半藤一利(はんどう・かずとし)、という作家さんをご存じでしょうか。

 恥ずかしながら私はこの場所に来るまで知らなかったのですが、いざ永遠の図書室内の図書を整理していると、かなく多くの場所でその名を目にするのです。このコラムでも以前、第29話「戦地・ノモンハン」にて「ノモンハンの夏」を紹介させていただきました。
 半藤氏の著作といえば「日本のいちばん長い日」が有名ですね。こちらの作品は「日本の一番長い夏」というタイトルで映画化もされたので、ご覧になった人も多いのではないでしょうか。 

 これは完全に余談なのですが、この映画で今村均役を富野由悠季氏が演じたそうで。これを書いている時に絶対に出ないであろう名前を見かけたので、ついまじまじと見てしまいました。どんな演技だったんだろう………

昭和史に関する人物論・史論を多く執筆

 ということで今回は半藤氏の著作を紹介していこうと思います。
 まず一冊目はこちら。

「コンビの研究 昭和史のなかの指揮官と参謀」

 帯に書いてある通り、リーダーの姿や昭和史の中に置いての軍という大きな組織の中にいた指導者の姿を見ることで現代の仕事にも生かす……といった雰囲気ですが、いわゆるビジネス書というわけではありません。確かにそういう目で見れば得るものがあると思うのですが、もう少し肩の力を抜いた読み方もできると思うのです。

 そう、皆さまは「コンビ」というものはお好きでしょうか。

 古今東西、「このコンビならなんだってできる」あるいは「なぜこのふたりが組んでしまったんだ」、「相性がすこぶる良い」「天地がひっくり返っても合わない価値観」などなど、人間がふたりそこにいて何かを成す時、コンビというものは生まれるのです。このコラムをお読みの皆さんも、きっと思うところのある二人組がいたりするのではないでしょうか。
 しかしそこは昭和史、そして軍という巨大組織。成功もあれば失敗もあり、ままならない部分もあるというもの。指揮官と参謀、そんなふたりの行動と決断、それらがもたらしたものについて、彼らの人柄に触れながら描写されていきます。
 人は単体でも面白いものですが、誰かと組むことで別の面白さが生まれる場合もあります。
 板垣征四郎と石原莞爾、服部卓四郎と辻政信、山本五十六と黒島亀人、米内光政と井上成美など、14組のコンビたち。読みやすくもあるので、「コンビ」という概念がお好きな方にはうってつけの一冊です。ラストに「天皇と大元帥」という項目を持ってくるのがまた良い。

 さてさて、次に紹介するのはこちら。

「B面昭和史 1926▶1945」

 ちょっと帯にある文章を見てみましょう。

 政府や軍部の動きを中心に戦前日本を語り下ろした『昭和史 1926-1945』(=A面)と対を成す、国民の目線から綴った”もうひとつの昭和史”

 なるほどつまりA面とB面、さながらカセットテープが如くどちらも読むことで立体的になるのですね。面白い仕組み。
 今回はあえてB面の方を紹介させていただくのですが、もちろん図書室にはA面であり、戦前から終戦までを詳細に書いた「昭和史 1926▶1945」、戦後からスタートし、東京裁判、オリンピック、そして現代へと繋がる「昭和史 1945▶1989」もございます。A面を読んでからB面、そして1945▶1945に行くもよし、あえて逆行するもよし、先に1926年から1945年の日本の姿を見てから次の世代に行くもよし。ということで、併せてどうぞ。

 さて、内容は先ほど述べた通り。昭和史の流れを一般的な面から追うというコンセプトでお送りする本書。プロローグもあの光文事件(※)から始まります。

 ※光文事件……大正の次の年号を間違えて「光文」と報道してしまった事件。

 最終決定案が漏れて急遽変えたというよりも、どこかで漏れた候補のひとつに記者が飛びついたのだそう。そういえば令和の時も色々予想されてましたね。

 改元から始まり、流行語、エロ・グロ・ナンセンス(著者いわく「どことなくやけくそ半分のユーモラスな空気」)などなど、おもしろさの部分が小気味よく語られていくので、かなり分厚い本ですがスイスイと読むことができます。昭和5年の女子高生への「理想の旦那さんの条件は?」なんてインタビューもあり、かなり細部まで楽しむことができます。
 もちろん、おもしろさだけではなく昭和の陰の部分にもきっちり言及しています。芥川龍之介の自殺や(「将来に対する唯ぼんやりとした不安」、なんとなくわかります)、不景気をはじめ、戦時下の日本の様子やその中の報道など。

 特に個人的に見ごたえがあったのが「大いなる転回のときーー昭和十一年」ですね。なんと二・二六事件の民衆たちの視点、阿部定事件、前畑がんばれ、など見慣れたテーマが並びます。よく知っているものでも、別の視点から見るとまた別の面白さがありますよね。また本書では語られていませんが、この年は上野動物園から黒豹が脱走する事件もありましたね。昭和十一年、波乱すぎない?

 ちなみにこの中で印象に残る部分があったのでご紹介。

 『生等いまや見敵必殺の銃剣を提げ、惜年忍苦の精進研鑽を挙げて悉くこの光栄ある重任に捧げ、挺身もって頑敵を撃滅せん。生等もろより生還を期せず』
 この『生等もとより生還を期せず』は、当時の老若男女の心に深く響き、われら中学生の間にも浸透して流行語となる。いまも記憶する人が多いであろう。
 こうして褒めあげられ激励されて出陣した多くの若き勇者は、往きて還らず、空しく消えた。
もういっぺんくり返す、『今どきの若いものは』と、若ものの値段が安いときほど、平和なのである、とつくづく思う。

 これは目から鱗というか、このフレーズが出始めたのって戦後からなんですね。
 闘う兵士として大事にされ、散っていったら持ち上げられる若者たち。確かにその価値を高く持ち上げれば持ち上げるほど、待っているのは悲劇的結末です。
 そうなると「今どきの若いものは」、ある意味ではまじないのようなものなのかもしれません。その価値を周りが高めて利用しないための………まあ、若者からしてみればたまったものではないというか、そもそも勝手に価値をつけるな、という感じではあるのですが。(個人の意見です)

 また、こちらの敗戦から憲法の誕生について書かれた「日本国憲法の二〇〇日」という本があるのですが、この中の章のひとつに「真相はかうだ」の章があります。

 「真相はかうだ」はドキュメンタリー形式のラジオ番組なのですが、半藤氏にとってこの番組はまさにリアタイで聴いていたもの。戦中に隠されてきた日本人のしてきたこと(バターン死の行進や南京大虐殺など)をひたすら聞かされるという内容なのですが、今まで全く違う視点から戦争の報道を見てきた側からすれば敗戦国というのも相まって、より過去の体制を憎み恥を感じてしまうのではないでしょうか。

 実際半藤氏も「こうやってGHQの宣伝戦術によって、日本人がうまく導かれ、アメリカのいうことは正しく、過去の日本はうさんくさく虚偽で固めた國であり、すべての責任は『軍閥』にあり、と信じるようになっていったことだけは、はっきりこの目に見たと記しておきたい」と記述しいます。自虐史観のスタートって、多分このあたりなのでしょうね。

 で、わざわざこれを取り上げたのは意味がありまして。なんと当館、「真相はかうだ」の再録本があるのです。こちら第二号なのですが、前述した死の行進についての記述もあります。「二〇〇日」をお読みの方は、こちらの「真相はかうだ」も一緒に読むと、より当時の日本人の感情が追体験し、「二〇〇日」の記述の深みが増すかもしれません。

 いつもより多く紹介したような感じを覚えたところで、それではまた次回。

アクセス

画像4: 永遠の図書室通信 第37話「著者 半藤一利」

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