前回「著者 豊田穣」回の書き出しは、戦陣訓について触れたものでした。

 この戦陣訓、軍隊の中では毎日奉読させられていた所があったり(今でいう社訓を毎朝読む感覚なんでしょうか)、逆に全然使われていない所があったり……その浸透度は深い所では深く、浅い所では浅く。信じる者、利用する者、そして否定する者など様々だったのだそう。この時代の日本はわりと一致団結一枚岩なイメージが強めですが、別にそういうことはありません。戦陣訓もまた、特別持て囃されて受け入れられていたわけでは無いのです。

 さて、時に昭和十八年のことです。当時中国戦線にいた一人の青年もまた、戦陣訓を受け取りました。そうして読み終わったのち青年は、たいそう腹が立ちビリッビリに破いて足で踏みつけました。いったい青年はどのポイントが許せなかったのでしょうか。
 以下、その時の青年の言葉です。

『戦陣訓』はきわめて内容空疎、概念的で、しかも悪文である。自分は高みの見物をしていて、戦っている者をより以上戦わせてやろうとする意識だけが根幹にあり、それまでの十年、あるいはそれ以上、辛酸と出欠を重ねてきた兵隊への正しい評かも同情も片末もない。道場までは不要として、理解が無い。それに同項目における大袈裟をきわめた表現は、少し心ある者だったら汗顔するほどである。筆者が戦場で『戦陣訓』を抛ったのは、実に激しい羞恥に堪えなかったからである。このようなバカげた小冊子を、得々と兵員に配布する、そうした指導者の命令で戦っているのか、という救いのない暗澹たる心情を覚えたからである。

 ひどい言い様に見えますが、一人の現場の人間として考えると現代に生きる私たちも、なんとなく理解できるのではないでしょうか。ちなみにこのあとも「戦陣訓からは人間的なものが失われている」「愚書以外に言葉が出ない」(要約)と続きます。

 このように、自決や玉砕に導き、いざ捕虜になった時思うような対応ができない、などの悪影響を及ぼした戦陣訓。しかし中には石原莞爾のように、「いやこれはだめだろ」と思う人間だっていたのです。

 そしてその青年というのが、今回紹介する著者・伊藤桂一氏なのです。

直木賞作家・伊藤桂一氏の作品

 先ほど紹介した、戦陣訓を読んだときの強烈な批判が載っているのがこの「兵隊たちの陸軍史」

 前述したように、著者である伊藤氏は紛れもない戦争経験者。そんな一兵士による軍隊の内部・その生活について書いたノンフィクションとなっております。その内容は軍隊の誕生から兵営生活について、兵隊の戦史、戦場での生活などなど、主に著者が経験した日中戦争の中を生きた兵たちの詳細が書かれています。
 あまり他の本では触れられない内務生活についても詳しく述べられており、兵が日々、どんなことを考え、どんな暮らしをしていたのか?という面が知りたい人にはうってつけの一冊と言えるでしょう。作品を書く人にとってはかなり良質な資料となるかもしれませんね。
どんな生活をしていたかは読んでからのお楽しみですが、技能会(宴会)や面会について、郵便についてやその給料、休日、貯金など、「そんなに教えていただいていいんですか!?」と情報がどんどん出てきます。

 ちなみに、戦争関連の書籍や作品等で、敗戦が伝えられた時の反応といえば何を思い浮かべるでしょうか。よく玉音放送を聞いて泣いている市民の映像を特集などで見ますが、このあたりもまた先ほどと同じく全員同じ反応をしていたわけではありません。伊藤氏は敗戦についてこう語っています。

 「正直にいって、敗けたーーーときいたとき、電撃的に身に覚えた感慨は、決して悲壮なものでも立派なものでもなく、きわめて私事的で滑稽な『ザマみろ』といった想いだったのである。そうしてそれにつづく『これで軍隊はなくなったのだ』という、天にものぼる心地の、解放感であった。」

 戦陣訓といいこの反応だったり、良い意味で当時の思想や空気に染まりすぎていないと言いますか。それとも、戦地で現実を見たからこそと言いますか。なんとなく伊藤氏の感覚は、人間的で若者的だなあ、と思うのです。いや、実際当時は若者なので間違ってはいないと思うのですが。いいですね。私はこういう個人が個として在るのが大好きです。

 次にご紹介するのはこちら。「犬と戦友」

 カテゴリは私小説の短編集。
 先立つ戦友たちとその記憶と同時に、飼っている九官鳥の看取りを語った「落鳥」、狆の世界と小さな「竹千代」という犬について書かれた「預かり犬」、全七編の短編が収録されています。
どの作品もある種の寂しさのようなものが漂っているのですが、それでも読んでいて落ち込む、という作品ではありません。

 淡々と流れていく日常の描写は、あまりにも今を生きる我々にとっても身近な「人生」をうまく書いていると思わされるのです。漂う寂しさの中でそれでもページを捲るのは、文体の自然さと親しみのある雰囲気に惹きつけられるからに違いありません。

 また、「犬と戦友」のタイトルからお察しのように、作中には九官鳥や狆をはじめとした犬、猫など動物の出番があるのも魅力の一つ。犬が人間に添ってくれるように、猫がいつの間にかそばにいるように、この小説もまたそっと横に在るような心持ちにさせてくれるのです。

 また、伊藤氏といえば第29話「戦地 ノモンハン」にて「静かなるノモンハン」を紹介させていただきました。結構最近の記事なので、覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
実は「戦地 インパール・ビルマ」でもご紹介こそしそびれてしまったのですが、「遥かなインパール」という戦場小説も置いてあります。著者コーナー以外にも、色々な場所に伊藤氏の本があるのです。執筆の幅広さを感じますね。

 最後にご紹介させていただくのは「かかる軍人ありき」(全)。

 戦中はこれでもかというほど戦争そのものや軍人を賛美してきました。戦争が終わると手のひらを返して批判につぐ批判……というもので、何年たっても社会というものは手のひらをくるくるさせるものです。
 この「かかる軍人ありき」は、あとがきいわく「美談を書いたもの」とされています。しかしやりすぎな賛美などではけしてなく、どちらかというと戦場という特異な場所でそれでも背筋を伸ばして生きた、りっぱな「人間」の姿を描いた短編集です。軍人さんだって人間です。十把一絡げに「軍人とはこういうもの」ではなく、軍隊に個人と個人と個人がいたのです。戦後から悪く言われがちな軍というものの個を見つめて、それを磨いてお出しされるとつい嬉しくなってしまいますね。

 ちなみに短編集と書いたものの、実はすべて実録からなる小説。読んでいるうちに「本当にこういう人がいたのか………」としみじみ思ってしまいます。十六編、全489ページ(※文庫版)というかなり厚い本ではありますが、一本一本は大体20~30ページと読みやすい長さでございます。もちろん一気に読むのもいいですが、何かと忙しい現代社会なので、ゆっくりキリよく読むのをお勧めいたします。

 個人にきちんと焦点を当てている点も素敵で、著者自身の考え方や文体も魅力的。エッセイ・私小説から入るもよし、今回はご紹介しませんでしたが、小説や詩も書いている人でもあります。色々な窓口から、ぜひ伊藤作品に触れて見るのはいかがでしょうか。

アクセス

画像4: 永遠の図書室通信 第36話「著者 伊藤桂一」

永遠の図書室
住所:千葉県館山市北条1057 CIRCUS1階
電話番号:0470-29-7982
営業時間:13時~16時(土日祝のみ17時まで) 月火定休日
システム:開館30分までの滞在は無料、それ以降は一時間ごとに500円かかります。
駐車場:建物左側にあります、元館山中央外科内科跡地にお停めできます。
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