注)本記事は、小河正義ジャーナリスト基金助成金を受け、ブルーインパルスファンネットの調査研究部会の活動として、航空ファン誌の航空祭記事などでご記憶の方もおられるかと思いますが、サイエンスコミュニケーションの研究者やカメラマンとして活躍された藤吉隆雄氏により作成されたものです。不明点は継続して調査を進めますので、当時の資料や記憶がある方はぜひご連絡ください。
(注・ブルーインパルスファンネット 管理人 今村義幸)

 ブルーの祝賀飛行は、大規模行事のキリが良い周年記念の際に実施されることが多い。今年2021年度の数少ない展示飛行でも、4月22日(木)のとなみチューリップフェアは70周年記念大会だった。

 ブルーの記録を振り返り、同様な周年記念行事での展示飛行を探してみると、F-86F時代の1967~68年に参加した明治100周年記念式典がある。とはいっても東京で行われた中央記念式典で飛んだのではない。全国で行われた地方式典のうち、明治維新に縁が深い会津若松と鹿児島で祝賀飛行をしている。月刊航空ジャーナル1977年11月号の「ブルーインパルス物語」連載第20回には「昭和43年は、明治100年に当たっていた。あっちでもこっちでも記念祭が開かれ、その“目玉”にとブルーインパルスの展示飛行依頼が殺到した。」とある。では、今から53年前の明治100周年式典でのブルーはどのように記録されているだろうか。

新聞での1文しか痕跡が見つからない会津若松の百年祭でのブルー

 まず、会津若松市での明治百年祭では1967年9月22日(金)に展示飛行をしたとリストに記録されている。この明治戊辰百年記念式典には秩父宮妃殿下が参列し、1700人が参加したという。当日9月22日は式典の当日であり、やはり明治100周年記念として行われた会津博覧会の会期中であった。さらに、毎秋恒例の会津まつりの初日でもあった。この3つの行事が交差するメインイベントの日にブルーを招聘したということであろう。

 全国紙(朝日、読売、毎日新聞)の福島版、地方紙(福島民友、福島民報)、地域紙(会津魁新聞、会津毎夕)で3行事の記事を調べてみたところ、1967年6月22日付の福島民友(当時は宮城県でも発行発売していたので、一時的に「民友新聞(福島)」との名だった)の夕刊にブルーの飛行と思われる記述を見つけた。

❝会津博覧会場は、朝八時に会場地元の婦人会、小中学生、神奈川県の警察学校生が多数つめかけ、剱木文相、木村知事の見学、航空自衛隊によるジェット機の低空飛行が行われるなど、にぎわいをみせている。❞

画像: 1967年6月22日付夕刊の福島民友に載る会津博の記事。「多彩な催しズラリ」の見出しの記事前半に「航空自衛隊によるジェット機の低空飛行」との文字が見える。この記述しか会津若松でのブルー飛行の痕跡は見つからない。

1967年6月22日付夕刊の福島民友に載る会津博の記事。「多彩な催しズラリ」の見出しの記事前半に「航空自衛隊によるジェット機の低空飛行」との文字が見える。この記述しか会津若松でのブルー飛行の痕跡は見つからない。

 会津博の会場は鶴ヶ城天守閣を中心として城跡全体であったので、城の上空をブルーが飛んだと思われる。しかし、会津若松でのブルーのフライトと思われる記述は、この記事のこの1行しか発見できない。写真も全く見つからない。福島民友に載る会津博覧会の他の記事では、プロペラ機(シルエットからみて空自のC-46輸送機のようだ)の編隊飛行やヘリコプターの体験搭乗の様子が天守閣を入れ込んだ構図での情景写真として載っている。つまり、当地に航空機を撮影できる技量を持つ新聞記者がいなかったわけではない。この状況でブルーの写真が残っていないとなると、この会津でのブルー飛行はフライバイ1航過だったためにワンチャンスの撮影機会で失敗してしまったのであろうか。では、他の史料はどうかと会津若松市が発行している広報誌「会津若松市政だより」を見ても、明治戊辰百年祭や会津博覧会の報告記事が載ってはいるが、やはりブルー飛行と思われる記述はない。

記事が豊富な鹿児島の百年祭でもブルーの写真は2点のみ

 対して、1968年4月6日(土)の鹿児島での明治百周年式典での飛行は、前述の月刊航空ジャーナル1977年11月号に詳しい経緯説明がある。西郷隆盛が最後を遂げたという会場西側の城山と、狭い海を隔てた会場東側にある桜島の御岳との間の窮屈な空域で展示飛行だった。ショーセンターは鹿児島市街地にほど近い鴨池陸上競技場である。すぐ北に隣接する体育館で式典が行われ、その後にマスゲームが競技場で行われた際にブルーが登場したようだ。

 この展示飛行のために、T-33練習機に乗って当時のブルーの編隊長である原田実とソロ機の佐藤清一(清市との資料もあり)が事前に現地に下見に行ったという。その際に得た地形情報をもとに変則の展示飛行パターンを3日間にわたって伊良湖海岸(ブルーの訓練空域)で練習してから現地に飛んだというから、その苦労が想像できる。

画像: 月刊航空ジャーナル1977年11月号にのる鹿児島での展示飛行の空域図。現在のT-4ブルーの祝賀飛行でも8の字パターンは使われるが、ここまでの変形8の字ではない。

月刊航空ジャーナル1977年11月号にのる鹿児島での展示飛行の空域図。現在のT-4ブルーの祝賀飛行でも8の字パターンは使われるが、ここまでの変形8の字ではない。

 この鹿児島での式典には皇太子夫妻が出席し、会津よりも盛大だったようだ。会津若松の明治百年祭に比べて新聞記事も格段に多い。しかしながら、全国紙(朝日、読売、毎日新聞)の鹿児島版、地方紙(南日本新聞、鹿児島新報)の記事には全くブルーの展示飛行に関する言及はない。唯一発見できたのは、幸運なことに写真であった。1968年4月7日(日)付の鹿児島新報には鴨池陸上競技場上空でスモークを引いて飛ぶブルーの写真が載っている。とても近い距離感のローパスが迫力ある構図の写真として載っており、とても印象的である。背景に写っているのは当時には隣接していた旧鹿児島空港の格納庫のようだ。肝心のブルーは、参照した新聞記事マイクロフィルムが不鮮明でその体形は判然としない。

画像: 鹿児島新報に載る86ブルー。マスゲーム会場に進入時と思われる。手前に鯉のぼりの一部が写っており、高い位置から撮影しているのがわかる。4機ダイヤモンド編隊にも見えるが写真が不鮮明で判然としない。

鹿児島新報に載る86ブルー。マスゲーム会場に進入時と思われる。手前に鯉のぼりの一部が写っており、高い位置から撮影しているのがわかる。4機ダイヤモンド編隊にも見えるが写真が不鮮明で判然としない。

 対して、前述の月刊航空ジャーナルには桜島を背景に飛ぶブルーの写真が載っている。編隊ループの引き起こしシーンだという。事前に空中から現地を確認した原田・佐藤の会話によると、桜島の山腹を急旋回で入ってもループのファイナルが2マイルしかとれないと言っている。そのため、ずいぶんと観客に近い位置からループを始めているようだ。そして民家の上にかからないように、演目が終わるとすぐに会場を南に離脱したと航空ジャーナルの記事にある。

画像: 航空ジャーナルでは桜島バックの読者投稿写真が載っている。撮影者が書いていないのが残念なところだ。地面がカーブにそって濃さが違って見える。鴨池陸上競技場のトラック上から撮っているのだろうか。

航空ジャーナルでは桜島バックの読者投稿写真が載っている。撮影者が書いていないのが残念なところだ。地面がカーブにそって濃さが違って見える。鴨池陸上競技場のトラック上から撮っているのだろうか。

公式記録に残らず事前訓練のみだった鹿児島の明治150周年式典

 現在のブルーは、航空自衛隊の滑走路がある基地以外では原則としてアクロバット飛行はしていないが、当時は窮屈な空域でもなるべくアクロを披露しようと運輸省(現在の国土交通省)に空域許可を取っていたようだ。鹿児島の展示飛行で編隊長として飛んだ原田は、当時行われていた祝賀飛行でのアクロバット展示について、月刊丸の2002年9月号で次のように述べている。

❝現在はブルーインパルスの展示飛行は、フライバイ(上空通過)を除いて、飛行場上空だけでしかおこなっていない。しかし、当時は飛行場上空だけでなく、競技場上空や記念式典会場上空などいろいろな所でもやっていた。現在は展示飛行の前日、地形慣熟もかねて現地で予行飛行をおこなっている。いいことである。
 しかし、当時は特殊な例(札幌市の北海道開拓一〇〇年記念祭)を除いて、そんなことは一度もなかった。(後略)❞

 月刊航空ジャーナルの記事からも、鹿児島での明治百周年式典はループを含むアクロバット飛行であったと読み取れる。しかも現地での事前訓練なしに披露していたようだ。

 この明治百周年式典から50年を経て、2018年5月には鹿児島で明治150周年式典が行われた。そこでもT-4ブルーの展示飛行が予定されていたが、5月25日(金)の事前訓練で飛行したのみで、翌26日(土)の本番は雨天中止となってしまった。50年の時を経て鹿児島の明治周年式典に再登場する予定だったブルーの記録は、公式展示飛行リストには残らなかった。しかし、事前訓練でブルーを目撃した鹿児島の人も多かったことだろう。

 会津若松と鹿児島での明治100周年式典という同種行事で飛んだブルーのことは、もっと多くの記録が残っていてほしい。式典参加者も見つけたい。また、50年の時を隔てた鹿児島での2回の明治周年式典でのブルーを両方目撃した人はいるだろうか。その二度の衝撃の記憶は、ぜひとも聞いてみたいものだ。

(文・ブルーインパルスファンネット 調査研究部会 藤吉隆雄)


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