厳粛な雰囲気の中、国葬が執り行われた(首相官邸HPから)

 【2022年9月30日(金)1面】

 安倍晋三元首相の国葬(国葬儀)が9月27日午後、東京都千代田区の日本武道館で営まれた。首相経験者の国葬は、昭和42年の吉田茂元首相以来55年ぶりで、戦後2例目。式には、現・元の三権の長、政党代表、現・元国会議員、都道府県知事らのほか、217の国・地域・国際機関などからの要人734人を含め、国内外合わせて4183人(政府発表)が参列した。一方、防衛省・自衛隊は約1390人の隊員が参加。安倍氏の自宅前や会場での「儀仗(ぎじょう)」のほか、「堵(と)列」「弔砲」などを実施。首相時代に長く自衛隊最高指揮官の立場にあった安倍氏に弔意を示した。

 澄み渡った青空がどこまでも広がり、おだやかな秋を感じさせる一日だった。通算8年8カ月、3188日。日本武道館は、憲政史上最長の首相在任期間という安倍氏の功績を偲(しの)ぶ参列者らの温かい気持ちに包まれていた。

 午後1時55分ごろ、安倍氏の遺骨を抱えた昭恵夫人が会場に到着。自衛隊の弔砲が響き渡る中で入場し、遺骨は式場の中央に置かれた。

8分間の映像に拍手も

 午後2時10分過ぎ、国葬が始まった。秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族7方が入場され、また、天皇、皇后両陛下、上皇、上皇后さまの使者4人が派遣された。

 葬儀副委員長の松野博一官房長官が開式の辞を述べ、自衛隊による国歌演奏、その後、1分間の黙とうと続いた。

 場内の大型スクリーンに映し出されたのは、安倍氏の国会での演説や東日本大震災の際の復興対応の姿などをまとめた約8分間の映像(政府が作成)だった。BGMには、安倍氏自らの大震災復興支援ソング「花は咲く」のピアノ演奏が使用された。

 会場は大きな拍手に包まれた。参列者は、リーダーとして日本のあるべき姿を全力で目指し、牽引(けんいん)しながら、道半ばにして倒れた安倍氏を偲んだ。

岸田首相「長さより達成した事績で記憶」

画像: 追悼の辞を述べる岸田首相(首相官邸ホームページから)

追悼の辞を述べる岸田首相(首相官邸ホームページから)

 その後、葬儀委員長の岸田文雄首相、細田博之衆院議長、尾辻秀久参院議長、戸倉三郎最高裁長官のほか、「友人代表」として菅義偉前首相がそれぞれ追悼の辞を述べた。

 安倍氏と当選同期で、安倍内閣では外務大臣などの要職を務めた岸田首相は、安全保障関連法の制定や外交活動などを挙げ、「歴史は、その長さよりも達成した事績によってあなたを記憶するだろう」とたたえ、その上で「あなたが敷いた土台の上に、持続的ですべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界を作っていく」と決意を述べた。

菅氏「真のリーダーだった」「本当に幸せだった」

画像: 菅前首相は友人代表として追悼の辞を述べた(FNNプライムオンライン-YouTubeから)

菅前首相は友人代表として追悼の辞を述べた(FNNプライムオンライン-YouTubeから)

 また、官房長官として7年8カ月にわたって安倍政権を支えた菅前首相は、銃撃事件当日、真っ先に病院に駆け付けたことや、自民党総裁選への再出馬をためらっていた安倍氏を銀座の焼き鳥店で3時間にわたって口説いたことを明かした。

 そして、遺影に向けて「総理」と何度も呼び掛け、「あらゆる苦楽を共にした。本当に幸せだった。あなたは、わが国日本にとっての真のリーダーだった」と偲んだ。

米副大統領ら列席

 その後、両陛下と上皇、上皇后さまの使者が拝礼し、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方が供花され、岸田首相、喪主、遺族、三権の長、海外の要人らが次々と献花した。

 式には、元職を含む国会議員700人以上、経済界など各界から1千人以上が出席したほか、国外からは米国のハリス副大統領らが列席した。

 この日は国葬に先立ち、日本武道館近くの九段坂公園に一般向けの献花台が設置され、予定時間を約30分早めて午前9時半から献花が始まった。千鳥ケ淵側の入り口には、早朝から献花する人の長い列ができ、2万5889人(政府発表)が献花した。

 

防衛省・自衛隊1390人が協力

 防衛省・自衛隊は、9月27日の安倍元首相の国葬にあたり、当日、さまざまな形で協力した。

画像: 防衛省では半旗が掲げられた(防衛日報社撮影)

防衛省では半旗が掲げられた(防衛日報社撮影)

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自宅前・会場では儀仗

 安倍氏は首相在任中、集団的自衛権行使を容認する閣議決定や安全保障関連法の施行など、自衛隊の積極活用に取り組んだ。こうしたことを考慮したとみられている。

 防衛省によると、国葬で中心となる部隊は、陸自で1都6県を担当する1師団。このほか、海自や空自の隊員、防衛大学校、防衛医科大学校の学生からも集めたといい、計約1390人が参加した。同じ日本武道館が会場となった平成19年の宮沢喜一元首相の内閣・自民党合同葬を踏襲したという。

 午後1時25分ごろ、後部座席の昭恵夫人が安倍氏の遺骨を持った柩(きゅう)車が東京都内の自宅を出発した。この際には、海自隊員ら約20人で儀仗(ぎじょう)を行い、見送った。

画像: 安倍元首相の自宅前で海自の儀仗隊員らが整列した=東京・富ケ谷(日テレNEWS-YouTubeから)

安倍元首相の自宅前で海自の儀仗隊員らが整列した=東京・富ケ谷(日テレNEWS-YouTubeから)

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 その後、柩車は遺族の意向により、日本武道館に向かう前、防衛省を経由した。

画像: 防衛省の儀仗広場で柩車に敬礼する隊員ら=東京・市ケ谷(代表撮影)

防衛省の儀仗広場で柩車に敬礼する隊員ら=東京・市ケ谷(代表撮影)

 柩車が通過する庁舎前の儀仗広場には、井野俊郎防衛副大臣をはじめ、内局職員や陸海空の自衛隊員ら約800人が参列。防衛省によると、参列は指示ではなく、希望者を募って集まったという。

 午後1時47分。儀仗広場に柩車が到着すると、参列した隊員は一斉に敬礼、職員は一礼をして見送った。柩車は職員らの前をゆっくりと通り過ぎると、広場で一度Uターンをし、再び職員らの前を通過して儀仗広場を後にした。

 約2分弱の時間だったが、生前、安全保障政策に尽力した自衛隊の最高指揮官は、職員らの弔意と感謝の思いの中、静かに見送られた。

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弔意込め秋空に19発

 午後1時55分ごろ、車が式場に到着。武道館がある北の丸公園内で105ミリ榴(りゅう)弾砲を使って空砲を撃つ「弔砲」を行った。

 弔砲を担ったのは、北富士駐1特科隊(山梨県)。1発目は車が到着したタイミングで、20秒間隔で計6分間行った。弔砲は昭和42年の吉田茂元首相の国葬、栄誉礼などの実施要項に準じて前例を踏襲し、19発にしたという。

 また、陸自の302保安警務中隊と中央音楽隊による「特別儀仗隊」が、車が到着した際や会場内で儀仗を実施した。

 会場付近の沿道には、自衛隊員が等間隔に並んで敬礼する「堵(と)列」が、北の丸公園内の科学技術館付近から武道館の玄関口まで数百メートルにわたったほか、音楽隊による「奏楽」を実施した。

【フォトグラフ】安倍元首相に弔意を示した防衛省・自衛隊

画像: 会場付近の沿道で行われた自衛隊による「堵列」 【LIVE】安倍元首相国葬 - FNNプライムオンライン(YouTube)から

会場付近の沿道で行われた自衛隊による「堵列」

【LIVE】安倍元首相国葬 - FNNプライムオンライン(YouTube)から
画像: 北富士駐1特科隊による「弔砲」。105ミリ榴弾砲を使った19発の空砲が放たれた 【LIVE】安倍元首相国葬 - FNNプライムオンライン(YouTube)から

北富士駐1特科隊による「弔砲」。105ミリ榴弾砲を使った19発の空砲が放たれた

【LIVE】安倍元首相国葬 - FNNプライムオンライン(YouTube)から
画像: 「奏楽」の任を務めた陸自中央音楽隊 【LIVE】安倍元首相国葬 - FNNプライムオンライン(YouTube)から

「奏楽」の任を務めた陸自中央音楽隊

【LIVE】安倍元首相国葬 - FNNプライムオンライン(YouTube)から
画像: 特別儀仗隊が空に向けて弔銃を行い、かつての自衛隊最高指揮官に弔意を示した 【LIVE】安倍元首相国葬 - FNNプライムオンライン(YouTube)から

特別儀仗隊が空に向けて弔銃を行い、かつての自衛隊最高指揮官に弔意を示した

【LIVE】安倍元首相国葬 - FNNプライムオンライン(YouTube)から

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