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