はじめに

 こんにちは。生活密着型ママ防災士セイコです。

 現在、このような形で防災コラムの投稿などをさせていただいている私ですが、10年前までの防災意識は希薄で、まさか自分が防災をテーマにした活動に踏み出すようになるとは想像もしていませんでした。
 ところが、あの日を境に急展開、この10年間で子どもたちと一番多く遊びに行った施設はおそらく「防災センター(防災館)」というほど、子どもと共に防災を学び考える暮らしが当たり前になりました。

 今回は、私に何が起きたのか、そしてその後の経験を、主に子育てに携わるみなさんにお話しするつもりで書きました。

その時、なにが起きたのか

 2011年3月11日、東北地方で大地震が発生したとき、私は震源から離れた神奈川県で揺れを感じました。その時間はちょうど次男を幼稚園に迎えに行った帰り道。3児の母のよくある1日で、2歳の娘をベビーカーに乗せ、ちょこまか動く4歳児と車道の車や自転車に気を遣いながら自宅に向かっていました。

 揺れに気づいたのは体感よりも景色。電柱が左右に振られていて、電線が大きく揺れ、建物から次々と人が飛び出してくる。見たことのない光景でした。
 地震が起きたら机の下にもぐる! それは子どもの頃、学校の防災訓練で何度も練習しました。では、今はどうする? 左には車道、右には年季の入った雑居ビル。狭い歩道でベビーカーと幼児の手を掴んでいるので精一杯。隠れる机が用意されていない場所で、私はどこに隠れれば良い? 恥ずかしながら私は一瞬で混乱してしまい、ただその場で次男の手を引いて右往左往するばかりでした。
 ビルから飛び出してきた方が、このビルは古くて危ないから!と私たちを車道の向こう側の駐車場に誘導してくれて、そこでやっと私は状況を把握することができたのです。

 地震発生時、小3の長男も下校時で私たちの数百メートル後ろを歩いていました。合流し「怖かったね、大丈夫だった?」と尋ねると、長男は胸を張って言いました。「びっくりしたけど大丈夫だったよ。あそこの塀にしっかり掴まってたから!」
 あそこの塀というのは、少し歪んだ古い古いブロック塀です。私はくらりとしました。ブロック塀なんて地震で崩れるかも知れないのに。自分の頭の中では分かっていたけれど、実際に息子に「ブロック塀からは離れなさい」と教えたことは、それまでありませんでした。

 みんな無事でしたが、私の心は打ちのめされていました。地震の驚きもありましたが、何より私が、子どもたちを守る適切な判断と行動ができなかったことにショックを受けていました。私はお母さんなのに、子どもたちを守れない!
 私の経験上では最大の揺れでしたが、震度にして4。近年頻発する地震を考えると、大した揺れではありません。震源近くでは最大震度7を記録した大地震。私が暮らす地域は、さまざまな要因から震度4で済んだわけですが、要因次第ではもっと大きく揺れたかも知れません。もしそうだったら、私と子どもは果たしてどうなっていたのでしょう。

画像: 東日本大震災の3年後、阪神淡路大震災を知る親子旅へ。津波の高さを見あげて言葉を失う。(兵庫県 人と未来防災センター)

東日本大震災の3年後、阪神淡路大震災を知る親子旅へ。津波の高さを見あげて言葉を失う。(兵庫県 人と未来防災センター)

子どもを守れる親にならなくては

 子どもを守れる親にならねば、と防災を意識して勉強し始めると、いかに自分が自分の暮らす土地の危険度を知らないまま暮らしてきたかが見えてきました。
 
 そもそも私の実家は、ひとたび津波が起きれば完全に水没する地区にありました。けれども津波から逃げるルートも知らぬまま、のんきに数十年暮らして来たのです。私が何事もなく育ち大人になれたのは、まだこの土地に大地震や津波が起きなかったから。たまたま、それだけのこと。私は命の危険と肩を並べて暮らしつづけていることに気づいてもいなかった、そんな恐ろしい事実を、この数年でやっと認識したのです。

 はじめは、母として我が子を災害から守るための防災意識で防災士の認定を受けるなどしてきましたが、時を経て、子どもたちに防災を教えることの重要性を強く感じるようになりました。私が常に子どもの側でガードし続けることは不可能です。子どもは子どもなりに自力で自分を守れるようにならないと。そこに導くことこそが、親が子どもを守ることの目標点なのでは?と思うに至りました。

画像: 被災のイメージを実寸大で。(東京都 東京臨海広域防災公園 そなエリア東京)

被災のイメージを実寸大で。(東京都 東京臨海広域防災公園 そなエリア東京)

子どもが防災を学ぶこと

 日本はこれまでもこれからも、ずっと地震と共にある国です。地球上で、そういう場所にできた島なのです。この土地で暮らしていくなら、地震や地震に伴う災害と共に生きる術を知る必要があります。大人も子どももです。成長の過程で、できることから順に自分で自分の身を守ることを当たり前に身につけていく必要がある土地に、私たちは暮らしています。

 けれども現在の大人の大半は、十分な防災を教わらずに育ってきたと思います。子ども時代の防災訓練を思い出してみて下さい。毎年、防災訓練はしたけれど、先生の合図で机の下に潜り、鼻と口をハンカチで押さえて腰をかがめて校舎を出て、校庭で点呼を取り、校長先生のお話を聞いて、教室に戻る。お決まりのコース。

  いつかは必ず大地震が起こりうる地震の国で、私たちは自分の暮らしの中の災害や被害想定を知り、大きな地震や津波や土砂災害の危機に対応できる能力を身につけてきたでしょうか?

災害は地震だけではありません。暴風雨の中を避難するのは無理、ということを体感で理解しました。(東京都 本所防災館)

 東日本大震災では、子どもたちの意識と行動力によって大勢の人が津波から逃げのびることができた釜石のお話が広く伝わっています。釜石市では震災以前に防災教育に取り組まれていて、そこから防災意識と知識と経験を取り込んだ子どもたちが周りの大人を巻き込み、実際の避難の成功に繋がりました。事前の防災教育が活きたのです。
 
 大人は子どもを守るもの、子どもは大人に守られるもの。当然の関係のようですが、災害を前に、この構図は通用しません。大人も子どももひとりひとりが、まずは自分自身を守らなくてはならないのです。

「(カウントダウンしてたのに) 急に揺れたから、机の下に入る前にコケちゃった〜(笑)」(東京都防災展2018)

 現在、私は学校での防災授業に携わる機会をいただいたりしているのですが、大人から子どもに防災知識を教えながら同時に子どもたちから学ぶことも多いと毎回、感じます。地域特性を理解する地図作りや避難所の運営を想定するディスカッションなどのワークショップでも、常識に縛られない視点、潔さ、優しさなど、大人ではとっさに思いつかなかったり、口に出す前から諦めてしまうようなユニークな案を見つけ出すのは、子どもならでは。

 防災に正解はない、と言われます。普段なかなか取り上げられることのない子どもの発想が、いつか大きな解決策に繋がることだってあり得ます。

 この10年の間に防災教育の在り方は進化してきました。学校の授業でも教科横断的に災害関連のテーマが盛り込まれ、防災をテーマにした特別授業なども増えているようです。子どもが読みやすい書籍も増えていますし、地域防災訓練なども含め、さまざまな場面で子どもや親子が防災体験をする機会は数多く展開されています。

画像: 地震発生時にエレベーター内にいたら、の模擬体験を"楽しむ"娘。(大阪市立阿倍野防災センター)

地震発生時にエレベーター内にいたら、の模擬体験を"楽しむ"娘。(大阪市立阿倍野防災センター)

未来の大人を育てること

 防災を大人の役割と決め込まず、大人も子どもも共に学び考える。毎朝の見送りの会話で「車に気をつけて」や「雨が降るから傘を持って行きなさい」と一緒に「ブロック塀からは離れてね」も加わるような、暮らしの中に当たり前に防災意識が馴染んでいる社会を夢見て、微力ではありますが、私はママ防災士として活動しています。

 子どもは未来の大人。ほんの十数年の子育てで次世代を担う人になっていきます。未来の大人たちの時代には、今よりもっと災害に強い暮らしができる世界になっていますように。

画像: 台風避難の経験を防災イベントで展示しました。

台風避難の経験を防災イベントで展示しました。

防災コミュニティ「学防 manabou」

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画像: 防災コミュニティ「学防 manabou」

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